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犬君と古典と比較文化と

 こんにちは。犬君ともうします。いぬくんではないです、いぬきです。

 犬君、と聞いて、ああ、と気づかれた方は少なくないかもしれません、そう、『源氏物語』に登場するあの犬君です。

 別にこれは犬君に仮託したアカウントというわけではないのですが、自己紹介を差し置いてまずは犬君について話します。

犬君について。

 犬君とはどんなキャラクターかというと、紫の上の幼馴染の女の子です。
 病気を患って、北山に療養に来ていた光源氏が、ある家の小柴垣から垣間見をしてしまいます。そこで見初めるのが彼の生涯の伴侶となる、紫の上なのです。垣間見る先では、こんな様子が繰り広げられています。

きよげなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。

中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などの、萎えたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。

髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

「何ごとぞや。童べと腹立ち給へるか」

とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。

「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠の中に籠めたりつるものを」

とて、いと口惜しと思へり。

新編日本古典文学全集『源氏物語①』(小学館、1994)「若紫」206頁

 光源氏は、ここで一目惚れした紫の上を強引に引き取り、自邸に迎えます。彼女を大切に大切に育てる光源氏の、ほのぼのエピソードが次の場面です。光源氏は、紫の上の部屋をのぞきに行きます。

男君は、朝拝に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。

「今日よりは、おとなしくなりたまへりや」

とてうち笑みたまへる、いとめでたう愛敬づきたまへり。いつしか雛をしすゑてそそきたまへる、三尺の御厨子一具に品々しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。

「儺たらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」

とて、いと大事と思いたり。

「げに、いと心なき人のしわざにもはべるなるかな。いまつくろはせはべらむ。今日は言忌して、な泣いたまいそ」

とて、出でたまふ気色ところせきを、人々端に出でて見たてまつれば、姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛の中の源氏の君つくろひたてて、内裏に参らせなどしたまふ。

同前掲書、「紅葉賀」320−321頁

 ここまでで、紫の上のかわいさとそれにベタ惚れの光源氏について語ることもできるのですが! ここではそれはさておいて! 皆さん見つけられましたか?? 
犬君ちゃんがいたことを!!!

「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちにこめたりつるものを」

「儺たらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」

いました。山鳥の尾のごとく長い『源氏物語』における、犬君の貴重な登場シーンです。

 『源氏物語』の登場人物のなかでも、犬君はサブキャラ中のサブキャラなので、台詞は一言もないし、ここに引用した若紫巻と紅葉賀巻にしか登場しません。これだけ。2回の登場で彼女は何をしたかというと、

・紫の上が伏籠に閉じ込めておいた雀の子を逃がす。
・紫の上が遊んでいた人形たちを散らかす。

・・・え、何を考えているんでしょう。なんでそんなことするの。
台詞もなければ心情描写もないので彼女の意図がわかりません。

 しかも、どちらも紫の上の台詞の中で登場しているため、語り手による評価などの三人称視点の描写がまったくなく、彼女についてわかることはほとんど(まったく?)ないのです。

 みなさんは、この「犬君」という謎のキャラクターについて、どのように考えるでしょうか。
 ようわからん。の一言で片付けることもできるのですが、この「犬君」について考えることが、文学、とくに古典文学をひもとく営みといえると考えているので、少しだけ考えてみましょう。

 登場人物について考えることは、近現代文学においても同じなのですが、現代を生きる私たちと、古典の時代には大きな隔たりがあるため、現代の常識を取り払って、さまざまな視点から考えなければならないのです。逆にいうと、さまざまな視点から考えることができて面白いのです。
 隔たりがある、といっても、同じ日本国内での話ですから、その片鱗が現代の諸相の根底となって垣間見えることもたまらなく面白いです。

 とくに僕はいわゆる日本文化とか、そういう日本の古いものが大好きなので、それと照らしながら考えたり調べたりするのがとっても楽しいと思っています。しかもそれを、文学ですから、言ってしまえばただの文字列であるわけで、古典においてはふにゃふにゃに書かれたみみずみたいな仮名の写本からひもといていくことができるのです。

