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積ん読は決して減らない

読みたい本があればすぐにタイトルと著者名を控える。
片っ端から買い集めていたら破産してしまうので、その中から取捨選択して本屋へ駆け込む。
いつか好きなだけ本を買っても家賃、水道光熱費その他必要経費を支払って、尚ゆとりある暮らしができる人間になりたいものだ。
もしも、気になった本を残らずに購入できる金銭的余裕があったならば、すべて購入するだろうか。
私の場合、答えはNOだ。
たとえ本が手に入ったとしても、すべてを楽しむ時間がないので、やはり読める本を厳選して入手するはずだからだ。
schoolの語源のscholeは余暇を指す。
やはり時と金の両方を持ち合わせている者だけが教養を身につけるのにふさわしい、ということのあらわれなのだろう。
しかし、時は現代。
時間も金もない現代人の私だが、やはり死ぬまでに可能な限り本を読みたいし情報を吸収したい。
そして新刊が出ればチェックしたい。
新聞広告の経済書も、ダ・ヴィンチに掲載されているランキングデータの漫画も、どんどん積ん読リストに追加されていく。
やみくもに増え続ける積ん読本。
そこで、せめて積ん読は月に10冊までにしよう、などとすぐに破りそうなマイルールを設ける。
ルールを設定した本人は、はじめのうちは厳守することを試みる。
ダ・ヴィンチを読むのは控える、本屋の前で立ち止まらない、電車の中吊り広告を注視しない、など。
日常二あふれる本の情報を遮断すべく涙ぐましい努力を重ねる。
そんな中厄介な存在なのは、本の紹介本である。
仮に「大学教授が勧める大学生が読むべき100冊」という本があるとする。
見かけの積ん読は、上記タイトルの本が一冊増えただけだが、実際は、その本の中に紹介されている100冊が含まれているので積ん読は101冊増えたことになる。
リストインした本人は、そのことに気が付かないのだ。
気がついたのは、実際にその本を手にとって中身を確かめたときである。
ページをめくるたびに、気がつけばあれもこれもと積ん読リストに書き加えている。
これじゃあダ・ヴィンチを読まなくした意味がないじゃないか。
ゆえに、積ん読本は減らない。
そしてこれは、自分だけの話ではないと思う。
公表していないだけで、人類誰もが抱えている問題であろう。
実際に紙の本で積ん読すると、世界中の家屋の床が抜けるに違いない。
電子書籍にしてもデータ容量がいっぱいになることだろう。
そんな心配をしながら、今日もまた積ん読を重ねる。



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