【短編小説】黄色いタクシー

外は、あいにくの雨模様だった。
小学6年生のすみれは、弟で小学2年生のハクトと一緒に、家から車で20分ほどの距離にある市民病院に来ていた。
すみれのお母さんは、この病院に入院していた。
帰ることができるようになるまで、あと3週間ほどかかるらしい。
時計は、昼の4時を指している。そろそろ帰る時間だ。
「ママ、そろそろ帰るね。」
「分かった。気をつけてね。」
そんな会話を交わすすみれとお母さんの横で、ハクトはぐずっている。
「僕、帰るのいやだ〜!
ママと一緒にいる〜!」
泣いているハクトの手を引っ張り、すみれは歩き出す。
「ハクト、泣くんじゃないの!帰るよ!」
そうして、2人は出て行った。    

お父さんは仕事の合間に2人を病院に送ってから、また仕事に戻っていた。
もしかしたら残業で帰りが遅くなるかもしれないから、と、すみれはお父さんからお金を渡されていた。
「病院の前に黄色いタクシーが停まってるから、それで帰って来なさい。」
お父さんは、そう言っていた。
なんでも、お父さんはそのタクシーのおじさんと知り合いらしく、話をしておいてくれるらしい。
すみれは、タクシーに乗ったことがなかったので少しドキドキしたが、
「お父さんがそう言ってるから大丈夫!」
と自分に言い聞かせて、病院を出た。    

外にはずらりとタクシーが並んでいた。
黒や緑などはあるが、黄色は見当たらない。
すみれはきょろきょろしていたが、端の方にぽつんと、黄色いタクシーが停まっているのが見えた。
すみれとハクトは、急いでそのタクシーに向かう。と、ドアが開いたので、2人は後部座席に乗り込んだ。
「お父さんから話は聞いてるよ。」
そこにいたのは、お父さんと同じくらいの年代の、優しそうなおじさんだった。
タクシーはゆっくりと発進し始める。
座席はふかふかで座り心地が良く、緊張の糸がほぐれたすみれは、うとうとしていた。
車が好きなハクトは、
「すごーい!」
と言いながら、運転席を眺めている。
おじさんはニコニコしながら、運転していた。
普段来ないような場所にある病院、ということもあり、辺りは見慣れない景色が広がっていた。
遠くに見える山々は霞がかっており、しとしと降る雨で道や田んぼは濡れている。
雨の音と、規則的なワイパーの音が聞こえていた。    

すみれはふと、目を開けた。
まだ、5分くらいしか経っていない感覚だった。
気付くと雨は止んでおり、住宅街とまでは言えないが、少しばかり家が建っている道を、タクシーは走っていた。
道に沿って、小川が流れていて、遠くの空には虹が出ていた。
「虹だ。」
すみれはつぶやき、ぼんやりと虹を眺めていた。
しばらく走ると、だんだんと虹は見えなくなった。
少し残念な気持ちになったすみれだったが、ふと気付くとタクシーは小川に向かって走っていた。
このままでは、川に落ちてしまう。
「おじさん!川に落ちちゃう!」
思わずすみれは叫んだが、時すでに遅し。
タクシーは、川に落ちた。
「ザバーン」
フロントガラスに水しぶきが降りかかる。    

ーが、しかし。
なんだか様子が変だ。    

タクシーは、いつの間にか少し丸っこい、小さめの形に変化し、浮かんでいた。
小さな船のようになったタクシーは、小川の流れに乗って、ぷかぷかと流れていた。
「何これ?!」
「すごーい!!」
大はしゃぎのすみれとハクトに、
「このタクシーは、川を走れるんだよ。」
と、おじさんは言った。
一応、操縦もできるらしく、タクシーは川を進んでいく。
外では、タクシーよりやや小さめの川魚が泳いでいる。
ずいぶんと小さくなっていた。
藻に引っかからないように気をつけながら進んでいったタクシーは、少し移動したところで陸に上がった。
不思議なことに、いつの間にか形も大きさも、元どおりになっていた。      

3人の目の前には、黄色に広がる菜の花畑があった。
「すごーい!!」
3人で、菜の花畑を散歩した。
どこまでも、どこまでも広がる、黄色い世界。
すみれとハクトは、はしゃいで走り回っていた。
ひらひらと蝶々が舞い、暖かい風が吹いている。
穏やかな、平和な世界。
おじさんはそんな2人を、ニコニコしながら見守っていた。
ひとしきり遊んだ後、3人はタクシーに戻った。      

はっ、と、すみれは目を開けた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
外はしとしとと雨が降り、薄暗くなっていた。
「夢…?」
隣を見ると、ハクトはすーすーと寝息を立てている。
すみれはごしごしと目をこすり、窓の外を見た。
見慣れた景色。
あの角を曲がったら家だ。      

キキッ、と、タクシーはゆっくりと家の前で停まった。
リビングの電気がついていた。
どうやら、お父さんは早く帰ることができたらしい。
「ありがとうございました。」
すみれは胸に下げた小銭入れから、お父さんにもらっていたお金を出した。
ハクトも起きたらしく、まだ少し眠そうな目で、その様子を見ている。      

「ちょっと待ってね。」
おじさんはそう言うと、運転席を降り、後部座席のドアの前に行くと、大きな傘を差しかけてくれた。
おじさんは2人を傘に入れ、玄関の前まで送ってくれた。
「2人とも、元気でね。」
おじさんは相変わらずの、穏やかな笑顔で言った。
「おじさんも、お元気で。」
すみれが言う隣でハクトも、「バイバーイ」と無邪気に手を振っている。    

おじさんがタクシーに戻っていく様子を見届けると、2人は、
「ただいまー!」
とドアを開けた。
「おかえり。」
お父さんの声が、奥から聞こえた。
中からは、美味しそうなカレーの匂いがしている。
すみれは、玄関に入る前にふと、後ろを振り返った。
あの黄色いタクシーは、音もなく、静かにいなくなっていた。
すみれは、夢かまぼろしか、よく分からないような不思議な気持ちで、家に入った。    

ー終わりー