 まずは、最小単位である名前「犬君」から。現代で「犬」も「君」も、名前に使われることはほとんどありません。

まず、「犬」の語について

「犬」には、いろいろな意味があります。『日本国語大辞典』を参照してみると、

(1)イヌ科の家畜。
(2)飼い主になついて離れず付き従うことから、煩悩の比喩としてもいう。
(3)主人に忠実に仕える者。
(4)こっそりと人の秘密をかぎつけて告げ知らせる者をおとしめていう。探偵。スパイ。
(5)岡っ引きのこと。
(6)警官をいう隠語。

などなど、他にもまだあるのですが、ここで考えなければいけないのは、「犬君」の「犬」がこのうちのどれに当てはまるのか、ということではなくて、どうしてこんなにもたくさんの意味があるのかということ。おそらくは(1)の動物としてのイヌがもとにあって、その性質から、それになぞらえた比喩・隠語がイメージとして使われていったのだろうと考えられます。ここに挙げた6つの例では、犬の忠実さから想起された語がいくつかあるように思います。
 では、なぜそれが犬君ちゃんの名前になったのかと考えると、父母や将来の旦那さんに付き従って生涯を過ごすように、とかとなったのでしょうか。

 以上が、現代語で「犬」を考える時の一例です。これを、古典の世界に目を移してみると、すこし変わった見方になってきます。

 現代ではペットとして可愛らしい犬が想像されますが、古典の文脈では「犬」が必ずしもよい意味で使われるとも限らなくて、文化史的な観点から考えると、犬は今のように可愛い存在ではなく、畜生の色の強い生き物であったということがわかってきます。

『枕草子』の犬と猫

 例えば、『枕草子』にはこんな話があります。

うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、

「あな正無や。入りたまへ」

と呼ぶに、聞かで、日のさしあたりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、

「翁まろ、いづら。命婦のおとど食へ」

と言ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへはおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、

「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」

と仰せらるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、

「乳母かへてむ。いとうしろめたし」

と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。

日本古典文学全集『枕草子』(小学館、1974)第七段「うへに候ふ御猫は」75−79頁

 『枕草子』の第七段(能因本)です。そういえば自己紹介もしないまま『源氏物語』の犬君について書いていましたが、私が研究したいのは『枕草子』です。その話は後ほど。

 引用からお分かりのように、宮中での話を記録した本章段において、猫と犬が登場しているのです。
 清少納言のお仕えしていた中宮定子の旦那さんである一条天皇は、猫を飼っていました。当時は宮中に上がるのには五位以上の官位が必要でしたから、なんとこの猫にも五位の官位が与えられ、「命婦のおとど」と名前がつけられていました。
 しかもここに登場する「馬命婦」という女性は、この猫の乳母!(この人からしてみたら身の引き締まる思いで宮中への出仕に励もうとしたところに、猫のお世話役を充てられたわけですからなんともいえない気持ちでしょう)一条天皇の趣味とはいえ、猫が天皇に飼われ、官位まで与えられていたわけですから、猫についてはこの時代もある程度の地位を持っていたと分かります。

 一方の犬どうでしょう。「翁まろ」と呼ばれているのが、ここでは犬です。この犬には官位は授けられておらず、しょちゅうやってくる野良犬という感覚です。

 「命婦のおとど」がみっともなく縁側で寝ていることをたしなめるために、乳母は「翁まろや、命婦のおとどを食ってしまえ」と命令するのです。
 その命をまに受けた「痴れ者(愚か者)」の翁まろは、命婦のおとどを驚かしてしまいました。
 それゆえに翁まろは、犬島への流罪を命じられてしまうのです。

 以上のことからわかるように、犬への扱いって結構ひどかったんです。
 野放図にされていた犬は、街中の諸々の(あえて何のとは言いませんが)死骸を食べ漁るなどしていたため、「食へ」なんて命令されてしまうし、忠実に言われたことを遂行しただけなのに流罪にされてしまうのです。この後にも話は続いて、翁まろのかわいそうな様子が描かれます。

「犬君」の名前

 「犬」の語について立ち戻ってみると、以上のようなことも一因で、接頭語の用法ではものの初めに「犬」をつけると、蔑みの意味を持たせたり、にせものを表したりすることも古語ではよくみられます。
 高校で日本史を学ばれた方は、連歌集の「菟玖波集」に対する「犬筑波集」という俳諧集があることをご存知と思います。また、江戸時代初期には、印刷の興隆にともなって古典作品が流通し、パロディ作品が多く書かれるなかで『枕草子』のパロディ「犬枕」や、『徒然草』のパロディ「犬つれづれ」、なども登場してきます(これについては拙稿を『雙峰論叢』第9号に投稿しております。そのうち発行されるのでよろしければ(しれっと宣伝))。

