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エッセイはじめました 〈Tシャツ〉

Tシャツを着ることができない。


Tシャツの上にカーディガンやパーカーを着るのならどうにか我慢できるが、それでもTシャツを着ている自分にそわそわしてしまう。Tシャツ一枚で出かけようものなら終始緊張状態だ。


Tシャツというものを、物理的には着られる。しかし、心理的に着ることができないのだ。


私のなかでTシャツは、選ばれし人が着るものだと位置づけられている。

Tシャツは、いくら大きなサイズを着たとしても、身体の特徴が露わになりやすいものだ。

そのため、Tシャツを着るのは筋骨隆々な人や非常にスリムな人、グラマラスなお姉様など、自身の肉体に恥ずかしさを感じない人の特権だと思っている。


しかし、一方でそんなルールがあるわけではないともちゃんとわかっている。

世の中には、大きなお腹をカバーすることなくTシャツという布一枚のみの装いでも、決して恥じることなく出かけることができる人が少なくないことも承知している。

私は気づいた。

要は「意識」の問題なのだ。

ふくよかな体型を隠すことなくTシャツを着る人がかっこ悪くないのは、堂々とTシャツを着ているからだ。


私がTシャツを着ることができないのは、布一枚しかまとわないこと、自身の体型が露わになることに異様な自意識を感じているからなのだ。

しかし、万年ぽっちゃりの私の体型に対する自意識の壁は非常に高く、そして分厚い。

70キロあった人生のピークからは多少減ったものの、まだまだ「肥満気味」「やや肥満」の枠からでることができない。お腹はぽっこり出ているのに胸は小さいから救いようがない。


家にあるGLAYのライブTシャツはタンスの奥深くに眠っている。

今年の夏の目標のひとつに「Tシャツ一枚で出かけること」を掲げようと思う。

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