【4月号】スノードーム 2話:パラダイム

ルイが見るであろう走馬灯と並行し、セイナとユリが自らの経験と共に彼の人生を振り返る。それはまさに対角状のパラダイム。


ルイの最期の瞬間を、私は遠隔でありながら感じてしまう。スノードームがそれを告げる。

♢♢♢
春休み最後の日、私は図書館で借りた本を読みきれず、せめて少しでもと思いひたすら読書に励んでいた。カーテンを通した白い光に包まれ、優しい春の暖かさを身体で感じながら、机に伏してしまい……。とうに私は呆気なく寝落ちし、夢を見ていた。鮮明で、本当に起こったことなのかと錯乱してしまうような、素敵な夢を。

高校三年生。受験生になる私は、放課後の人で溢れた空間を歩いていた。この辺でいちばん大きい駅。地下鉄につながる道は、曖昧に進行方向が分かれている。そのおかげで夥しい人々が流しそうめんのようににスムーズに流れている。私は好きな作家の新刊本を求めに、地下街にある小さな書店に寄ろうとしていた。忙しない人の流れを横切るのは億劫だ。長縄跳びの入るタイミングを掴めないのと似た感覚。数メートル人が止んだ隙を見て書店の側へ渡る。その時、流れ行く人の波の中で、私の中の古いセンサーが発動して、小さな音を立てた。私の鼓膜にしか響かない、小さな音。
「ルイ……?」
思わず囁いていた。何年ぶりだろう。ちょっと下向きの歩き方、横顔からでもわかる三白眼。どこにでもいそうな男子高校生と言えるのに、異質感を放つその人は、小学中学のクラスメイトであり部活仲間であったルイしかいないと思った。とはいえ人違いであれば、誰の耳にも届かず消えていくだろう、私は彼の名前を小さく囁いていた。ところが……
その人は自信ありげに振り返った。ちゃんと聞こえたよと言わんばかりに。
「セイナ」
ルイだった。
「めっっっちゃ久しぶりだね」
「そうだな」
お互いを認識したものの、何を話していいかお互い困ってしまう。なにせ中学卒業以来、約2年ぶり。たった数ヶ月でも大きな変化を遂げる学生にとって、2年とはとてつもなく大きい時間だ。
「ルイは……あの、その、美術部、まだやってるの?」
「やってるよ、中学の頃とはだいぶ変わったけどな」
「そうね、あの頃がいろいろあったもんね。志望大学は変わらず?」
「変わらず。セイナは?」
「私も、変わらず。来年はまた同じ学校になるのね」
「無事に進めればな」
「うん、お互い頑張ろ」
「そうだな」

「じゃあ、また。お疲れ様」
「おつかれさま」
せっかく会えたのに、短い会話で別れてしまった。急いでいるところを止めてしまっただろうか。久々に会った長年の想い人と、本当はもっと話したいことがあったはずだ。でもあと一年でまた、同じ学校に通えるようになる。少しの辛抱。思いもよらず会えただけでも嬉しいことだ。

再び人の波に呑まれて姿が曖昧になっていくルイの背中を見ていると、足元をくすぐられて目が覚めた。
「んん、あー、今の……」
足元に立っている猫を見ればここは間違いなく私の家なのに、ルイとの再会が夢だったとは受け入れられなかった。それで身体は夢の続きを切望する。でも、願えば願うほど現実が迫って来て、これまでのやりとりがすべて空虚だったことを悟らせる。会って話せたことを今夜日記に書こうと思ったのに。それほどに、ルイとの数分間は幸せの花束だったのだ。

目が覚めても私はどうにかして幸せな気分に浸っていたかった。それで、思い立って出してきたのは中学生の頃の日記帳。ベッド横の本棚といういつでも手に取れる場所に置いているにも関わらず、それを前に開いたのは半年以上前だった気がする。

そして私の記憶は、あの頃を回想し、殻にこもった生真面目なルイという人間を、私の引っ込み思案と小心さを固めたような青春の感触を、手に取った。

『4月15日 ルイがクラス委員長にりっこーほしてびっくりした‼︎』日記はそこから中1の春から始まっている。
ルイはそんなにリーダーに向いているような性格ではないことを、小学校からの幼馴染みである私は誰よりよく知っていた。それでもルイは、あのとき自ら挙手して、クラスのまとめ役を、これからの行事にも関わる重役を自ら挙手して引き受けた。そのときのルイは幼い好奇心に抗えなかったのだろう。怖いもの知らずってこれのことかなと私はふと思ったのだった。

