見出し画像

"A"の呪いー「いい成績取らなきゃ」症候群。

「大学4年間、何を一番頑張ったか」と聞かれたら、私が答えられることは「学校の勉強」で。

「いい成績を取らなきゃ行けない」という強迫観念みたいなものに駆られて、暇さえあれば何かの宿題とか、勉強とか、それらを「完璧」に仕上げることとかをやっていた。バイトも、インターンも授業や学業に支障がないものというのを第1条件として、探していた。間違いなく、学校中心の生き方をしていた。

結局4年間の成績はオールA。
今ここで自慢かよ、って思っちゃった人がいたら、そうではない(もしかしたら、あなたも点数評価の世界で生きている人なのかもしれない)。今まで自分の成績を見て嬉しかったことなど一度もない。むしろ自慢する相手もいないので家族にすら言ってない。私があえてここで自分の成績を言っているのは、成績に囚われてても全然意味ないよって、頭でわかってるけど行動がついて行かなかった人の反省話をしたいからだ。
GPA4.0とっても、幸せになんてなれない。シンプルで当たり前のことだけど、これが私のこの長ったらしい文章の主訴だ。

まあ、あんだけやってて逆に成績取れなかったら「自分何やってるんや」って灰になっていたと思うから、それよりかは、精神的な安定としてはよかったのかもしれない。

でも、ある意味、成績の面で挫折をしなかった、というのは、ここまで自分が好きじゃないと思っている「点数主義」の価値観を引きずる要因になっていると思う。

私が「点数主義」に超絶なる違和感を持ち始めたのは、中学受験の頃。いわゆる進学校にいっていたので、受験シーズンになってくるとみんなストレスが溜まってくるわけで。クラスの中の何人かは、たまたま、その発散場所として学校を選び、たまたま、その発散相手として自分を選んだ。ー今考えれば、ただ、それだけのことではあったけれど、当時の小学校のコミュニティ・世界しか知らない自分にとってその影響は大きく、その時は、ただひたすら受験が終わることを待って、中学校に行った。

時は流れて3年後の高校受験の頃。全く同じ問題が発生。自分なりに頑張って、人に迷惑をかけないように生きていたのに結局ダメだったじゃんってショックを受け。そして、まあ普通にイジメでダメージを受け。でも、当時の自分は「みんなと友達になりたい」と思っていたし、人のことを絶対に嫌っちゃいけない、文句言っちゃ行けない、それに人それぞれ良い部分があるはずだからそこを見つけて、今自分が嫌いになりそうな人も好きになろうと思っていた。(いくつかの価値観は今も大切なものとして持っているけど、いくつかは手放した。)

そんな状況で、15歳の自分が出した答えー自分の抱えるモヤモヤの吐き出し口が、日本の教育システムだった。

受験が、人間を人間たらしめ無くしているんじゃないか。
そんなこと普通でやらせる日本の教育システムって

ほんと クソだな。(※当時はこんな荒ぶった言葉を使えませんでした。)

という当時の自分なりの答えにたどり着いた時、
私は、「勉強」ができなくなった。

頭で何かを考えようとすると、「なんで日本の教育システムってこうなんだろう」っていう、やるせ無い気持ちの方が勝っちゃって、当時いた自分の状況も苦しくて、家では泣きまくり、
でも学校では明るい変人キャラをやっていたのでそのキャラを保つためにエネルギーを使いまくり、
その家と学校のテンションの違いにめっちゃつかれて、ほとんどのエネルギーや時間をモヤモヤすることに費やす毎日。

テスト恐怖症みたいな状況になって、テスト前になると全く食べられなくなったり、テスト中気絶しそうになったり。それで、
勉強しない➡︎テストでいい点取れない・テストですごいストレス抱える➡︎「成績」とれない➡︎勉強余計しない➡︎テストでいい点取れない➡︎・・・
という無限の負のループに陥り。最終的には学校にも塾にも通いづらくなったので3年の夏前に塾をやめ、一番日本の学校ぽくない学校、という基準で高校を選んで、進学した。

進学先の高校は、そんな感じだったのでいろんな意味でいろんなキャラの濃い人たちの集まりだった。

運動・アート・語学・勉強・課外活動...

