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エッセイはじめました <お菓子コントロール>

 今村家のなかでは、「風子の元気がなくなったらとりあえずなにか食わせろ」が鉄則となっている。また、「風子はお腹が空くと不機嫌になるから気をつけろ」という警告もある。
悔しい。まるで子どもじゃないか。と、思う一方、残念ながらどちらも否定することができない。元気がなくてもジャイアントカプリコを食べればどうにかなるし、お腹が空くと黙って鋭い目つきになるのも事実だ。
ついこの前も、歩き疲れて元気がなくなってきた私にはマックフルーリーが即座に手渡され、私はるんるんでまた歩き出す、という「日常」があった。


先日、大学でのことだ。その日は放課後に授業に関する話し合いをしていた。六時すぎには始めていたが、なかなか意見がまとまらず、時刻は八時を回っていた。その頃の私は、その話し合いの授業をはじめ、多忙な大学生活に殺されかけていて、創作活動も滞り、十分な睡眠やまともな食事がとれない日々が続いていて、心身ともに崩壊寸前だった。
目がうつろで生気が抜け、誰が見ても相当酷い顔をしていたらしい。みんなが心配そうに私を見ているのはわかっていたけれど、私は地蔵のように黙りこくっていた。
「だいぶ長引いてるし、ちょっと休憩しようか」
休憩時間になってすぐ、私は緊張の糸がぷつん、と切れて堰を切ったように泣き出してしまった。
「大丈夫?」「先に帰る?」「どうしたの?」


ああ、みんな、やさしい…… ごめんねぇ、いきなり泣いたら驚くよね……


「あっ お菓子あるよ」「お菓子食べな」「うん、お菓子食べな」「チョコがいい? クッキーがいい?」「おせんべいもあるよ」


えっ なんかめっちゃお菓子すすめられてるじゃん


「っていうか持って帰りなよ」「おみやげ、おみやげ」「ほら、開いてないポテチあるよ」「足りない? もっと食べたい?」


えっ 餌付け? お菓子でどうにかしようとしてる?


十九年間一緒にいる家族ならまだ、私がおいしいもので元気を出すことを熟知していてもおかしくない。が、知り合って二か月くらいの大学の友人たちにもお菓子でコントロールされるとは。私がお菓子で元気になることがばれているとは。みんなのやさしさが嬉しい一方でなんだかとても恥ずかしかった。その日は結局みんなからもらったお菓子を食べてどうにか九時までの話し合いを乗り切った。


 お菓子でどうにかなる単純な奴だと思われるのはとても悔しいが、お菓子をもらうと嬉しくてまた元気になっちゃう自分自身がもっと悔しい。これからは「あからさまに元気にならずにお菓子を食べる」方法をあみ出していかなければならない。

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