2019/04/14

社会人になって二週間が経とうとしている.

訳の分からぬ絶望に満ち溢れていた一週目とは異なり,1日がきちんと終わっていることに感激を覚える余裕も出てきた.

私は,働くことができそうな人間なのだ.そんな当たり前のことが嬉しい.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで書いて,自分が,こんな風に無意味な(と書くと言い過ぎかもしれないので代わりの表現として「とりとめのない」)文章を書くことに対する情熱が,急速に薄れてきていることを感じる.無意味な,と書いてしまっている通り,意味のない行為と感じ始めている.ではその代わりに何をするか.本を読み,勉強をし,世の中の出来事を知る.家事をテキパキとこなす.毎日を「意味があるように見える行為」で埋め尽くし,1日をきちんと過ごした安心感で眠りにつく.

 

宝物のような休日を,日記に残しておこうという気力が薄れている.

私自身が思う私の好きな部分が,朽ち,輪郭がぼやけてくる.掴みどころのない存在になり社会に溶ける.その頃には,私が,私を好きだった頃の記憶なんてないし,私を好きでいようという情熱もなくなっているんだろう.淡々と日々をこなすだけ.

会社のことや,事業のこと,同期のこと,世の中のことを話す自分がとてもとても嫌いで,それでも話してしまう.なぜならそういうことを考える時間が圧倒的に多くなってきているから.考えざるを得ないから.

確かにこれらのことは大切かもしれないが,本質にはなり得ない.もっと,5年間とか20年間とか考え続けないと答えが見つからないような,いつだってそういうことが私にとっての本質なのだ.とりあえず仮置きの答えを自分の中で持っておき,経験に応じて改善していく.そういう営みこそ尊い.

しかし,「大切なこと」たちに飲み込まれてしまっては,人生の尊い営みを失念しかねない.素敵な私ではなくなってしまう.

 

 

夢の中では自由なので,図書館で迷路になったりハンモックに揺られながら動物と語らったりしている.そういう行為をしている私の方が好きだし素敵だと思う.

そうして,そのまま目覚めないということが死ぬことだったら,喜んで死にたい.そうすれば素敵なまま永遠になれる.

 

 〜〜〜

2020/01/04

この頃のような息苦しさはほとんどなくなり,週二日の休日で自分の感情に折り合いをつけて日常をこなせるようになってきた.大きな進歩だ.

〜〜〜

2021/07/19

ストップ!2019年4月そして2020年1月の私。

2020年4月〜5月には夜中に涙が止まらなくなりついでに眠れなくなり、10月には金払いだけは良く図体だけはでかい会社をすっぱり辞め、潰れかけベンチャーに意気揚々と転職してしまうのです(そしてそこはサイコーの職場だった!)。

するとあら不思議、週二日の休日で自分の感情に”折り合いをつける”とか、”素敵なまま永遠”とか意味不明なことも考えずに、生きてるまま、毎日普通に生活してるだけで何も折り合いをつけずに素敵になれてしまったのでした。必死こいた学生時代の就職活動ってなんだったのでしょうか?そしてなんと、脱サラして就農するとか、起業しちゃうとか、そんなことすら身近に感じられてしまうのです。空気が美味しい。

日記を書くことは無意味なこととは全然思えないし、同じくらいの熱量で有益そうな本も読むし、私が心配なのはひたすらに恋人のことです。

息をしているでしょうか。夜眠れてるでしょうか。涙は止まるでしょうか。

日曜日も夜がかなり更けてきたから、そろそろ寝ましょうね。今週は平日3日しかないからラッキーね。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?