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かなしいきもちの とびたつような (ポエムとアクセサリーと思い出し怒りについて

パタリーさんのイヤカフ(ヘッダー参照)を買いました。
すてきなものを買ったときは本来の用途以外の愛で方をすることもある……ということで、noteを書きます。


〇はじめてポエムが流れてしまった

9月末からパタリーさんの委託販売をされている吉祥寺のにじ画廊さんはもともと以前に知ってる方が展示をされていたり近くに素敵な書店があったりと、場所もばっちりわかる場所だったので、ここならいけるぞ、とわくわくお店をのぞいてきました。そう、わたしは思い込みの激しい方向音痴……初めての場所はハードルが高くて尻込みするタイプ……。
扉を開けて正面、レジの奥のパッチワークのカーテンの向こう側が展示スペース。最初にお伺いしたのは平日の昼間だったので人も少なく、指輪やピアスは勿論、刺繍作品も思う存分眺められました。

ところでこれ、どこまで普及している文化なのかわからないのですが、わたしのタイムラインにはコロナ罹患について「🧚(妖精)になりました……」と表現してる人がたまにいます。
そんなわけで、陳列されているパタリーさんのピクシーイヤカフを見た瞬間、ふと思ったこと。

(……わたしコロナになったから買ってもよくない?)

いやいやアクセサリーってそういうもんじゃないでしょまあでもひとつのネタとして……に、似合うな?(動揺)
素材にしろモチーフにしろ、ポップさやファンタジックさ、少女らしさのあるパタリーさんのアクセサリーは自分にはちょっと難しいかも、ましてピクシーイヤカフは名前の通りファンタジー要素が強くて綺麗だけど職場に着けていくのは厳しそうだし、指輪より難しいかも……と思っていたのですが、むしろ指輪より予想外に似合って(いる気がして)しまいました。
ちなみにピクシーイヤカフは今回全色もっていきますとアナウンスされていたんですが、最初に手に取ったのが一番似合っていたし、買ったのもそれでした。

いやでもさ……とツッコミを入れるわたし。
そんなコロナになったからってあなた、ネタ込みで買ってどうするの。作家さんに失礼じゃない。JJGの方がみんな買ってるから気になってる部分もあるんじゃないの?
大体今年は職場で人員減らされたからとか、趣味の場で酷い目に遭ったからとか、いろいろ理由つけてアクセサリーや鞄買ってるじゃないですか。靴も服も買ってるし、今までろくに買ってないからって言い訳してましたけど、そろそろ服飾費予算について真面目に考えても良いかもなレベルですよね?
しかもあなた、今めっちゃ気の抜けた格好だから試着と言っても耳元しか見てないよね?

そう、コロナからは回復したもののここ最近は引き続き在宅メインの生活が続いており着るものといえばワンマイルウェアが中心の生活、かつ、にじ画廊は比較的行きやすい距離だったので、その日のわたしは大変気の抜けた格好をしていたのでした。服もだけど、マスクしてるしええやろ! と、ぶっちゃけろくにメイクもしてなかったのは否定できない事実。
というわけでその日はしゅたっと撤退(JJGは即決をしないのだ)、改めてちゃんとした格好で試着して会場の壁に飾られていた、刺繍布で縁取られた鏡を覗いた瞬間。

(かなしい きもちの とびたつ ような)

このフレーズが浮かんだのでした……。
その人に似合う特別なものに出会った人は心に詩(ポエム)が浮かぶ、とはあきやさんが講演で仰っていたことですが、わたしの場合、今までのお買い物だと「なんかすとーんと合ってしまった、違和感がない……これ、か……?」という感じで買うことの方が多かったので、おおわたしでもこういうことあるのか……とちょっと新鮮でした。

と同時に気付いたこと。
わたし、かなしかったのか。

〇かなしさと傲慢さと

ちょっと暗いというか、いやんな話をします。

こちらのnoteでも以前に書きましたが春頃から数か月、仕事の人事が酷かったり、趣味の人間関係でなんだかあまりに蔑ろにされてるな……と思わせることが続いていました。
職場の人事については上にいろいろ訴えて解決しましたが、趣味の方は諸々が落ち着いてからメンバー全員の前(LINEグループ)で主催に喧嘩を吹っ掛けそれによって締め出された次の瞬間(体感)コロナになり、楽しみにしていた予定も吹っ飛んでしまった……でも熱も下がったしまだ怠い感じはちょっとあるけど他に症状はないし隔離期間も終わってこれから挽回するぞと思っていたら学生時代の友人に「コロナに感染した貴方を心配してDMを送ったのにTwitterを見ていたらこちらに返信もせず楽しく過ごしているようなのでフォローを切りました」という大変丁寧なご連絡(反語)をもらい。さて職場復帰と思ったら倦怠感で寝込み同時に濃厚接触者となったことが判明、ビタミンD欠乏もあって抑うつっぽくなるというなんだかもう踏んだり蹴ったりな展開となっておりました。あのさあ、水星逆行にしたって限度があるだろう……! と、何度心の中で叫んだことか。(ちなみに水星逆行は8/24~9/16ですが、まさに8/24に倦怠感で寝込みました。後遺症のあった期間=ほぼ逆行期間という恐ろしさ)今年は厄年でもないはずだぞ。