 先の辞典(2)の意味でも、「飼い主になついて離れず付き従う」というのは、ポジティブなことのように私たちは思いますが、それが「煩悩」の比喩になってしまうのですから面白いものです。

 このように考えると、「犬君」という名前はどういう意味を持っているのでしょう。

 先に見た「翁まろ」の例と照らし合わせると、どうもそうした野蛮な印象を与えます。実際に犬君ちゃんも紫の上を二度も困らせていますからね。
 じゃあ紫の上をいじめる野蛮な子が犬君ちゃんなのだ、と決めつけてもよいのですが、ちょっと立ち止まってみると、「いくら物語上の人物とはいえ、そんな名前の女の子ってかわいそうじゃない??」と疑問が浮かびます。

 文脈に返ってみましょう。「犬君」の語は紫の上による発言にしか登場しなかったのでした。紫の上にとっては野蛮、いじめてくる存在だったとしたら、「犬君」ってもしかしたら紫の上だけが呼んでいたあだ名だったのかな??とも考えられそうです。

 なぜここで「紫の上にとって」と書いたかというと、犬君の行動は当時の一般的に考えて、別に野蛮ではなかったからです。

 若紫巻の場面では、伏籠に閉じ込めていた雀の子を逃してあげています。伏籠というのは、中で香を焚いて、衣服に香りをつけるためのものです。そんなものをおもちゃに使うんじゃないよ、と怒る気持ちもわからんでもありませんし、籠がなんかちょっと汚くなりそうというのは僕の主観ですが、この平安の時代を考えるにあたっては、仏教の影響を忘れてはいけません。

 仏教では殺生は重く禁じられています。殺生には単に殺すというだけでなく、残酷な扱いをすることも含みます。罪のない雀を、伏籠の中に閉じ込めるというのは、仏教の教えに反しているわけです。

 また、紅葉賀巻では、元日の場面が描かれていました。
 犬君は紫の上の遊んでいた人形たちを「追儺」と言って散らかしますが、「追儺」とは何かというと、大晦日の行事で、豆をまいて鬼を追い払ういまの節分の豆まきにあたるものです。

宮中の年中行事の一つ。大晦日(おおみそか)の夜、疫病の鬼に扮装(ふんそう)した舎人(とねり)を矢で射て、災難を払い除く儀式。

ジャパンナレッジ版『小学館 全文全訳古語辞典』「おにやらひ【鬼遣ひ・追儺】の項
引用元同前掲

 元日のお祝いの日だというのに、人形遊びばかりしている紫の上を、これもまた追儺を再現してたしなめたと考えられないでしょうか。

 なぜ犬君がこんなにもたしなめ役にされているかというと、紫の上と犬君の出生にも関係していそうです。
 紫の上は早くにお母さんを亡くしています。だからというわけではないですが、彼女は乳母のもとで育てられます。当時は生みの親と育ての親とが別だったため、乳母は預り子を育てるために、乳を出すため自分でも子を産みます。この子のことを乳母子というのですが、この乳母子にあたるのが、犬君なのではないかと考えられるのです。

 つまり、血は繋がっていないとはいえ、犬君は紫の上のお姉ちゃんとして、大人に囲まれて紫の上の世話をしていたのではないかと考えます。

 だけど、まだまだ幼い紫の上はそんなことを聞き入れるはずもなく、彼女にとって犬君は、ちょっとだけ年上のうるさい凶暴なお姉ちゃん、くらいの認識だったのかもしれません。

 先の若紫巻の場面を見てみると、紫の上らを垣間見ている光源氏は、従者に乳兄弟(光源氏の腹違いの兄弟)である、惟光の朝臣を連れていたことも、紫の上と犬君の関係性を暗示しているかも、とも考えられますね。

 ちなみにちなみに先ほど「『犬君』はあだ名だったんじゃないか」と申しましたが、平安時代の女性の名前というのは、口に出すとよろしくないとされていたので住んでいる場所とか官位などを名前にしていたわけですけどここでは、紫の上だけが勝手に呼んでいるあだ名だったんじゃないか、ということです。あくまで推測の域をでませんけどねー。

