日米開戦と経済《2》
昭和16年前半の状況。有沢広巳の回想では、日本の生産力には増加の余地がない。ドイツの戦力も今が峠。
アメリカは国内経済を15~20%切り詰めるだけで日本の7.5倍の実質戦費がまかなえる。英米間の輸送もUボートの撃沈能力を遥かに超える造船能力を持っている。
秋丸の回想
対英米戦の経済戦力の比は20対1と判定。開戦後2ヵ年までは備蓄戦力によって抗戦可能でも、それ以降は我が経済戦力は下降し、英米は上昇して行くので持久戦には耐えられない。
判決
英米合作すれば英国の不足を補える
その上、70億ドルの軍需資材の供給余力がある
ただし、最大供給力の発揮までには1年~1年半かかる
英船舶の月平均50万トンの撃沈は米国の援助を無効化できる
1943年において英米合作の造船能力は年600万トンを超えることはない
英米
イギリスは海上輸送が致命的戦略点となる。空襲、海上遮断、属領植民地からの補給遮断、独軍上陸によりイギリスを早期に降伏させることでアメリカを対独戦に追い込む
キーポイント
独伊の大西洋における攻撃が最も重要
特にドイツの経済抗戦力がどれほどなのかでイギリスが屈服するか克服できるかが決まる。
独逸
1941年を最高点として42年より次第に低下していく。ナチス統制経済により完全雇用に達しているため生産力の増強は望めない。現状の生産力では消耗を補えず1942年から枯渇していく。
結果としてソ連の生産力が不可欠となるが、対ソ戦が2ヶ月程度の短期戦で終了し、直ちにソ連の生産力をドイツが利用できなければ今時大戦の帰趨が決する。
仮にソ連の生産力の利用に成功しても自給体制は完成できず、南アフリカ(鉱物類)、東亜(錫やゴム)貿易が必要となる。東亜貿易を実現するためにはスエズ運河を確保し日本がシンガポール占領、インド洋の制海権確保が不可欠になる。
独ソが開戦されればソ連と英米が提携するので日本は完全に包囲されるので日本は当面、南進するべきである。
短期間のうちに独逸はソ連に勝利しない限りドイツの経済抗戦力は対英米戦には耐えられない。
イタリア
1940年6月以降戦時体制になっておりすでに巨額に戦時出費をしておりそろそろ国民生活の低下が始まる。
独ソ戦の背景
イギリス上陸は生産力、物資、資源からして継続困難であると認識した。
しかし、アメリカ参戦が切迫している中、早く手を打たなければソ連に背後を衝かれる可能性が次第に高くなっていた。ウクライナの小麦と石油がなければ降伏しかなかった。
イギリス
スエズ運河をドイツに抑えられて、さらにあと400万トンの船舶を撃沈されれば降伏せざるをえないところであった。
報告書
昭和16年末ごろの英米の弱点は船舶であった。
ドイツがスエズを確保さえすれば、大東亜共栄圏がドイツの不足資材であるタングステン、ゴム、錫を供給できる。ただし、ドイツは食料が不足してきていたのでウクライナの小麦が必要であった。
インド洋を通じ3国間の連携を高めアメリカを太平洋に誘い込み撃破し、援蒋を禁絶、重慶政権を屈服させる。
南方作戦の間はソ連との戦争は防止する。ソ連とドイツを講話させてソ連を枢軸国側に引き入れ英国を屈服させることでアメリカを講和に引き込む。
杉田一次の戦後の意見
ドイツが1年半以上果たせていないものを独軍の英本土上陸を期待することが他力本願である。その上、独ソ戦を短期で勝利するなどあり得ることではない。
つまり、戦略というよりは願望であった。
北進か南進か
北進論:参謀本部 田中新一
リッベントロップ外相は日本に対ソ戦を要請。松岡洋右外相も主張。
南進論:軍務局 石井秋穂
ソ連は国土が広大で共産党一党支配により内乱を起こすことも難しい。日中戦争同様に長期化する。
武藤章軍務局長が南進論に同意したのは、参謀本部が北進論で対ソ戦に着手することを防ぐために南進論を消極的に支持した。
軍事課、軍務課では、断固南方に進出すべきで独ソ戦によりソ連の脅威を考えることなく南進できるとし、海軍も南部仏印への進駐を主張した。
昭和16年6月10日、陸海軍部局長会議で南部仏印進駐の方針が採択される。
参謀本部田中新一作戦部長は、対ソ戦を見越して大部隊を満州朝鮮に配置することを計画するが陸軍省軍務課、軍事課は慎重であったため、東条英機大臣を口説き7月5日に85万人の移動が決定される。
秋丸次郎の考え
ビルマルートの破壊と仏印(フランス領インドネシア)からビルマへの圧力により援蒋行為を阻止する
タイへの英米接近を阻止し帝国との関係を結びシンガポール威圧の拠点を作る
蘭印(オランダ領インドネシア)における石油を確保する
竹村忠男の考え
日満支以外に南方を東亜共栄圏に参加させる
南方へ出れば波は高くなるが国防経済力強化のためには前進しかない
ドイツがオランダ、フランスを占領しイギリスの占領も目前であったため、早く進出しなければドイツに占領される公算があった
参謀本部の考え
対ソ戦は国策であるが南進は国策に反する
ドイツと挟撃すればソ連を降伏させられると考えていた
仮に対ソ戦が有利に展開していたとしても、北樺太の油田では石油不足は解決できず貴重な資源を消耗するだけであった。また、カムチャッカを領有すればアメリカの国防上受け入れがたいことになり、英米参戦が必至となる。
昭和16年7月、フランス政府は仏印への進駐受諾。同じく7月に在米日本資産の凍結、8月石油輸出停止。9月の御前会議で対米戦争もやむなしと決意。
迫水久常の考え
日本の戦争でたった一つの取り柄は参謀本部に従わず、ソ連の実力を正当に評価していたこと。北進していたら確実に日本の戦後は朝鮮半島同様に南北に分割されていた。
出典:「経済学者たちの日米開戦」の要約。牧野邦昭著。
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