アニメ『境界戦機』の個人的な感想 第17話編?(宇堂キリュウを通して見るアモウの心理に関する一考察)

今回の記事だが大半が主観に基づく憶測になっているのでいつも以上に怪しい内容になっていることを改めて断っておく。それでもいいという人はどうか読んで欲しい。

はじめに

二期が始まってから以前と随分印象が変わってしまったアモウに何があったのかが一応語られはしたものの分かったのはアモウの傷心状態が深刻で一言二言の慰め程度ではどうにもならないということくらいで、15話で彼が苛烈な行動を取った理由にはならないのではないと思わざるを得ない。

しかし今後アモウの心理に迫るような描写も期待できないので大変心苦しいが描写されてるものを繋ぎ合わせて妄想もとい考察をしてみることとしようと思う。

ある人物との比較


さて、この考察(?)を進める上でアモウ以外にも注目するべき人物がいる。

作中屈指のポジティブ思考、あるいは度を越した楽観主義者。
我らがレジスタンス八咫烏代表兼出資者、宇堂キリュウその人である。

キリュウは公式の紹介において「日本独立への情熱にあふれヤタガラスの戦略立案を担っている」とのことであるが、実際の描写はその説明とは大きく異なっている。
日本の現状を憂い日本が経済圏の支配から解放され復興を成し遂げることを強く望みそれを果たすために熱意を注いでいることは間違いないのだが、何かしらの戦略を組むことはしないでその時の思い付きで行動の指示を出しているのが常である。
避難民を見かけたら避難先で暮らせていけるように手配し、ゴーストの危機に曝されている民間人の為に総力を挙げた救出作戦を行う様は柔軟かつ臨機応変なフットワークが軽いような見え方も出来なくないが、悪く言えば組織としての一貫性に乏しい行き当たりばったりなものでそこに戦略性を見出だすのは難しい。

一方で発言はいつだって前向きなものであり、自分達の行動が日本の為になるとその都度力説しており、その姿勢はブレンゾン社の支援が途絶えて組織が困窮してからも変わらなかった。
ただしこの時キリュウは現場におらず自宅からのリモート通信であったことは考慮した方がいいかもしれない。

あと彼は人から話されたことの受けとり方もピントがズレたものになる時があるらしく、今回ミスズからアモウに何があったのか話をされた際に「仲間を失う辛さはよく分かる」という返答をしており、どうにもアモウの抱えた苦悩が何なのか分かってないんじゃないかと思ってしまう。

話がズレてしまった。
リーダーとして実務面での欠点もあるキリュウがどんな時であっても(あえてこの言い方をするが)ブレないでいられるのか考えてみたのだが、それはアモウが持ち合わせていない(それゆえに苦しんでいる)ものを持っているからだろう。

それはすなわち『自己肯定感』である。

というのもキリュウの主張は曲がりなりにも現実に則したものであり、それは『日本人が経済圏により蔑ろにされている』点である。
自由アジア軍は勿論のこと新型アメインによる攻勢を展開する北米軍にもそうした手合いがいるのは本編でも描写がされており、だからそうした暴虐の輩からいたいけな日本人を守り助けるという構図を自分の中で確立しているから自信をもって声を上げられるのだということである。

さてようやく本題に入れる。
自己肯定感に溢れ自身の主張を力強く展開するキリュウに対して、アモウはというとそれとは全く正反対であると言える。
虐げられる日本人はあくまで他人事でしかなく、自分が将来成したいことも見つけられずにいたのがストーリー序盤のアモウであり、ヤタガラスに入った後も自分から何かをするのではなく上からの指示に従うのが常となってしまっていた。
強いて言うなら熱暴走した状態で逃げようとするゴーストを(何を思ったのか)止めようとしたことぐらいだろうか。
ただしミスズに助けられ行動を共にしている中でもヤタガラスのことは気にかけており戻ってもやっていけるように厳しい訓練を受けたりと自主性は少なからず持ち合わるようにもなっていた。
ならばそれが襲撃事件によりおかしな方向に向かってしまった…とは考えられないだろうか?

アモウが欲しているものは?

先に自分の考えを述べよう。それは『他者から自分の行いを肯定してもらうこと』である。

これは憶測の域を出ないのだが襲撃事件以降のアモウは戦いを通して誰かを守ったと身近な人に認めて欲しいという気持ちがあるように自分には見えるのだ。

そして同時に自分のような人間が認められてはいけないという『自己否定』との板挟みに陥ってもいると考えられる。

というのも襲撃を受けた際のアモウの精神状態は極めて不安定なものであり『自分の命が危険に曝されている』ことしか認識出来ない状態で発砲しているように描写されている。
そして助けが入り全てが終わった後でようやく横にいた子供らの存在に気付き、そのひとりが恐怖に顔を背けた姿にショックを受けていた。

これを『アモウは自分が助かりたい一心で撃っただけなのに子供らに「助けてくれて有り難う」と労われたい自分の浅ましい願望を自覚してしまい結果としてどうしようもない自己嫌悪に陥った』と捉えることは出来ないだろうか?

こうして心の傷を癒せぬままヤタガラスに復帰したアモウは今度はあからさまに危険人物であった北米軍のブランク大尉を始末した訳だが、それは深く植え付けられた自己嫌悪を払拭することにはならず苦しみ続けているのではないか…ということである。

こうは言ってるがあくまで憶測でしかないことを改めて断っておく。

それでこの窮状からアモウが抜け出すにはどうすればいいか考えたのだが、やはり近しい人からの言葉しかないと思う。
「アモウの行為は誰かを守ったものである、助けられた人はその場では分からなくともいつか理解してくれる」と言ってもらえたならばすぐに心が晴れることはなくとも自己否定の悪循環から抜け出す糸口になり得るのではないかと。

しかし問題なのはこれを的確に出来る人間がアモウの近くにいないことで、ミスズはろくにメンタルケアをしていない疑惑がありガシンは言葉足らず、ある意味一番上手くやってくれそうなキリュウは同時にとんでもないことを言ってアモウを精神的に再起不能にする危険性が否定できないときている。

果たして次回からどうやって乗り越えていくのか、身構えながら待つことにしたい。

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