さすがに発熱時はそれどころではありませんでしたが多少体力が回復して頭のなかが暇になると、折に触れて数か月前のことを反芻してしまっていました。これはビタミン不足も理由の一因なんだ、思考とか感情とか心の傷とかそういうものじゃなくて神経細胞の反応なんだと分かっていても、終わった人間関係のことについて考えてしまう。
もともと、そういうことをいつまでも考えがちな性格ではありました。
思い出し怒り、というのでしょうか。その場では何も言い返せなかった場面を何度も頭の中で思い返して、ああいえばよかったんじゃないか、こういえばよかったんじゃないかと、相手の反応まで想像して考え続けてしまう。そんなことをしても何の得にもならない、時間の無駄にしかならない、だから別のことを考えなきゃとわかっていてもくりかえしてしまう。

この悪癖は休職中にお話ししていたカウンセラーさんにも指摘されていたことでした。復職に際しこれまでの経緯を整理するというワークがあったのですが、悪戦苦闘しているひとも多い中、わたしは休職前に上司や職場からこんな酷いことをされたということをA4の紙6ページに渡って書下ろし、こんな生々しいこと書いて体調大丈夫ですかと心配され、しかしここは労基署ではないし嫌な上司は再び現れる可能性もありますからそのためにできる対策を身に着けましょう、とはいえ確かに中々ひどいですね……と、しみじみ言われていたのでした。
(だから趣味の人間関係でメンバーに多少なりとも状況を話し、主催に喧嘩を吹っ掛けられたのは、未熟かもしれませんが「対策を身に着けた結果」ではあります。これでしおしおとフェードアウトしていたらそれこそわたしは、あの時主催にがつんと言っておけばよかったといつまでも思っていたことでしょう。
そしてわたしはそういう力を持っていた。休職前から、最初から。)

かなしかったし、酷いねと言ってほしかった。
でもそれは同時に、自分がもっと上手いことやっていれば今のような状況にはならなかったのではないかというある種の傲慢さがあった、ある、ということではないか。
職場の上司の振る舞いについて上司の上司に訴えていたら。趣味のグループの主催にもっと別の言い方をしていたら。わたしの物事の受け止め方がもっと違っていたら。誰も頼んでいないのに義務感で無理して仕事をしなければ。
もっとましな展開に。こんな酷いことにはならずに。
そう思うからくりかえし過去のやり取りを頭の中で再現する。でも例え、私が異なる振る舞いをしていたとしても、それで職場の上司や趣味のグループの主催の傲慢さが減るわけもなく、結局いつか別の形で問題は生じていたのではないか。
だからどうしようもない、誰にも悪意がなかったとしてもなおそういうことは起こりえるのだ……ということがなかなか認められない。しょうがないなあと諦められない。それはつまり、なぜ自分にこんなことが起きたのか納得できない、許せないということです。これは数年前気付いてぎょっとしたことですが、自分のキャパを超えた大変な出来事が起きた時、"わたしはちゃんといい子にしているのにどうしてこんな酷い目に合うの"と考えてしまう恐ろしい発想・価値観がわたしの中にはあって、たぶん今も抜け出せていません。

でもそれはそうだ、だって理由なんかない。

上司や職場からこんな酷いことをされたとくりかえし訴えたのは、そんなに相手が酷いならば仕方ない、無理ないですよ、あなたは何も悪くないですよと言われたかったからでしょう。でも、誰かに言われたら納得できるのだろうかと言われたら確かに一時は多少気が楽になるけど状況自体は変わらないのだからそれで解消することはなくて、結局同じ話を繰り返すことになる。休職前のカウンセラーさんとの会話がまさにそれでした。

それは、わたしさえ適切に行動していたらこんな酷いことは起きないはずだという幼稚さの裏返しではないのか。

(でも世の中にはあなたが物事の受け止め方を変えたら全てが好転する、こんなにいいことが……! という話もとても多い気がします。
それが間違っているとは言わないけれど、悪用されたり人を追い詰めたりすることも起こりやすい考えではあるような。
有名なニーバーの祈りでも自分に対処できることとそうでないことを見分ける賢さを求めているのだから、それができない人は案外多いのかもしれない)
わたしはやれるだけのことを十分やっていたのに。
それをわたし自身がちゃんと認めてあげていなかったのではないのか。

