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本の読み方

本を読むとき、他の人はどうやって読んでいるのだろうか?

黙読…声に出さずに本を読むこと。反意語はおそらく、音読。

日常で「本を読む」と言うと、ほとんどの人は黙読をしていると思う。
通勤の電車で、あるいは、勉強の合間に自室で?
趣味の小説を、あるいは、興味のある分野の技術書を?
他人に聞かせる必要もなく、自分自身のためだけに本を読むのなら
音読の必要はない………はずである。

さて。
そもそも、なぜ冒頭の疑問が湧いてきたのか。
経緯はこうだ。

私は文章の間違いを見つけるのが得意だった。
というか、今でも得意だ。
意味の繋がり、単語の用法、文書構成、にとどまらず
誤字脱字や文字配置の取り違え、送り仮名の有無間違い、
助動詞の違いによるニュアンスの差、表記揺れ。
見つけるというより、読んでて気になる…というか引っかかる。
それまでテンポ良く読んでいたのに
突然“千切られる“感覚になる。
小石に蹴つまずくような違和感や不快感を伴って
文章の世界から追い出されてしまうのだ。
だから、私にとって文章の間違いは
見つけるというよりは見つかるものであったし、
見つかったところで不思議はなかった。

ところが、以前お世話になった職場で
文書校正の業務を仰せつかった。
それも、法務部を通すタイプのものや
社内全体の規律に関わるもの、
対外的な契約書の更新に関わるものなど
大切と思われるものばかりだった。
もちろん、私のチェックは部署内の最終にとどまり
決定権やその先のチェックは別の責任ある立場の人の管轄だった。
とは言え、役職もなく入社時期も遅く
理工学系出身の私が適任だとは思えなかったが
上司曰く「見つけられる人間の方が少ない」とのことであった。
確かに、他の先輩社員方は自身の書いた報告書の間違いを見つけるために
音読ソフトを利用したり、数人で額を付き合わせたりしていた。
一方、私はと言うと
指示された書類をデスクへ持ち帰り黙読で数度も読めば
ある程度の修正提案まで添えた上で報告に上がれたのだ。

当時は与えられた役目をこなせることに安堵するにとどまったが
どうやら黙読の仕方?に差があるようだ、と、しばらくののちに気がついた。
黙読の仕方?に差があることに気がついたのは
とある友人との会話による偶然の産物であった。
何かの話の流れで私が本を読むときの話をし、
その上で友人に本の読み方を尋ねたところ
「意識したことがない。」との返答だったのだ。

そして、冒頭の疑問に繋がると言うわけだ。

もし、このノートを読んでくれている人の中に
本の読み方を意識している人がいるのならば
是非、その内容を教えていただきたいところである。


ここまで書いたのなら、私の黙読については記しておく必要があるだろう。

私は本を黙読するときでも、頭の中では音読をしている。
声に出すのと同じスピードで、
単語読み方・イントネーション・息継ぎ・章や節での間…
登場人物がいれば声色や感情も再現して読んでいる。
シーン描写やナレーションの部分にも
情景や状況がイメージできるように緩急をつけて読んでいる。
意味のわからない単語や読み方のわからない単語は
前後の文章や構成漢字から意味や読み方を類推したり
インターネットを利用して調べたりする。
そして、その単語を含む前後の文章を何度か読み直し
スムーズに読めるようになってから次へ進む。
独りで自分のために本を読んでいる、というよりは
朗読カフェで音読でもするかのようなスタイルだ。

読書のスタイルも少し変わっているかもしれない。
一冊の本を読みかけで中断することはあまりなく、
中断する場合も栞を挟むことは稀だ。
読書を中断した時は読みかけたところから再開するのではなく
内容を覚えているところから再開している。
なお、シリーズものなどは一つの章が区切れるまでは
連続して読み続ける傾向にあり
寝食を疎かにし家人に怒られることもしばしばあるので注意が必要だ。

特にまとまりもないが、この辺りでキーボードを置く。
皆様の「本の読み方」について…
是非、ご教授願えればと思う。

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