いろんな価値観があった。

勉強ができる・できない(成績がいい・悪い)は、その中の一つの価値観でしかなかった。
自分は、自分を測るときに好きな尺度を選ぶことができたはずだった

だけど、自分は、その中で、そのたくさんある価値観の中で、「勉強(成績)」を選択してしまった。無意識に。
あんなに嫌っていた点数評価。紙の上にある文字で「優劣」が決まる世界観。なのに、わたしはそれを選んでしまった。

暇さえあれば宿題か予習か復習。テスト前はテスト恐怖症と戦って、テストが終わったら、また予習復習宿題、をする毎日。。。振り返って思うと、3年生になるくらいまで、ほとんどの「授業のない暇な時間」は、部活か勉強しかしてなくて、高校生っぽいこと(がなんなのか、よくわからんけど)は全くしなかった。
結果的に私は高校で次席をとったけど、なんも嬉しくはなかった。(これ書く前に部屋の整理をする機会があったんだけど、確か賞状とかメダルとかもらったはずなのに、どこにいったかわからないくらい、なんのものでもなかった。)

私のやっていることに反して、「(日本の受験システムをはじめとする)点数評価大っ嫌い」の感覚は、どんどんどんどん強くなっていった。大学受験の時も、普通の受験をする気はさらさらなかった。一番日本ぽくない大学ってことで今の大学を選んで、一応受験勉強もしてたけど、高校の時の成績と英語スコアで受けたAO試験で合格して、自分の大嫌いな「試験」では争わずに入ることができた。

でも、よく考えたら、この「ラッキー」も、自分の点数評価から離れ難い状況を作ってしまったのかもしれない。まだ試験が主流でやっている日本の受験では「AOの受験生は勉強ができない」的なイメージがついてまわる。そして、それを私も持ってしまっていたのだろう。
「一般受験の子と比べても、ちゃんとやれるって、証明しなきゃ。」
どこか、そんな思いもあって、たぶん自分の「いい成績取らなきゃ」は、全国の勝手なイメージをつけられちゃいがちなAO生のイメージ改善を目指す的な、使命感も帯びてきていたと思う。

大学に入って約1年経った頃、こんなにテストや宿題に命をかけている(テスト前とか平均睡眠時間3、4時間で勉強したり、3日前までには完成させてるレポートをギリギリまで確認したりとか、)自分に危機感を覚えた。自分が小さな世界の価値観であることは、頭ではわかってた。けど、体がついていかない。心がその価値観にしがみついて、離れない。

それがすごく嫌だったから、その価値観とは関係ない、自分をみてくれそうな場所でいろんなインターンをやった。でも、成績への命かけ度合いは多少良くなってきたものの、結局、コアな部分は変わらなかった。持久力が切れそうなギリギリのところで、留学に行った(まじでタイミングよかった。)。


留学に行って、この価値観からポーンと離れた状態で生きるということを経験して、ああ、この価値観マジでいらないわ、と確信した。
言葉の壁はあったけど、もっと心で通じている気がした。もっと心を主体に生活をしていた。人間という面で、自分を誰とも比べていなかった。毎日ワクワクして生きていた。内側から湧いていくものに押されて生きていて、LIFE WORKが延長線上に見えていたと思う(まじで長くなりすぎるからこれは別の機会に)。そしてその中で、「いまのまま流れに乗って進むのはやめよう。」という結論にたどり着いた。進路(大学院)もほぼ決まってたけど、一から白紙で考えることにした。いわゆる日本の「就活」も(もとからそんなやる気なかったが)腑に落ちるまでやっぱやらんと決めた。

でも、日本に帰ってきて、すぐに、その感覚をシャットアウトしてゆく自分をーせっかく覚醒した自分が、どんどん日本脳の自分が作る制限の中に溺れていく自分を自覚して、息苦しさを余計感じるようになった。大学生活は残り1学期だったけど、このまま学校にいき続けることに限界を感じた。今までの価値観から離れて新しい価値観を見つける為にも、時間が必要だとも思った。だから休学した。

休学したら、この息苦しい場所から即座に出るつもりだった。でも、実際に国を決めてインターンや働き口を探そうとした時、そこでなにをしたいのかは全く想像することができなくて、ただ日本から逃げるという口実のために海外に行くという手段を使おうとしていることに気づいた。

それだったら、いま生きづらいと思っている日本で、自分でいられるようになれば、どこに行っても、より自由に動けるようになるかもしれない。そんなことを思い始めた時にたまたまLDSを知って(開始1週間前という超ギリギリスケジュール)、で、ここにたどり着いたというわけだ。


今じぶんが「進めて」いるのかわからないけど

今自分は、今までの価値観から、新しい自分の心の声を基準にした価値観に移ろうとしていて、でもまだ先が見えてなくて、だから結構不安定気味になっているとおもう。
でも、今の自分が、過去の自分の積み重ねの上にあって、それが間違ってはいないということを信じて、進もうともがいているつもり。



長ったらしく&話とびまくったけど、とりあえず、これが、今の私のとらわれている最大の価値観であり、抜けたい価値観。

正直、この文章に納得はいってない。から、これからも加筆修正はすると思う。でも、これが2019年12月21日時点の、私の精一杯。精一杯の記録として、この記事を公開します。


ここまで読んでくれた人がいたら
最後まで読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?