『4月20日 美術部に入った。先輩たちがわーって迎えてくれた。絵とか少しか上手くなれるかな。そしたらいきなりルイが体験入部に来た。全部の部活体験に行ったらしいけど、美術部の体験で「ここに決めた」って真顔で言い出すからびっくり。ほんとに入るのか知らないけど、でもルイらしいな。』

そうだそうだ。中学校の思い出の象徴となった美術部での思い出はこんなウブな日常から始まったんだ。
ルイは小学校でも、美術分野にはとりわけ目立った才能もないし特に興味もなさそうにしていたのに、と私は非常にびっくりしたのを覚えている。でも、そう、それまでだって楽器とか野球とか漫才とか料理とか時には女の子っぽい趣味もいろいろハマってきたルイのことだから、「やってみたい」が何より先を行って、その決断に至ったのだろう。
自分の興味だけに動かされて生きていた純真なルイはその後いなくなってしまう。どんな経緯があろうと、それは中学生としてごく自然な変化だったと思いたい。

それから数ページ分の思い出が過ぎ、私の日記は挫折を迎える。こうゆうの、続けられるタイプだと自負していたのに中学生となるとテストとか部活とかで、一日の終わりに日記帳を広げる余裕なんてない日がほとんどになった。そして一日欠けるとしばらく書けなくなってしまう。数ヶ月後にまた何日か書くけれど、やっぱり続かない。そうして過ぎた中学校の3年間は、小さなノート1冊分に収められてしまった。本当はもっともっと忘れてはならないことがあっただろうに。

中2の秋から始めていた受験勉強に慣れてきた頃、字を書くということに気が軽くなり、中3の4月、私は再び日記を続けられるようになり、半分以上を余していた日記帳を中学卒業の頃には最後まで使い切るに至った。
思いもよらず部長になってしまい、新入生が入り、陽気な後輩と出会う。私とは正反対みたいな性格の、とにかく明るくて、女の子らしい子。
その子との出会いも、ルイを誰よりよく知れたことも、美術部に入ったことは、私の人生の根幹を大きく変える選択だったのかもしれない。


♡♡♡
私がルイくんと知り合ったのは、中学校で美術部に入ったことがきっかけだった。美術部にはもともと興味があったけれど一番の決め手はルイくんだった。
中学校に入って初めての全校集会。小学校ではこんなに人が集まる集会がなかったから、「人多いなー」とのんびり圧倒されていると、3年生のクラス委員長がステージに出てきて何だかのスピーチをした。その時の内容とかさっぱり頭に入ってこないくらい、私はそのセンパイに見惚れていて、「あとでこっそりインスタのIDでももらえないかな、でもどうやって?」と妄想が始まるくらいに、それは激しい感情だった。思い出すと手にしたものを握り潰しそうなくらい恥ずかしい。

だから美術部の体験入部に行った時にセンパイの姿を見つけて即決。部長のセイナ先輩は「今年は新入部員入るか心配だったんだ」と歓迎してくれて、お互い好都合ならなおのこと良し!私がたった1回の体験入部で「入ります!」と決意を伝えた時、「ルイもそんなんだったよね」とセンパイがいじられてるのが印象的だった。ルイ……センパイ。

ルイくんはあの日のイメージ通りのマジメでクールな人だった。同じ部活にいるのにルイくんは誰より口数が少なく、お話しする機会が掴めなかった。仲が良いらしいセイナ先輩くらいとしかルイくんは話さない。どうすれば私も仲良くなれるかなぁと考えながらも入部して数週間、ルイくんのこと、ほとんど知れないまま過ぎてしまった。

「新入生歓迎会」と題されたプリントが配られたのはゴールデンウィーク直前。セイナ先輩が、普段はあまり見せない高揚した様子で部員に説明した。新入生といっても私の他に3人しか入っていないし、部員も10人前後だったのに、わざわざプリントを作ってくれたようだった。一応美術部だし芸術を深めるためにも、みんなで隣町の美術館に行ってみようというイベントだ。部費で賄うためらしく、ちょっとこじつけ感のあるレクリエーション内容だった。

「まだあまり話せてない先輩たちもいると思うから、ぜひこれで仲良くなってほしいと思って企画しました!」とセイナ先輩は私たちの目をじっと見て語り、切実さが伝わってきた。
話せてない新入生と先輩。これはまさに、私とルイくんのこと……。それ以外にない!

と思っていた私の頭の中はお花畑だ。
未だ謎なオーラを放つルイくんから日に日に目が離せなくなってしまい、新入生歓迎会の日を指折り数えて眠るのだった。


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