もし美大ではなかったら、

昔の私は、歌詞を書くことが好きな学生であった。

中学3年生のとき、偶然に書いた歌詞を周りに見せたところ、多くの好評を得て、それから3年間、ペンを取り続けた。

毎日休むことなく歌詞を書き、当時のノートを集めてみると、10冊以上のノートに歌詞を書き、ストーリーを練り、メッセージを込めようと努力した。伝えたい内容を効果的に凝縮し、簡潔に表現する練習をたくさんしたように思う。何よりも「パンチライン」と呼ばれるインパクトのある一行を完成させるために、何度も修正し、消し、再び繋げる退屈だが必要な過程を楽しんだ。

そんなある日、私には音楽の才能がないという現実をしっかりと受け入れ、音楽の道を諦めることになった。多くの人には音楽をやめて、美術大学に行ったと適当に答えたが、実際は心が壊れた痛みでいっぱいだった。

当時、私の現在の位置に多くの悩みがあった。勉強が特別得意ではなく、SAT(国際学校に通っていたため、大学に行くにはSATのスコアが必要だった)の勉強は絶対にしたくなかった。韓国の大学に入るには、当時の私には入試の難易度が高すぎたし、日本語をネイティブのように話せなかったので、日本の大学入試も難しかった。

実際、そうした現実的な問題よりも、何をしたいのか全くわからなかったことがもっと残酷だった。ずっとペンを持ち、言葉を拾っていた私が、音楽以外に何ができるだろうか。

そこで、何かを表現するという点で共通しているため、うまくいくだろうと期待を持ち、美術を始めた。約1年半の入試を経て、本当に運良く、今卒業することになった大学に合格した。学校内でも紆余曲折の末にデザインをある程度学び、(もちろんその過程が全く順調ではなかったことを知っている人は知っている、どれほどだったら体育大学に逃げようとしたことか笑)なんとか就職もし、無事に卒業展示まで終えた私は4月からデザイナーになる。

そうして、ペンを持ち夢を見ていた昔の姿を忘れ、現在を生きている最近に起こったことである。

noteをよく見る人なら分かるだろうが、最近は膨大な量の読書をしている。そうすると、周りの人からどんな本を主に読んでいるのかと尋ねられることが多いが、最近は広告やブランディングに関する本をそばに置いている。

そうして本を読んでいると、ぼんやりと知っていたある職業に本能的な引きつけられを感じた。

「コピーライター」

コピーライターは、創造的なアイデアや感受性で、特定の商品やサービスが一般人に簡単に記憶されるような広告文句や文案を作成する仕事を担当する職業である。

この職業が心に大きな振動を与えた理由は、文字で人を動かすという点である。それは、ペンを持って夜通し文字と文字を磨き、料理していた幼い日の私が本当にやりたかったことである。

気持ちが複雑になった。

もし、ペンを置くことを決めたあの夜、コピーライターという道を知っていたら、今の私は何をしていただろうか。筆ではなく、ペンを持ち続ける方法があったと知っていたら、そんなに簡単に置かなくても良かったのだろうか。

その時の私は怖かった、一歩先もわからない入試と未来が。それでも紙とペン一本さえあれば、何でもできたはずだ。一つの文で人々を泣かせ、幸せにし、力を与えようとした幼い日の誓いを、幼稚な黒歴史として終わらせなくても良かったはずだ。吹雪が吹き荒れる雪山で、仲間を置いて自分の生きる道を探して出たけれど、振り返ってみると彼を救う道があったことを知るシェルパの心をわかる気がする。ああ、彼は悔しかったのだ。たぶんnoteを書き、時々一人でメモ帳に長い文章を書き留めるのは、冷え切った夢に対する追悼ではなかったか。

あなたには夢がありますか。その夢は今どこにありますか。


遅ればせながら、これから少しずつコピーライティングを勉強する。
文字で人を慰めたかった、その夢を少しずつ取り戻す。


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