見出し画像

自分の人生を見つめ直した日〜第21番 播州清水寺〜

季節外れな暖かさの2月半ばのある日。
私は思うことがあって、旦那と一緒に兵庫県加東市にある播州清水寺へ行った。
ここは私にしてみれば割と近くにある大きなお寺で、昔からこのお寺の雰囲気が大好きだったので時々一人でぶらっとお参りしていた。
播州清水寺は山の上にあるが門の前まで車で行くことができる。使ったことはないが、路線バスでも行くことができるようだ。
麓の入り口で参拝料兼駐車料金を払い、くねくねと曲がった道を車で上って行く。

元々この日に行くつもりにしていたので向かったのだが、今日はあいにくの雨。
一応少し収まったのでそこまでどしゃ降りではないが、傘をさすか迷う程度の小雨が降っており、霧も出ている。
少し運転に気をつけつつ、門の前にある駐車場にたどり着いた。
道中からなんとなく想像はしていたが、辺りは霧に包まれていて、幻想的な風景が広がっていた。
今までに何度も訪れた場所だったが、こんな景色は見たことがなかった。
「すごい!この景色、いい!」
と、私は夢中で写真を撮った。
天気のせいもあるかもしれないが、この時期、参拝する人はそこまで多くはない。
何人かの参拝客とすれ違ったが人はまばらで、でもそんな状況がさらに幻想的な雰囲気を作り出していた。
「今日来て良かったなぁ。
まさかこんな幻想的な景色が近所で見られるなんて思わなかった。」
そんな話を旦那と話しながら本堂に向かう。
中に入ると何かのお参りなのか奥に人が集まっているのが見えた。
「申し訳ない…今来て良かったのかなぁ。」
と少し気になったが、どうやら参拝は大丈夫そうだったのでそっと参拝を済ませて播磨西国三十三所の御朱印もいただいた。

その後私達は本堂を出て、長い石段の途中にある小さなお堂に立ち寄った。
ここには地蔵菩薩が祀られていた。
私達はローソクと線香を供え、静かに手を合わせた。
心の中に、静寂の世界が広がってゆく—。  

少し前に、私は流産を経験した。
一時は手術が必要だと言われたが、手術前日の晩、お腹の中にいたわが子は自然に出て行ってしまい、手術は必要なくなった。
普通、このような自然流産というものは大量出血と激しい痛みを伴うこともあるらしいのだが、私の場合はまだ胎児が小さかったためか、出血や痛みはあったもののそこまで酷い状況にはならなくて済んだ。  

わずか7週。小さな、そして短い命だった。  

その後も体調不良でしばらく仕事を休み休養を取ったりと大変ではあったが無事に治療や色々なことも済んでひと段落つき、一応は"普通の生活"を送っていた。
でも心の奥に小さな悲しみはずっとあって、癒されたかったことや、少し気持ちに整理をつけたくて、ここへ来たというのもある。  

昔の考え方で、
「親より先に亡くなった子どもは、親を悲しませた親不孝者」
という内容の話を聞いたことがある。
賽の河原で石を積み続ける罰を受けるらしい。
でも私は、還って行ってしまったあの子が親不孝だとは微塵も思わない。
むしろ、妊娠〜流産という出来事が私の中で自分の人生を改めて考え直すきっかけになったし、あの子は親の体に大きな負担をかけることもなく、そっと静かに行った。
あの子はとても優しくて親孝行な子だ、と思っている。  

だから、そんな優しくて親孝行な子が幸せな方向へ行けるように、と地蔵菩薩に手を合わせた。
手を合わせている間、本当にそこは静かで、少し自分と向き合えたような気がした。

流産後、急に与えられた休日をゆっくり過ごす中で本当に色々考えた。
「今年の秋頃には会えるなぁ。」
と楽しみにしていたわが子がいきなり、手が届かない遠い場所へ行ってしまった、という悲しみだけは直視できなかった。
だからずっと文章に書こうとしては消してを繰り返したんだけれど、ようやく、今こうして触れることができるくらいには落ち着いた。
もし私が悲しむことがあの子にとって親不孝になってしまうのなら、私はあの子が気付かせてくれたことを胸に前を向いて歩いて行こうと思う。
でもしばらくは妊活はお休みして、ゆっくり過ごすつもりでいる。  

参拝を終えて車に乗った帰り道、さっきまで止みかけていた雨が、また強くなってきた。
「参拝中に雨降らなくて良かったなぁ。」
そんな話をしていると、
「きっと子どもが、"手を合わせに来てくれてありがとう!"って雨を弱めてくれたんだ。
というか俺はそう思いたい。」
と、旦那が言った。
そんな話をして、私も少し優しい気持ちになった。