向上『心』

夏目漱石の『こころ』をおすすめされた。

この本では、「精神的に向上心のないものはばかだ」という台詞が出てくるその前後の文脈が気になり、本を読んでみた。

暗くて重苦しい本だった上、感想は軽く書いて文章で残してみる。

できるだけ単純に説明できるように頑張ります。(ネタバレ注意)


向上心の節が出てきた背景を軽く説明すると、主人公(先生と呼ばれる人物)とKは同じ女の子に心を奪われる。

そして、Kが主人公に「実はあの子が好きだ」と告白する。

不安になった主人公はKが気を落とすように「お前、精神的向上心を守らないのか?精進しないのか?」と言う。結局その後、主人公がその女の子と結婚し、それを見たKが激怒して自殺する結末で話は終わる。

なぜこんなことが起きたのか。

Kは真宗寺で生まれ、禁欲的な性質が強く、自分の目標のために精神的向上心を持って「精進」してきた人だった。

しかし、Kにとっての精進とは、自分が追求する道を進むためにはあらゆる欲望や情欲を抑えることだった。

そして、Kは以前からこの精進(=精神的向上心)を一貫して守ってきていて、実際、主人公に対して『精神的向上心がないやつ』と罵倒したことがある。

だから、女の子に心を奪われ、情欲を感じる状態は、Kにとって矛盾であり、自分の一貫性を損なう状況だった。それを知った主人公が女の子を独占するために正論を突くのだ。

このスキルは最近読んでいる本「人生のすべてにおいてもっとトクをする新しい交渉術」でよく出てくる内容の「標準を利用せよ」という交渉方法論でもある。

この本です

標準とは、相手が以前に言った言葉や基準を交渉の際に持ち出すと、相手は自分が言った言葉なので守るしかないということだ。

つまり、この状況に当てはめると、Kは自ら「精神的に向上心のないものはばかだ」と言ってしまったので、自分がそれを守らなければバカになってしまう状況が生じたのだ。主人公の戦略は有効で、その結果、主人公は欲しかった女の子を手に入れる。

それを耐えられなかったKは結局、命を絶ってしまう。


結論から言うと、向上心が死に直結する結末に大きな虚しさを感じた。

私にとって向上心は生存のために不可欠な要素だった。

「成長しなければ生き残れない」という考えは、私の人格形成に大きな影響を与えた。

以前に書いた文章でも触れたように、

私が間違っていないということ。存在そのものが間違いなら、本来は存在してはいけないのに存在しているから、消えるべきだろう。もし生き残れなければ、結局間違っていたと認めることになる。だから、何とか生き残って、私の存在が間違いではなく価値があることを証明しなければならない。

noteにはないけど、前回書いた文章

私は自分自身の存在価値に大きな疑問を持っており、自分の存在を証明し、生き残ることを最優先にして生きてきた。

つまり、向上心(成長)=生存と考えてもおかしくない。

しかし、そのように向上心を追求した結果が、生存とは正反対の点にある死に帰結することは衝撃的であり、強い拒否感を伴った。

では、どうすればその結末から逃げれるのか。


向上心には大きく二つの段階がある。

否定的な感情を大きく伴う「自己破壊的向上心」と

成長の楽しみを追求する「肯定的向上心」だ。

自己破壊的向上心

自己破壊的向上心の場合、向上心(成長)の燃料として使用される感情がネガティブだ。劣等感、自己嫌悪、自己虐待、抑圧など強烈な否定的エネルギー源を使って、何かの実力を上げたり証明しようとする。この場合、燃料が強烈なため、ブレーキが壊れた機関車のように前だけを見て走ってしまうようだ。しかし、二つの問題点がある。

  1. 燃料感情があまりにも毒性が強すぎるため、ずっと持ち続けると自分自身を食い潰して壊してしまう

  2. 元々の成長の目的を忘れて、成長そのものが目的になってしまう

その結果、自己破壊的向上心をずっと持ち続けて進んでいくと、次第に狂って自分が壊れていくのが感じられても止められない状態になってしまう。

肯定的向上心

肯定的向上心の場合は、ゲームと似たような相互作用が脳で起こっている。何かを一生懸命努力して、それに対する報酬作用としてドーパミンを含むいくつかのホルモンが分泌され、その快楽を追い求めてますます大きな挑戦をし、自分自身を成長させること。

このケースでは自己破壊的な向上心に比べて良い循環を形成する場合が多く、より害が少ない。しかし、過度になると中毒状態に陥り、問題になる場合もある。

ちなみにこの分類法は、この本を推薦してくれた人と自己破壊的な向上心が危険な理由についての議論の後に確立された。その結果、文章としても整理することができたので感謝の意を表する。


私の経験と見聞が不足しているため確信は持てないが、Kの場合は精神的な向上心を持って精進する行為自体が目的となってしまった本末転倒の状況が発生したと予想する。

おそらく死ぬ前に彼の頭の中では、
『好きだった女性を奪われた、それも誰よりも信頼していた親友に -> 元々精進すべきなのに好きな女性ができた自分のせいだ』

この考えの循環がずっと続いて最終的に耐えられなくなってしまったのではないだろうか。

もちろん本の中で述べられた彼のバックグラウンドとキャラクターを見れば理解はできるが、非常にもどかしく悲しい状況であることは間違いない。

友人と争ったり、すべての事実を明らかにして状況をひっくり返したり、または全く新しい人を探すなど、他にもいくつかの選択肢があったはずなのに。それにもかかわらず、すべての矢を自分に向けて、文字通りの自己破壊をしてしまった。

それほど精進しても、結局その結果が死に至るなら何の意味があるのか。死を選ぶことになったなら、そもそも精進することの目的は何だったのだろうか。

Kの事例を分析して得た教訓は「向上心は目的性を伴わなければならない」ということだ。実際自分も目的を忘れて目標だけを盲目的に追い求めることが多かったが、改めて注意する必要を実感した。


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