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MANSAI解体新書その弐拾九

2019年5月のFacebookからの転載です↓

昨夜のMANSAI解体新書その弐拾九が素晴らしく面白かったので覚書。トークのお相手は、欅坂46などの振付を担当しているダンサーのTAKAHIROさん、雅楽師の山田文彦さん。ニューヨークのダンスシーンで10年荒波に揉まれたTAKAHIROさんも面白かったけれど、昨夜の収穫は山田さん! あまりの奥深さに萬斎さんもタジタジすることがあったほど。皇室裏話、雅楽師ならではのお話が最高でした。

●宮中行事のデモンストレーション
皇室でたびたび行われる行事、神降ろし(かんおろし)を実演。とても原始的な木の響きのあるお琴の演奏では、最初は小さい声で話していた萬斎さんたちも息を詰めるほどの厳かな空気に満たされました。
その後、みなさんのトークやダンスで神様をもてなす神遊び(かんあそび)、最後には琵琶と琴を交え、山田さんが笙を演奏して神送り(かんおくり)。
「もしおかしな神様が降りていらしても、萬斎さん(陰陽師)がいらっしゃれば大丈夫でしょう」と。

●雅楽の歴史
昔々、日本には音楽といえばお琴と歌しかなかったそうです。そこに中国からきた楽師たちが即位か何かのお祝いに不思議な楽器を持ち込み、演奏をした。当時の人は「かっこいい!」となるわけです。そこで時の天皇は、外国から集められるだけの楽器を集めようとフィーバー。200年くらい経つと(時間の単位がすごすぎる)、使い道もわからない楽器の山が…。これは困った、ちゃんと保管しなきゃと立ち上がったのは聖徳太子。断捨離できず、それぞれの一番いい奴を立派な倉庫にしまい込み、これが正倉院宝物となりました。手元に残ったのは使い道の定かでない楽器の数々。
その不思議な最新ツールを使いこなし、音楽とお酒で盛り上がろうぜ、
という当時のパリピが平安貴族。そんな中、ヒット曲を量産したのかそう、この方!(と、ジャジャーンと肖像画を見せるも、みなさんポカーン)

山田さん「あれ、ご存知ないですか? 萬斎さんの親友かと思ったのですが」
映画「陰陽師」で伊藤英明さん演じた源博雅とわかり、おおーっと言う声が湧きました。彼が作った曲は今でも演奏される名曲ばかりだそうです。そうやって日本オリジナル曲ができるまでにまた100年。これで1000年前に雅楽ができて、今に繋がるのだそうです。狂言650年よりずっと長い! このお話を見てきたように軽やかにお話しされた山田さんが素敵でした。

●応仁の乱から織田信長
こうやって続いてきた雅楽に大ピンチが。京都の方が「先の大戦」という応仁の乱です。この時に多くの楽器や楽譜が消失。雅楽など宮廷関係者は、大阪や奈良に疎開して難を逃れましたが否応なく衰退の道に…。
そこに救いの手を差し伸べたのが、織田信長さん。気前よくポーンと寄付してくれて、雅楽は持ち直すことができました。そこで雅楽師は感謝を込めて、奏者の後ろに張り巡らせる幕に、織田家の家紋「織田木瓜」を入れることにしたのでした。以来400年、雅楽師の後ろには織田木瓜が。「今で言うスポンサーですね。しかも1社提供みたいなものです。相当いただいたんでしょうが、400年もPRできるのだったら、なかなかの効果ですよね」

●雅楽師、日本初のオーケストラに挑戦
時は移って明治の世となり、外国から宮中にお客さまを迎えるにあたり、やはり音楽は必要だろうということに。そこで雅楽師たちに「西洋音楽を演奏せよ」とのご下命とともにバイオリンなどなどが渡されます。絶対嫌だ!! とプライドをかけて雅楽師たちが立ち上がったのが、日本初のストライキだそう。
結局その後、雅楽師による日本初のオーケストラができるわけですが、なんと「西洋音楽面白い!」とハマってしまった雅楽師が続出。当時の雅楽師の半数が辞めてしまうという事態にとなりました。当代一流の訓練を受けていた彼らはそれぞれ、「◯◯響」「◯◯オーケストラ」の創立メンバーとなったそうです。

●宮中晩餐会にて
そんな流れを受けて、現在の雅楽師も西洋楽器の演奏を嗜む…というレベルは遥かに超えて宮中晩餐会では、和楽器を洋楽器に持ち替えて生演奏をするそうです。
「だから僕らは日本で一番古いオーケストラ団体ではありますけど、一番うまいわけではありません!」
さらに宮中午餐会では、衝立の向こうで演奏し、最後には皇族方がその衝立を取り去って「ここで演奏していたんですよ」とご披露するサプライズが定番なのだそうです

「いや、録音でいいと思うんですけどね。どうせみんな聞いてないし。最後の10分くらい前にスタンバッて、やってたふり、みたいな」

●センターはやっぱりテンション上がります
現在、宮内庁に所属する雅楽師は25名。14、5歳から訓練を受けて7年間で21の楽器をマスターします。西洋音楽みたいにバイオリニスト、ピアニストと専門家になるわけではなく、みなさんマルチプレイヤーなのです。年3回試験があり、それに向けて1人の生徒を7、8人がかりで教えるというのがすごい! 欠員が出ると募集するそうで、辞めるとなったらその7年前から後継者育成に入るようです。

さらに、神さまに奉納するダンスも雅楽師の方が担当。先日の亀の甲羅を割る「斎田の儀」も山田さんたちが行なったというし。もう、雅楽師とお呼びしていいのかどうかもわかりません。「儀式のたびに、誰がどこで演奏するか、偉い先生がお決めになります。センターに指名されるとやっぱり燃えますよ。ヨッシャーっ!!みたいな(笑)」

宮中にある演奏用の舞台の写真も見せてくださいました。白の玉砂利が敷かれた真ん中に一段高い舞台があり、その後ろに大きな火焔太鼓が2台。
「本来は文化財なんですけど、指定を受けないように頼んでいます。文化財になると叩けなくなっちゃいますから」
ちなみに山田さんは幼い頃、お父さまに「伝統芸能はかっこいい!」と、野村萬斎さんを見せてもらい、その姿に憧れて雅楽師になった、というすごいお話を最後の最後に聞かせてくださいました。

覚えている限りはこんな感じ。
ほかにも、雅楽から派生した言葉とか、面白い話が盛りだくさんでした!

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