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<短編小説>「遠い記憶」

奈々子は生まれてから3年目の夏を迎えていた。
彼女が見る世界は、全てが新鮮だった。
田舎の旧家に生まれた彼女にとって、広くて古いものがたくさんある家の中は、恰好の探検場所だった。
大きな本棚には本がびっしりと並び、大きな食器棚には大小様々な食器が飾られている。
大きな古い家具、大きなテーブル。
彼女から見える世界は、全てが大きい。
兄弟がいない彼女は、今日も一人で家の中を探索する。古い家具達はなんだか分からないけど、すごく懐かしい感じがした。
「奈々ちゃーん!」
母親が呼ぶ声。奈々子は走って母親のところへやって来た。
「おばあちゃんのところへ行くわよ。」
”おばあちゃん”の家までは車で1時間ほどかかる。奈々子にとってはかなり遠い場所だが、奈々子は祖母が大好きなので、
「やったー♪」
と喜んだ。

★★

父親が運転する車に母親と奈々子は乗り、祖母の家に向かった。
祖母は奈々子達を喜んで迎え入れてくれ、楽しく過ごす内に辺りはすっかり暗くなった。
「そろそろ帰るよ。」
と3人は出発し、暗い夜道を車で帰っていた。
母親は助手席でうとうとし、父親は運転に集中している。
カーステレオから流れる音楽だけが、車内に響く。
田舎の道は山の側を通ることが多く、辺りは真っ暗だ。
奈々子はうとうとしながらも、なんとなく窓の外を眺めていた。

その時。

「姫子ー!どこだー?」

遠くの方から声が聞こえた気がした。
いや、それは現実ではなくて、奈々子の遠い記憶の中の声なのだけれど。
ー逃げなきゃ。ー
奈々子はなぜか、そんな気持ちになった。
しかしなんとなく、それは両親に知られてはいけない気がした。
そう、これを知られてはいけないのだ。
だから奈々子は、このなんとも言えない恐怖感に、幼いながらも必死に耐えた。
山の木々の間から、今にも追っ手が迫って来るような気がした。
父親は相変わらず呑気に鼻歌を歌いながら運転をしているし、母親はすっかり眠っている。
そう、今は平和なのだ。
だから、この平和な日常を壊すわけにはいかなかった。
奈々子は、その”記憶”に鍵をかけようと必死だった。

★★

気の遠くなるほど遠い、過去の記憶。

彼女はこの世に”奈々子”という名をもらって生まれてくるずっと昔、あるところの姫君だった。
いわゆる、「前世」というやつである。
なんという名前だったかは思い出せない。ただ、若い姫君だからか、
「姫子」
と呼ばれていた。
山の上にある城で暮らす彼女は、何不自由なく暮らしていたが、ここは戦いに明け暮れる時代。
姫子は、戦に巻き込まれた。
家族が次々に殺され、味方だと思っていた人間が敵に寝返り、誰を信じればいいのか分からない混沌とした状態の中、姫子は一人で森の中に逃げ込んだ。

遠くの方から、姫子を探す声がした。
「姫子ー!どこだー!」
「姫子ー!出てこいー!」
返事をすれば、どうなるか分からない。
姫子は木の陰で息を殺しながら、ただじっとしている他はなかった。
どこかから敵が出てくるかもしれない。
そんな恐怖に怯えながら、姫子はその場をやり過ごそうとしていた。

★★

結果的に姫子は、なんとか追っ手をやり過ごすことができたものの、食べ物にありつけない状況で衰弱していき、行き倒れる形で亡くなってしまった。

そうして姫子は死後、生まれ変わり、この平和な時代に、
「奈々子」
という一人の少女として生を受けた。

ほとんどの場合、前世の記憶は全て無くなった状態で生まれて来るらしいのだが、まれに前世の記憶をうっすらと持ったまま、生まれて来ることもあるようだ。
それも年とともになくなることがほとんどではあるが、幼い奈々子にはまだ記憶が残っており、このようなことになってしまっていた。

しかし、なんとなく奈々子は、
「前世の話はあまりしてはいけないことなんだ。」
と思っていた。
この世界ではあまりそういう話が受け入れられ難いという暗黙のルールみたいなものがあると、知っていた。
だから奈々子は、その記憶を胸にしまい込むことにした。
それに、実は本当は追っ手はまだ近くにいて、”姫子”を探しているのかもしれない。この話を表に出したら、追っ手に見つかってしまう。
そんな恐怖感が、彼女の中にあった。
実際は前世の話で、今世ではそのような心配はない、と頭では分かっていたけど、そう思ってしまうくらい、彼女にとって強烈な記憶だったのだ。

★★

家に着き、布団に入ると奈々子は安堵した。
家にいれば安心だ。
理由はないのだけれど、不思議な安心感のようなものがあった。

奈々子は隣で眠る母親の手を握りながら、安心して眠りについた。

-end-

「前世」をテーマに書いてみました。
ちなみにわたし自身は前世があるのかどうかは分かりませんが、「前世」や「死後の世界」はあって欲しいなぁと(←希望)思う派です。