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CARAT LANDと青春

2024年7月23日と24日、開催8回目になるSEVENTEEN in CARAT LAND(通称ケレン)が行われた。例年は春に開催されることが多く、夏開催は久しぶりだった。FOLLOWツアーが幕を閉じ、アメリカでのフェスも終えた彼らにとっては、韓国での公演という意味でも久しぶりだったことだろう。

私自身としては、SEVENTEENさんにだけ集中すること自体が久しぶりであった。冷めていたわけでは決してなく、私は趣味や好きなことが多い性分なため、好きな分野を転々としていることが多い。今は、好きなアニメや漫画がアツい時期でそちらに集中している時間が長かった。ウジさんもこのアニメ見てるかな~なんて思いながら(笑)

(有難いことに)毎年恒例のケレンは、数あるSEVENTEENさんの伝説公演の中でも群を抜いて「CARAT必見!!!!」と思わせてくれる公演だ。
そもそも公演の名前が「CARAT LAND」ですし…今までもいくつもの伝説をこの公演で作ってきた。今年もその期待は十分に、配信チケットの2DAYパスを購入し、当日を心待ちにしていた。


公演内容の話などを大幅に割愛し(!?)、ケレン恒例のユニットリバースコーナーの話がしたい。このコーナーで、パフォーマンスチームの皆さんがボーカルチームの「青春讃歌」を歌ってくださった。そのステージの最後に4人揃って「CARATと一緒にいる今この瞬間が青春だ~!」と叫んでくれた。
後から調べる中で、FOLLOW TO AGAINのソウルコンでも同じ文言を本家ボーカルチームが言っていたそうだが、ソウルコンの情報をあまりリサーチしていなかった私にとっては、初耳な発言であった。

ケレンの話からズレてしまうが、青春讃歌という曲が私は大好きだ。


これまた話が飛ぶが、いつからこの考えを持っていたか覚えていない昔からずっと、ウジさんに「ウジさんの考える青春とはどんなものですか」と聞いてみたいと思っている。

SEVENTEENはSEVENTEENであることが青春のような人たちで、ウジさんも以前「僕にとっての青春はSEVENTEENです」と発言したことがあったような気がしている。(曖昧な記憶だが…)

青春と呼ばれる時期にあたる10~20代の時期を彼らは一般的な学生生活ではなく、練習生、アイドルとしての道を歩んできたのだから、実際SEVENTEENが青春であることに間違いはないと思う。ただ、ウジさんが描く青春像には、そのことだけが反映されているわけではない気がしている。

自分語りになってしまうが、私にとっての青春は、と考えたときに綺麗な感情よりも悔しくて辛くてぐちゃぐちゃした感情が湧き出る。青春真っ盛りの年下の子たちを見ても、その眩しさに目が眩むし、その眩しさを自分が纏っていなくても良くなったんだなと安心感すら覚える。体育祭で流されていそうな青春ソングも、合唱祭で歌われる合唱曲も、「私は得ることのできなかった青春」を歌っているようで、思い出すようで、あまり得意ではなかった。
とはいえ、それほどまでに自分自身の青春が荒んだものであったのか、と考えると実際そんなことはなかったのかもしれない。ただ、コロナ禍により叶わなかった理想を今でもずるずる引きずり続けているだけかもしれない。だからこそ、自分はなれなかった理想像になれている後輩たちを見ると、妬み嫉みの感情で自分の青春でさえも黒く滲ませてしまう。自分がそんなだから、青春=美しいものと捉える考え方には、未だ共感できない部分がある。そんな私の青春を抱えた上で、青春讃歌を聞いた。

ウジさんは、日々の美しさと痛みをどちらも知っている人だ。青春讃歌を聞いて、改めてそう思った。
私とウジさんは、似ても似つかないような生活を送っている。彼の生活と私の生活の中に、共通点など無いに等しいだろう。
それなのにどうして、ウジさんは私の痛みを知っていたかのような曲が作れるのだろうか。

自分にとっても誰かにとっても無いものにしたい、美しさの中にある淀みを丁寧に掬い上げて、それすらも大切にしてくれる。そんなあたたかみが、ウジさんの作る曲、書く歌詞にはあるとウジさんを好きになってからずっと思っている。

美しさが美しさだけである必要はないし、痛みや淀みがあってもいい。
青春讃歌を通じて、それは「青春」も同じだと歌ってくれているように感じた。

青春讃歌のお陰で、私が私自身にかけている青春の呪縛から少し解放された気がする。ありがとうね。


話を戻すと、パフォーマンスチームの発言を聞いたときに物凄く嬉しく感じたのを覚えている。ああ、そんな風に言ってくれるのかと視界が滲むほどに嬉しかった。

今回のセトリには「9-TEEN」も入っており、現在19歳の私にとってはこれもまた心から嬉しかった。それに通じてか、アンコール中のメンバーたちの口から「青春」という言葉が多く発せられていたような気もしている。(曖昧な記憶になってしまって悔しい…)

널위해 노랠 불러줄게 이 순간이 지나가도
君のために歌を歌ってあげるよ この瞬間が終わっても

こんな風に歌ってくれる大好きな人の存在が、19歳の私を支えてくれている。自分の高校生活が始まる前には、「A-TEEN」を何度も聞いて高校生活への憧れを募らせていた。その憧れの反面、理想通りに過ごせない高校生としての毎日でも、歌詞に自分を重ねながらA-TEENと9-TEENを何度も聞いた。その毎日がいかに貴重なものであったか、今になって感じている。


今回のケレンは、同い年でいつも一緒にSEVENTEENを応援している友達2人と見た。
青春讃歌への思いを馳せながら、きっとこうやってこの2人とがむしゃらにSEVENTEENへの愛を叫ぶ日々も、【 青春 】なんだろうなと思った。

何かしらの公演が終わるたびに、私達のSEVENTEENって最高だよね、誇らしいよね、CARATになれて幸せだよねって話す時間も、SEVENTEENのここが好きだって発表し合う時間も、最近の自分の中でのSEVENTEENの在り方について共有し合う時間も、全部、無限にあるものではない。けれど、そんな時間が心から楽しくて待ち遠しくて無限に続いてほしいと願ってしまう。
大人になんてなりたくなくて、でも大人になりたくて。将来のことなんて何にもわからなくて、でも自分の将来のために頑張るべきものがあって。頑張りたいけど、SEVENTEENへ費やす時間もお金も愛情も減らしたくなくて。

なんか、そうやって考えながら過ごす毎日って、青春だなと感じた。そんな儚さが青春なんだろうか。青春っていつからいつまでのことを指すんだろうか。青春って何を指すんだろうか。青春って何なのだろうか。

もしかしたら、生涯の全てが青春なのかもしれない。そう考えたら、私の青春ってまだまだこれからの可能性が出てきた。

青春とやらが美しくあろうがなかろうが、結局初めて向き合う今日なのだから、自分自身のことを、そして自分の青春を嫌うのはやめようと思う。


ケレンでのステージや、青春讃歌という曲を通じて、青春について色々と考えた。考えたけれど、青春とは一体なんなのか、よくわからないままだ。なんなら、ここまで書いてきたこのnoteも何を書いているのかよくわからなくなってきた。それでも、今まで毛嫌いしてきた「青春」について、ここまでの考えを巡らせることができて嬉しく感じている。


これからも青春讃歌と共に、私の生涯の青春を楽しんでいきたい。

私は、青春讃歌という曲が、その曲を歌うSEVENTEENが、それに聞き惚れるCARATが、心の底から大好きだ。

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