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気持ちよく晴れた午後の気持ち悪い授業

私が小学生の時に経験したある不思議な経験です。

時代は確か1997年頃だったと思います。私が10歳か11歳の時に経験した、地元の小学校で行われた授業のことをお話します。

私が通っていた小学校は福島県会津若松市にある、当時全校生徒約900人ほどの小学校でした。福島県といえば、2011年の東日本大震災の時に東電が起こした原発事故ですっかり有名になってしまいましたね。しかし会津若松市の場所は原発のある太平洋側ではなく新潟県寄りです。

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この内陸にある会津若松市の小学校で、ある晴れた日の夕方、私がいたクラスの生徒は特別授業があるので別の教室に行くように担任(だったと思う)から言われ、他のクラスの生徒も合わさって合同の授業が始まりました。

特別授業=原発教育

はい、その授業は原子力発電所が建っている県ならではの教育、原発についての授業でありました。そしてまだ原発事故前であります。その内容は「原子力発電を全肯定する内容」でありました。

そんな授業の内容を記憶を画像とともに再現してみましょう。

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特別授業の教室に着くと2人の女性教師が入ってきました。
特に発電技術の専門というわけではなく、いつも学校に来て国語や数学を教える先生です。
そして授業スタート。


先生「これから原子力発電についての話です。放射能が怖いという声も聞いたことがある人もいると思いますが、でも」

(ーそう言って黒板に何か書く)

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そして生徒が質問する時間なども設けずにこの2人の先生は早々に集めた生徒を解散させて終了しました。全体の時間は約10分(開始待ち時間を含む)

「よくわからないけど安全」というワードがあまりにも衝撃でした。なぜ衝撃だったのかは当時の私の幼い思考力からは解説が難しいのですが、私が見ていた普段先生の態度とは明らかに違っていたことがその理由だと思います。

もっと詳しく言うと
いつも学校内で授業を受けた内容は理解度をチェックされて生徒がちゃんと理解できているかどうかテストを行って答え合わせをするのが通常の学習ルーティンでした。問題の解き方がわからなかったりすると放課後になっても居残り勉強は当たり前。全問正解するまで帰れませんでした。

当時私の担任なんかは毎日のように「わからないことは放置してはいけない。わからないなら、わかるまで調べろ」と言っていました。

それなのに、このときに聞いたものは全く逆でした。自分から調べもせずにわざわざ集めた生徒に向かって「よくわからないけど大丈夫」と言ったのですから。今考えると本当に気持ち悪いです。

黒板に書いた図は何だったのか

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黒板の中央にこの円を2つくっつけたようなこの図。本当にこれだけ。そして一回もこの黒板に書いた”何か”についての説明は一切なし。一体何なんでしょうねこれ。その異様に一夜漬け感満載な先生の手振りに触れてはいけないような気がして質問することができず、また他の生徒も何の興味も湧かなかったのか誰も発言することはありましたんでした。

皆さんは原発教育について印象的な思い出はありますでしょうか。

あったらぜひコメントよろしくお願いします。







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