2019/02/19

オンラインサロンの炎上記事がたくさん流れてくる.

奴隷制だとかブラック企業だとか揶揄されていて,過激な単語に苦手意識を覚える近頃の自分はどれもまともに最後まで読めず読み流す.

先輩がnoteに投稿をしていた.散歩や美味しいものの記録などとてもほのぼのする内容で,同じプラットフォームで軽蔑しうる精神性のブロガーやライターが投稿を行なっているとは思えない.

勢いでアカウントを開設してみたが,わざわざお金を払って読みたいと思える記事は一つも,本当に一つもない.

果たしてどんなコンテンツだったらお金を払って読みたいと思えるのか.少し考えるが思いつかない.いつも何にお金を使っているんだっけ?

 

インターネットで読める文章は感情の幅を広げてはくれず,書かれた内容は数時間後には忘れているのが関の山だ.

20代にして,この先の自分がどのようなものか想像がつくようになってしまった.どのように考え,感じ,苦しみ,困難を乗り越えていくのか.みんなそうじゃないのかな.サリンジャーの伝記的映画を観て,上質な宗教に出会えばそういった想像の限界を超える世界観が構築されるのではないかと思った.が,大切な人を蔑ろにする隠遁生活はごめんだ.世俗万歳.

自分の幅の想像がつくことは,精神的に成熟してきたということなのだろうか?

例えば,そろそろ月後半なのでメンタルを維持させることを心掛けようとか,意識して生活するようになってきた.

 

村上春樹訳のThe Catcher in the Rye を半分ほど読んだ.翻訳された外国文学が苦手だが,これは流れるように読める.けれど内容はほとんど覚えられないまま半分まできてしまった.誰が登場しどこで何を行なったのか,電車から眺める風景のように通りすぎていく.それに,映画でサリンジャーを演じたニコラス・ホルトのかっこよさが頭から離れない.あんなにも容姿の整った人間がこんなに下劣で未熟でキザな思考の逡巡を永遠綴っているのかと思うと,妙に残念な気持ちになってくる.同族嫌悪かもしれない.そろそろいい加減にしろと限界に達してきて,読むのをやめた.勉強に取り掛かろうと思っていたが集中できないので,結局絲山秋子のアーリオ オーリオを読んで落ち着かせることにした.世界で一番好きな小説.物語の類は,一度読むと話のオチを知れてしまって多少なりとも色褪せるものが多いけど,これは違う.なぜなら,主人公の哲にとても魅力があるから.つまり,哲について書いてあればストーリーラインはなんでもよく,物語を楽しむというよりも哲の色気を味わうために読むんだ(限界なのはホールデンじゃなくて自分かも).ホールデンとは全く友達になりたくないし関わりたくもないけど,哲については初めて読んだ時になぜこの人が現実世界にいないんだろうと泣きたくなった.それまで感じたことのない悲しみを感じた.もしくは,どうして自分は哲と作中で文通する姪の美由ではないのだろう,とか.今は,もし映画を撮ることになったら絶対に最初に実写化すると決めている.どうしようもない悲しみを叶うこともない決意で和らげているのだ.そして,もう1つ大好きなのは,この物語は想像や価値観の範囲を超えて変わっていく少女を進行形で鮮やかに描くのだ.

 

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こんばんは.

今日,私は新しい星を作りました.私だけにしか見えない星です.たった3光日の距離にあります.名前はアーリオ オーリオ.

 

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おじさん元気ですか.

私はあんまり元気じゃないです.アーリオ オーリオまでは,たったの3光日なんだけど,おじさんがこの手紙を読んでいるときに,もしも私が死んでしまっていたらどうしようと思うのです.明日の朝起きて自分がどこにもいなかったらと思うと恐くてたまらないのです.

それでも,アーリオ オーリオには,三日前の元気な自分がいるんですよね.

 

私が死んでしまっても,世界はこのままなんでしょうか.宇宙もずっとあるんでしょうか.

 

 

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こんばんは.

おじさんの代わりに返事を書くね.

あと数年すれば,明日の朝起きて自分がどこにもいないってことはそうそう起こらないんだなってわかるようになるはずです.ましてや,どこにもいなくなりたいって思っても,そう簡単にはいなくなれないことも.

そんな時は望遠鏡でアーリオ オーリオを見てみるといいんじゃないかな.

私にも,私にしか見えない星がたくさんあります.

10光年,4光年,0.5光年,4光月,3光日の星も.

望遠鏡を覗けば,その時の自分がなんでもない顔をしてその星で生活しているのです.

恥ずかしい瞬間や,人生最高の瞬間,その時一緒にいた人たちとの楽しい瞬間も見えるかも知れません.

けれどそこに行こうとしたら10倍ほどの時間がかかるので,簡単には行けないです.なので,明日どこにもいなくなってもいいように今を過ごすしかないのです.

それに気付かない人,もしくは気付いても退廃的な方に向かってしまう可愛らしい人が,学校を退学になったりひたすら嘘をついたりナンパをしたりするんでしょうね.

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 2020/01/04

今でも絲山秋子が最も好きな作家だ.

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2021/07/19

なんということ!最近『袋小路の男』の文庫版は訳あって手放してしまったんだけど、3年前にこんな文章を書いていたなんて記憶に全くありませんでした。さて、相変わらず私は絲山秋子が大好きで、アーリオオーリオの哲さんに永遠に恋しているのですが、この3年間でJ・ラヒリという絲山秋子に匹敵する大好きな作家に出会うこともできました。その作家曰く、セクシーとは「知らない人を好きになること」。わかるようなわからないような……

一生自分がセクシーにはなれそうにないし、セクシーに人を好きになる機会もなさそうだし、哲さんだって、現実にいたら結構気持ち悪いし怖いんじゃない?とか思うようになってきた。

自己開示が得意で、正直で、ダサくて、優しい人が一番です。知らない人は愛せないのです。

PS 例の先輩は今だにnoteで日記を書いていて、その日記が相変わらず大好きなんだな。

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