 「犬」の語だけでここまで話が広がってしまいました。本当は、「君」についても書きたいし、もっともっと他の視点に着目して考えられる対象が「犬君」だと思うのですが、僕はこの犬君ちゃんになんだかとても心を惹かれてしまいました。

 なぜかというとここまで書いてきたように、実態がよくわからないからです。だって2回しかでてきていないし(あえて書きませんでしたが、そもそも2回登場する「犬君」が同一人物ではない可能性もあるわけで)、台詞もないし、全くわからない。ただ、わからないからこそ、ゆかしき心地ぞする、ということです。このことは古典文学一般の話にも敷衍できます。どこまで考えても、わからないものはわからない、という限界がある中で(しかも虚構の作品だから作者の存在も大きく関わってくるし)、現代の常識を取り払って、想像力を働かせつつ、どこまで古典の世界に入り込めるかということに挑戦することが、僕にとってはこの上なく楽しいと思います。

 この文章のタイトル、「犬君と古典と比較文化と」は、犬君の話をして、それを古典文学の話に広げて、それを僕が比較文化学類でやる意味、というように展開していこうと思っていたのですが、犬君の話だけでちょっと疲れてきました。
 少しだけ古典の話に広げます。

古典について。

 先に見た犬君が登場していたのは『源氏物語』でした。前近代、いわゆる「古典」の時代では、『源氏物語』『伊勢物語』『古今和歌集』『和漢朗詠集』の4つが必須の「古典」として共有され、必要最低限の教養として「古典的公共圏」が広がっていた、というのが前田雅之さんのご論です。

 現代では頻繁に、「古典は不要」「古典は役に立たない」という議論が持ち上がります。

 そんな議論は、古典の時代にはあり得なかったのです。教養主義の時代において、古典は必須の知識として、政治の場でも、芸事の場でも欠かせず、知っていなければ使ってくれないという社会でした。
 たとえば先ほど若紫巻の一部を読みましたが、室町時代の学者、一条兼良の『連珠合璧集』には

雀子トアラバ、紫、烏、ふせこ、北山、ひなあそび

一条兼良『連珠合璧集 2巻』[1],一条冬良写,文明8 [1476]. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2544948 (参照 2023-12-11)

とあるように、「雀子」という言葉を聞いただけで、先の場面を思い出して「紫の上」「烏に食われる」「伏籠のうちに…」「紫の上の雛あそび」を連想させて、和歌、連歌を詠み、わいわい嗜んでいました。
 古典を知っていれば「使えた」し「使われた」。それが共通の評価基準としてたしかに日本には存在していた。

 現代ではそのような統一された価値基準はおそらくないように思います。それが悪いと申しているのではなく、むしろ今日の多様性の社会ではそうあるべきと思いますが、そうは言っても、多少は共通理解として知っていないと、日本という国は何にでもない国になってしまうんじゃないの、と思います。

 すみません、ここの項目については別でまた書こうと思います。

比較文化について(自己紹介)。

 さてここで、差し置いていた自己紹介をやっとしたいと思います。
 比較文化学類3年生で、日本文学コースに属しています。

 入学当初から、古典を学びたい!の一心だったのですが、それだったらなぜ、他大学のいわゆる「文学部国文学科」に進まなかったのか、と聞かれることがあります。
 私は高校時代に古典に興味を持ち、高校の先生になって古典を教えたいな、と思うようになりました。このあたりの詳細は、以前Youtubeでマイジェネさんが取り上げてくださったのでその動画をご覧いただければと思います(司会のお二人に助けられたけど俺話すの下手すぎだろ、と思った)。

 恥ずかしいので見ないでください、というと営業妨害になってしまうので、URLを貼らず、みたい方に調べてみてもらうようにします。「マイジェネ 古典」とかで調べると一番上に着物の野郎が出てきます(言い訳ばかり出てくるけど一年以上前の動画なのでもっと補足したい部分はたくさんありますしあとこの時寝不足で顔面の調子が悪いです)。

(YouTubeのURLを貼ったつもり

 YouTubeでお話しした、擬古文の創作を通じて、あ、これは古典文学畑にいるだけじゃ何もわからないな、歴史や思想はもちろん、言語や地理や宗教、民俗、とか、もっと広い視点を持たなきゃだめだな、と痛感しました。
 古典を軸にしつつも、周辺領域も関連させて学ぶという点で比較文化学類は最適でした。そもそも筑波大学のシステム自体がありがたいです。人文や日日、芸専やklisなどによくお世話になっています。

