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自分

今日、節分の土曜日は仕事がないので、朝から近所を歩きながらザ・休日を楽しんでいます。

いつも起きる時間に目が覚めてしまったので、身支度をして歩いてコーヒーショップで手帳の整理をしていると、昔友人がくれた手紙が挟まっていました。

もう長く連絡をしていない友人です。
その頃はスマートフォンもなかったので、最後に会ったのは彼女がこの街に旅行に来てくれた時が最後。
その後少し手紙のやりとりをして、最後に受け取った手紙がそれです。

いつか素敵な便箋に返事でも、と思っても手帳を閉じてしまうと忘れてしまっている手紙です。
その後彼女が元気かどうかもわからないまま。

来月末に日本へ帰る用事ができて手帳のスケジュールを整理していたところでした。彼女に会いたい、とその手紙を見て思い、手帳の一枚を破って手紙を書きました。

手書きの手紙を書くことも無くなってしまい字もずいぶん下手くそで、切れ端はぎざぎざの不細工な手紙が完成。
どわーっと一気に書き上げたけれど、とても楽しい時間でした。

形にこだわるよりも、気持ちが牽引してくれるままに手を動かしてみるととても気分が良かった。
自分の欠点みたいなものを再確認したような気がしました。

月曜日、郵便局があいたら送ってみようと思います。
彼女がまだその住所に住んでいるかもわからないけれど、返事が来るかどうかも楽しみです。
アナログなことにわくわくしている自分もおもしろい。

携帯で繋がっているのならばすぐにいろいろなことがわかるけれど、それがしんどい時もある。
便利と不便の狭間を楽しめるのも、こんな時代だからかな、と、どうでもいいことを考える時間が今日はとまりません。

この数ヶ月は考えることが多くて、気持ちの悪い自分に出くわして落ち込むことも多かったけれど、緩やかに再浮上、テイクオフ。

コーヒーショップまでの行き帰りに、あちらこちらで春の芽吹きを見つけてはかがみ込んでニヤニヤ。そんな自分が戻ってきたことも嬉しくてニヤニヤ。

果てしなく自分だなあ、と、ぐるっと一周してきたような、少しだけ大人になったような笑
春が来ればひとつ歳をとるので、間違いなく少しだけ大人にはなっているなあ。

自分、という字を眺めてみると、自らを分けるとも読めるのか、と、タイトルに書いて思っています。
どこまでいっても割り切れない、分けきれない、わかることが出来ない、最も面倒くさい存在は、自分だなあ。

世界でも、私の生きる小さな世界でも、いろんなことが日々ありますけど、所詮できることは自分ごと。
身の丈を勘違いせずに、大事な人たちを大事にできる自分でありたいと改めて思う日です。


ひとつ前のnoteに書いた祖母が、先日102歳で亡くなりました。



黄色い花と緑の上の朝露。



日本で見る桜と同じ品種に感激



小さな宇宙。上手に丸い。




同じ方でしょうか。かわいい顔が見てみたい。

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