身体認知 ~行為主体感と身体所有感~
こんにちは。
今回は、私が主に研究テーマとしている「身体認知」について書きたいと思います。
初めてnoteに私の勉強していることを書くので至らぬ点もあるかと思いますが、建設的なご意見をいただけますと幸いです。
なぜ「身体認知」について研究し始めたのか
私が身体認知に興味を持ったのは、PTとして働き始めて2年目の頃でした。
ある勉強会に参加した時、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の介入効果について動画を見せていただきました。
そこでは、脳卒中により手に痺れが生じ、麻痺側の手を普段から使用しなくなった患者さんがいらっしゃいました。
そんな患者さんに対しBMIを使用し介入した結果、その方は、手の痺れが減弱し、茶碗が持てるようになるまで回復していました。
介入前は、非麻痺側の手で動作を行っていたのに、介入後は、麻痺側の手を自分のモノのように可愛がっていたそうです。
私はそれを見た時、衝撃を受けました。
ただ単純に「こういうリハビリがしたい!」「動かせなくなった手足を動かせるようにしてあげたい!」と思い、身体認知について勉強し始めたのがきっかけです。
その中で、運動麻痺を呈した患者さんの行動変容を起こすためにはやはり身体認知を再構築する必要があることを学びました。
そこで、私のnoteでは「身体認知」について書き綴っていこうと思います。
身体認知とは
「身体認知」の定義を明確に書いた文献は私が調査した中ではありません。
(もしかしたらあるかも…。もし知ってる人がいたら教えてください!)
私が様々な文献を調査した結果、身体認知とは…
「自己身体の部位や位置、動き、姿勢などの感覚的な認識や理解のことであり、様々な知覚機能に基づき、自己身体と外部環境との関係を把握し、自己の身体を認識する能力」
だと思っています。
ヒトは、体性感覚や前庭感覚、視覚などの知覚情報を統合し、自己の身体を認識しています。
さらに、自己を取り巻く外部環境と自己身体との関係性を常に把握しながら私たちは、外部環境に適応しています。
例えば、目の前に階段があるとします。
私たちは、特に何も気にせず階段を昇ったり降りたりしていますが、
脳の中では、身体からの固有感覚情報や前庭から頭部の位置や傾きに関する情報、眼からは階段と自分との距離感や段の高さなど様々な感覚情報を瞬時に知覚・統合しながら「階段」という外部環境に身体を合わせて(階段の高さに合わせて脚を上げる動作など)適応しています。
そのため、ヒトが日常生活動作を問題なくこなすためには、
「身体認知」が必要不可欠です。
行為主体感と身体所有感
先ほどの「身体認知」とは概念は異なりますが
この身体認知と密接に関連しているのが「行為主体感」と「身体所有感」です。
行為主体感(sense of agency)
行為主体感とは「ある行為を引き起こしたり生み出したりしているのは自分であるという感覚」のことです。(Gallagher, 2000)
自己の手足が自分の思うように動かすことができれば行為主体感は生じ続けます(普段は「自分が動かしている!」と意識することもありません)。
これは外部環境に働きかけた時にも生じます。
例えば、自分でスイッチを押した瞬間、部屋の電気が点いたら、「自分が電気を点けた」というふうに思いますよね?
これも行為主体感が生じた瞬間です。
逆に、自分でスイッチを押したのに、電気が点かなかったり、数秒経って電気が点いたりすると、なんか気持ち悪くありませんか?
これは行為主体感が低下した状態です。
特に私は、パソコンのマウスを動かしているのに画面上の矢印が思うように動かないときは、行為主体感が著しく低下します。(笑)
身体所有感(sense of ownership)
身体所有感とは「この身体は自分の身体であるという感覚」のことです。(Gallagher, 2000)
皆さん「Rubber Hand Illusion」は、ご存知でしょうか。
分かりにくい図で申し訳ありませんが、
Rubber Hand Illusionとは、偽物の手であるラバーハンドを実際に自分の手のように錯覚することです。これは、身体所有感の実験として有名な実験方法です。
なぜラバーハンドが自分の手のように感じてしまうのでしょうか?
ヒトの脳には視覚や触覚などの多数の感覚を統合する脳領域(特に頭頂葉)があります。自己身体に同期的に刺激が入力される場合、その身体部位は「自分の身体である」というふうに認識されます。
つまり、身体所有感は多感覚統合により生じると言えます。
Rubber Hand Illusionの場合、刺激を受ける対象者は、ラバーハンドを見ながら、「ラバーハンド」と「本物の手」の同じ箇所を同じタイミングで、筆で撫でられ刺激を与えられます。すると、眼からは「ラバーハンドを筆で撫でられる」視覚情報が、本物の手からは「筆で撫でられる」触覚刺激が、同じタイミングで脳内に送られ統合されるため、ラバーハンドが自分の手のように錯覚してしまう、ということになります。
このことからも、身体所有感は多感覚統合により創出されると言えます。
行為主体感と身体所有感は混在する
能動的な動作において、これらの「行為主体感」と「身体所有感」は混在します。私は、身体所有感が無ければ行為主体感は感じることはできないと考えています。最近の知見からも、行為主体感は身体所有感の一側面を構成するとも言われています。それは、どういうことでしょうか?
これは「能動運動」と「他動運動」に分けて考えるとイメージがしやすいと思います。
「能動運動」における行為主体感と身体所有感
能動運動とは「自分の身体を自分の意志で動かす運動のこと」です。
例えば、コップに手を伸ばす時(リーチ動作)、
「コップに伸ばした手」は自分の身体であるという身体所有感が存在し、
「コップに手を伸ばした」という運動は自分の意志である行為主体感が存在するように、能動運動時では、行為主体感と身体所有感は混在しています。
普段の生活で考えると、日常生活動作は「能動運動」の連続であるため、ヒトが自分の意志で行為を行う場合は、行為主体感と身体所有感は混在しています。
「他動運動」における行為主体感と身体所有感
他動運動とは「自分の身体を自分の意志ではなく、第三者(あるいは機械など)が外力によって動かす運動のこと」です。
リハビリの場面では、よく見られる光景だと思います。
例えば、ベッド上で関節可動域訓練として、患者さんの脚をセラピストが動かしているような場面で考えると、
患者さんからの目線に立つと、「動かされている脚」は自分の脚であるため身体所有感は存在しますが、自分の意志とは関係なく動かされているので、そこには行為主体感は存在しません。
普段は「他動運動」のような場面は少ないため、
日常生活動作で考えると、患者さんの能動運動を引き出すためには、行為主体感と身体所有感を混合した状態で捉えることが重要であると私は考えています。
この内容に関してはまた次の機会に説明したいと思います。
おわりに
今回は「行為主体感」と「身体所有感」について説明してきました。
とりとめのない内容になってしまい申し訳ありませんが、
身体認知について話し出すとかなりの量になってしまうため、
今回は導入の部分だけ説明させていただきました。
これから身体認知の評価や治療について聞きたいところだと思いますので、少しづつ書き綴っていこうと思っています。
私の記事が誰かの役に立ってくれれば幸いです。
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