……こういうことを、転職して、休職して、それでもまだ気づききれていなかったのか、と思います。頭ではわかっていてもそのようには振る舞えていない。
正直、自問自答ファッションだって、もっと前に出会えていたらと何度も思っています。と同時に、でも今だからこそ自問自答ファッションの考え方を受け止め、実行できる自分になったのだろうとも思います。学生時代の自分に満足せず酷い言葉をかければかけるほど「良い自分」になれると信じていた、いわば「水への伝言」逆バージョンをしていた時よりは全然進歩している。
同じシーンをくりかえし反芻してしまうのもたぶん前よりは幾分ましになっている、それでもまだ残っている、それだけのこと。

〇かなしみは とびたつ


……そんなわけで。

青いイヤカフを試着した鏡のなかの自分を見た瞬間、ずっとわたしが頭の中でぐちゃぐちゃと考えループしていたできごとが頭から耳をするりとくぐり抜け、飛んでいったように思えたのでした。

このイメージを思い出せるようにしたい。だってこれ、指輪では無理だ。
何よりポエムが流れてしまった。

買いました。


購入後、タイムラインで。
いやなことをくりかえし考えてしまう人は「こんなこと考えちゃだめだ」とか考えずに手をぐーぱーしてみましょう、それも一つの瞑想です、という呼びかけをみかけました。あるいは、「こんなこと考えちゃだめだ、止めよう」ではなく「それはやらなくていい」と思えばいいのだと。
……後から、これっていわゆるお祈りも近い行為なのではないか、と思いました。手を合わせてその感覚に集中し、時に数珠の球を祈り、手放す。

当たり前ですがパタリーさんのイヤカフを買ったら今までの思考の悪癖がかき消えた……なんてことはなく、趣味の関係のことは今も思い出します。本当に嫌な人はミュートなりブロックしていますが、それ以外の関係者がSNSに多くいるので、どうしたって目に入ってしまうのです。そのたびに飛び立っていくイメージを思い浮かべ、手を握り、指輪を確かめています。
そもそもここでないどこかに思考を飛ばさない、という練習をもっとした方がいいのだろうな……しよう、と思います(宣言)。思えばSNS始めてから明らかに集中力落ちてるし。

少し前にタイムラインで、世の中は苦しいことから学びを得たという物語がとても好きで、生身の人間にも求めてしまいがちだけど現実はそうじゃない、という話が拡散されていました。
苦しいこと、嫌な事なんてないならない方が絶対にいい。休職はしない方がいいしコロナにはかからない方がいい。趣味の人間関係の決裂なんて経験しない方がいい。
でも世の中には「傷つけば傷つくほど、底意地の悪くなる奴だっているよ」というのも事実だから。
たぶんわたしは結構、よくやったんじゃないかと思います……と、暗示も兼ねて書いておきます。

あきやさんの、過去の自分に復讐しているという言い回しは前向きで好きです。

余談1

記事タイトルにポエムと書きましたが、SNSで詩を書く人をフォローしていると「ポエム」という言葉にはある種の揶揄を感じる人も多くて、それもわかりつつ、こういう時に浮かぶものを「ポエム」というのが今の世ではいちばん多くの人に伝わりやすいうのだろうなーと思います。わたしもわたしの心に浮かんだそのままのものを詩と書くのはちょっと気恥ずかしさがあるというか、ええと、もうちょっと推敲していいですかねという気持ちにはなります。
でも心にふいに浮かぶものって、どんなものであろうとその人の心にとっては大切なものなんだと思います。理想のバッグを見て秋の澄んだ青空みたいと呟いた人は、きっと秋の澄んだ青空にいつかの美しい記憶や大切な何かの象徴をみている。それは自問自答ファッションのコンセプトの言葉も同じである、気がします。

余談2

わたしは普段、冠婚葬祭にも使える真珠のスタッドピアスを職場の制服にしているんですが、イヤカフ購入後、組み合わせて使えるフープピアスと組み合わせて付けるようにしています。あの時見た、耳から流れ落ちる、飛び立つというイメージを思い出せるように。

そのものではないですがこういうやつと組み合わせて付けています↓。
https://agete.com/item/detail/1_1_10182123002_03_1/03

わたしのなかにかなしいことはとどまらない。
流れ、飛び立ち、みな立ち去っていく。

そうして楽しい方へ行く。

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