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台湾×神戸×楠

台湾にSHARE WOODSとして渡来したのは必然だったんだなあという話。

初日の誠品生活でのオープニングでは本当にたくさんのメディアが来てくれて六甲山鉛筆だけで輸出した1/3くらいが売れてしまった。2日目は、元ヤフーの社員で台湾人のpeter氏が創業したアジア最大級のクリエイティブマーケット pinkoi の本社ツアーや刺激的なスケジュールが目白押しだったんだけれど、その中での商談の一コマ。

神戸市の街路樹から採り出したクスノキのウッドチップ「KOBE CHIP」の話をしていたところ、クスノキが抽出される樟脳の話になっておそらくトランクデザインの真輝くんだったと思うんだけど「樟脳といえば台湾と神戸というのはとても縁がありますよね、確か鈴木商店が...」という頭の切れる話を持ち出したのだけれど非常にお恥ずかしい話、勉強不足な僕は「ふーん、そうなんや」ぐらいでその時の話の流れを止めてしまった。

なんとなく気になって、ホテルに帰って色々調べてみるととても興味深い歴史がたくさん湧き出て来た。「鈴木商店」とは1847年に当時の兵庫の弁天浜(中央郵便局の向かいあたり)に創業した貿易商で、最初は砂糖などを取引していたが、樟脳の可能性を見出し台湾樟脳油の専売制による独占的な販売権を獲得して、躍進の足掛かりを得た。最盛期には財閥を押しのけて日本一の総合商社に上り詰めたとのこと。

全然知らなかった。明治期に樟脳の製造工場が神戸にあり、樟脳事業としての後の日本樟脳の前身が神戸の鈴木商店であったこと。そして台湾には豊富な樟脳が採れ、それを鈴木商店が販売権を得たことなど。

神戸には樟脳の元となるクスノキがたくさんあり、それらの材を活用するに当たってこの歴史をもう一度見直し再編集することで、新しい「樟脳」の活用方法が見えてくるのではないかと思った。日本に帰ってもう一度KOBE CHIP の商品開発について再考察する必要があるなと感じた。

台湾と神戸のデザインをマッチングさせて両国で売れる商品づくりを「クスノキ」から発信できないだろうかと。

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