(記者解説)部落問題、司法の判断は ネット掲載、差別助長か学問の自由か 編集委員・北野隆一


 ・被差別部落地名リストの削除や復刻出版禁止を求める訴訟の判決が9月に控えている

 ・原告は「身元調査で差別助長」と主張。被告は「学問の自由を侵害する」と反論

 ・ネット社会の進展がもたらした新たな問題への対応が問われる局面になっている

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 部落解放同盟と同盟員ら248人が川崎市の出版社と経営者らを相手取り、被差別部落の地名リスト復刻出版の禁止とネット上に掲載したリストの削除などを求めた訴訟の判決が9月27日、東京地裁で言い渡される。

 訴えによると出版社は2016年2月、戦前の調査報告書「全国部落調査」を復刻出版して販売すると告知。ネット上に地名リストや解放同盟幹部らの名簿を載せた。同盟側の申し立てを受け、横浜地裁などが3~4月、出版禁止やリスト削除を命じる仮処分を決定。同盟側は4月に提訴した。

 原告は、日本社会には被差別部落出身者を忌避する感情が残っていると指摘。地名リストの出版やネット掲載が差別を助長し、原告らのプライバシー権や名誉権、「差別されない権利」を侵害すると主張している。

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 そもそも部落差別とは何か。

 部落問題は、行政用語では同和問題と呼ばれる。政府は1965年の同和対策審議会答申で、同和問題を「日本社会に形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部集団が基本的人権を侵害されている社会問題」と定義。「身分の賤称(せんしょう)による侮蔑、偏見や嫌悪により交際を拒み婚約を破棄するなどの行動、就職・教育の機会均等が実質的に保障されないこと」などを差別の具体例に挙げた。

 同和地区の劣悪な生活環境をはじめとする経済的な格差は、69~02年に計16兆円の公費が投じられた同和対策事業などにより改善された。

 一方、70年代に地名リストの図書「部落地名総鑑」が販売された事件により、婚約を破談にしたり就職を不採用にしたりする目的で、被差別部落出身者の身元を調べる問題が表面化。法務省は図書を回収し焼却処分とした。その後も身元調査の問題が相次いだ教訓から、本人以外の戸籍閲覧を制限し、職業安定法を改正して差別につながる個人情報の収集を制限するなどの取り組みがされてきた。

 しかし、ネット社会の進展が、新たな形での問題を引き起こしている。

 今回の裁判で原告側は「部落地名総鑑事件の再来だ」と主張。被告らが地名リストをネットに掲載して以降、市町村の窓口に「ネットに婚約相手の出身地の地名が出ている。この地区が同和地区なのか教えて」との問い合わせが頻発していると指摘した。原告の片岡明幸・部落解放同盟副委員長は「これまで興信所や探偵社に頼んでいた身元調査が、被告によるネット掲載で誰でも見られる状態になった。パンドラの箱を開けてしまった。部落出身者は、いつか差別を受けると強い不安を抱いている」と訴えた。

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 仮処分決定と同時期の16年3月、東京法務局は「差別を助長し、人権擁護上看過できない」として出版社側に掲載をやめるよう諭す「説示」をした。法的強制力はない。リストの一部は閲覧できなくなったが、データが移され別のサイトで見られるものもある。

 18年12月には、法務省が全国の法務局あての通知で「インターネット上の同和地区に関する識別情報」について「人権擁護上許容し得ないもので、原則として削除要請の対象とすべきである」との考え方を示した。

 ただし「学術、研究などの正当な目的により、人権侵害のおそれが認めがたい場合」は例外となる、とも例示した。原告側によるとこの通知以降、被告の出版社経営者らは、同和地区に言及したネット上の記事の題に「学術・研究」と付記するようになった。

 裁判でも被告は「全国部落調査は日本の歴史を研究する第一級の資料。出版禁止は学術研究の損失であり、学問の自由の侵害」などと主張した。

 この経営者らは各地で同和対策の行政資料を集め、被差別部落の探訪記をネットに掲載してきた。10年には同和対策事業に関する情報公開を滋賀県に求めて提訴した。このときは最高裁が14年の判決で「公開は当該地区の居住者や出身者への差別行為を助長するおそれがある」として、非公開とした県の決定を支持している。

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 今回の裁判をきっかけに16年12月、部落差別解消法が国会で成立した。同法第1条は「現在もなお部落差別が存在する」との認識を示し、地名リストのネット掲載を踏まえて「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じている」と記された。

 ただ、部落問題への認識には地域差がある。法務省が19年に実施した意識調査によると「部落差別を経験や見聞きしたことがあるか」との質問に「ある」と答えた割合は北海道で6%、東北8%、関東13%だったのに対し、近畿、中国、四国では25%を超えた。「ある」と答えた人のうち58%が、部落差別の内容として「結婚や交際」、また27%が「就職や職場」を挙げた。

 政治的立場による考え方の違いもある。部落差別解消法の国会審議では、解放同盟と対立する共産党が「基本的には社会問題としての部落差別は解決した状態。法律は部落差別を固定化し、民間団体による自治体への介入の口実を与える」と反対した。一方で法案を提出した自民党議員は「結婚や就職についての人権侵害、ネットの書き込みなどを何とか解決にもっていきたい」とねらいを説明。行政が使ってこなかった「部落差別」という言葉を冠した初めての法律を成立させた。

 立法府は「部落差別は許されない」という法律をつくった。行政は地名リストの掲載中止を求める救済措置を講じた。いずれも罰則や法的強制力はない。裁判所は仮処分決定では出版禁止を命じたが、判決ではどんな判断を示すのだろうか。

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