 そういうわけで、AC入試を受験して、圧迫面接を通り抜け、こうして楽しく学べています。

 比較文化学類ではどうしているかというと、尊敬する先生方や同級生・先輩後輩に恵まれ、古典の研究を進めています。

少しだけ研究の話

 先ほど『枕草子』の研究をしたいとちらっと申し上げましたが、詳しく述べるのはまたの機会にしようと思います。簡単にまとめると、『枕草子』の文学史です。先ほど「犬」の話をした際に、近世初期には古典のパロディ作品が多く出版されたと書きました。パロディ作品に限らず、北村季吟らをはじめとする国学者による研究や注釈書の出版も隆盛を迎えます。
 この近世初期という時代に見られる古典作品(とくに『枕草子』)には、現在私たちが目にする作品のあり方とはちょっと異なっていたようです。
 また、『枕草子』の作品自体も古典の中では異質なもので、そういえば先ほどあげた前田氏のご論にも『枕草子』は必須の古典とはされていないようでした。実は『枕草子』、中世の記録や写本がほとんど(全く)残っていないのです。度重なる戦乱によって、燃えちゃったらしい。

 だから、中古に書かれた『枕草子』が、暗黒の中世を経て、近世で謎の様相を表し、近代・現代にいたる。というのは文学史を巡る大きな問題といえます。かなり謎深き作品なのです。なのにそれが高校の古典の教科書にはよく取り上げられているというのも、高校教師を目指す僕にとっては切っても切れない縁のように感じています。
 学群の段階ではその一端を明らかにできるような研究ができたらいいなあと考えております。
 詳しくはまた書きます。発表は卒論提出と同時かもしれませんが。

少しだけ狂言の話

 さきほど紹介したYouTubeでは狂言についても話していました。
 サークルで筑波能・狂言研究会に入っており、主に狂言をやっています。狂言とは何かと簡単にいうと、室町時代から続くコントです。お笑い劇。対する能はミュージカルと言われるので、2つは悲劇と喜劇がセットで交互上演される「能楽」という伝統芸能です。

 これがなんで面白いかという内容の話をしはじめると本当に終わりが見えないので、先ほどの「犬」の話に関連させましょう。
 狂言は、室町〜江戸時代の人々の口語が口承によって受け継がれています。なので、古文を読む時とは異なる話し言葉がわかるんです。
 古文は文語で書かれていますので、話す時の言葉とは異なります(この二つを統一したのが、明治の言文一致運動として二葉亭四迷の『浮雲』があるというのは有名な話です)。
 狂言をみていると、そこに面白い言葉がいくつも登場します。
 例えば、犬の鳴き声は「べうべう」、現代仮名遣いに直すと「びょうびょう」と鳴いているのです。これは別に犬の鳴き声が変わったのではなく、人間の聞き方が変わったと考えるのがよいと思うのですが、面白くないですか???そういう言葉の変遷がわかるとともに、実際に現代でも上演されている。しかも内容が面白い!!
 そんな感じでとりあえず狂言の話はここまでにしておきたいと思います。詳しくはまた。(←こればっかり)

 以上、ながながと書き連ねてしまいましたが、末筆といたそうと存じます。
 おそらく古典に関するこの長文を全部読まれた方はいらっしゃらないと思いますがもし読まれた方はチャンネル登録と高評価お願いしますね!(?)

 そういえば私は実際にお会いしている方には自作の名刺をお渡ししています。香を焚きしめていい匂いがします。いろんな人とお話をするきっかけにしたいと思ってやっていることですのでいつかどこかでお会いできるといいですね。見かけたら名刺をせびってください。

 それではまた。

参考文献

須藤圭(2018)「若紫はどう語るのか −源氏物語『雀の子を犬君が逃がしつる』解釈の諸相−」『日本文学』67(11)82−86頁
三谷邦明(2001)「犬君(いぬき)・源氏物語におけるマナー違反者」『児童心理』55(13)1252−1257頁
今井上(2012)「『源氏物語』「雀の子を犬君が逃がしつる」」鈴木健一編『鳥獣虫魚の文学史②鳥の巻』三弥井書店、93−112頁
前田雅之(2022)『古典と日本人−「古典的公共圏」の栄光と没落』光文社

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