中間地点

最近精神的にきつかった時期が続いてたが、今日あたりから回復してきたようで、ほっとしている。

この期間中、多くのアドバイスをくれた知人たちに感謝の気持ちを伝えたい。

以前、メンタルは砂の城のようだという比喩をしたことがある。

砂の城はどれだけ固く作っても、波一つで崩れてしまう。
だからこそ、より固く作る方法を研究するのではなく、崩れた時に迅速に修復する方法を見つけることが効率的だということに、早い段階で気づいた。結局、どれだけ防御力が高くても、砂の城は砂の城であるからだ。

今回も、その間の努力のおかげか、修復が早かったように思う。

この期間中得たフィードバックの中で、記憶に残ったものをいくつか挙げてみよう。

  • 自信は高いが、自己肯定感は低い状態のようだ。

  • 結果と過程の両方を求めているが、どちらも満足していないため、どちらにも幸福を感じられないのではないか。

  • 現実的にできることとできないことの範囲を把握していないようだ。

など、現在の問題を客観的に見つめる手助けとなる意見が多かった。

この経験を通じて分かった原因は、自分に対して再び厳しい基準を持っていたことだ。

会社に入社し、人生の優先順位や使える時間が急激に変化した中で、すべての分野(仕事から趣味に至るまで)に高い基準を持ち、満足しなかったことが失敗の原因だった。そして、自分が設定した基準を達成できない状況に対して絶えず自己批判し、不安になり、ストレスを感じ続ける状態が続いていた。

このテーマについては以前も何度か取り上げたことがある。

「自分が設定した基準を達成しないと、自分の価値を認めない問題」

昨年2023年6月6日に書いた記事から抜粋すると、

条件のない愛を持つことができない私にとって、愛というものは何か資格を持っていなければならず、条件を満たさなければ受け取れないという論理で愛を受け取ってきた私にとって…(中略)

23.6.6

私には「愛や認識とは=特定の条件や資格を満たさなければ得られない」というメカニズムが深く刻まれている。

非常に危険な思考様式だと思うのは、基準を達成しないと自分を延々と虐待することになる。そして、理想と現実のギャップが大きいほど、その鞭打ちはますます強くなる。

その基準というものは、現在の実力が上がるにつれて一緒に高くなるため、シーシュポスの岩のように永遠に苦しむ状況が生じることもある。熱心に努力して基準を達成したのに、達成と同時に基準を再び引き上げてしまい、その未達成に自己批判する悪循環。

入社前まではある程度意識して、基準の達成に関係なく、無条件で自分を認め受け入れる練習をしていたが、仕事が始まってからまたそれを忘れてしまったのが問題だった。

これを解決するために、今日の会社の面談で気づいたことを適用してみようと思う。それは「中間目標を設定し、その目標を達成したときに自分を褒めること」である。マイルストーンとも呼ばれるが(これからはマイルストーンと表記)、最終目標に向かって走る途中で設定する中間地点を意味する。

マイルストーンを持つことで、最終目的地だけを考えるのではなく、少し近い目標や成果に集中することができ、マイルストーンを一つ一つクリアすることで自然と最終目標を達成する効果がある。走るときのペースメーカーのように、「目の前の人を抜こう」とか「その木のところまで頑張ってみよう」といった考え方に似ている。

もちろん、すでに知っていたが、今回追加で気づいた点は、そのマイルストーンを達成したときに心からその達成を自分に褒め、認め、報酬を与えることだ。目標を設定し、それを達成したときには明確に報酬を与えることが正しい。そうしなければ、目標を達成したときの達成感を感じられず、次第にモチベーションを失う状況が生じるからである。

高い理想や難しい目標設定を追うことは、変えがたい本来の性質である。一方で、その習性のおかげで終わりのない向上心を持って成長できるため、完全には捨てられない。だからこそ、崩れないためには過程の中でも認め、褒め、愛することに注意を払わなければならないと思う。

心を楽にしなければ、どれだけ高く飛んでも飛行する意味がなくなってしまう。

少しでも一生懸命に生きる自分を認める必要がある。

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