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<我が師匠、吉福伸逸さんとの二度の別れ>

<我が師匠、吉福伸逸さんとの二度の別れ>

 私のセラピーの師匠である吉福さんとの最後の別れは、死別、だったけど、じつはその前に一度決別しているのだ。
表面的には喧嘩別れだったけど、背景にはセラピーに関して、吉福さんと考え方が乖離してきたことがあった。
わたしはセラピーを学ぶに連れ、彼の方法に批判的になっていった。
幾度も議論もした。
その違いについて、ここでどこまで話してよいかわからないけど、、、
一言で言えば、彼はパワー派で、私はソフト派だった。

 「ウォンさんのやり方でやってみたらいいよ」
それは、私の方法を認めてくれたというよりは、自分のやり方を実際に試してみて、果たして効力があるのか、体験してみれば良い、ということだったのかもしれない。
彼は、失敗も含めて、すべて体験することで、セラピーを勉強させようとしていた。

 しかし「吉福ワーク」のコンテキスト(ワークショップの場)の中で、それを実現することは難しかった。
なによりも私の方法は未熟で、メソッドと言えるほどのものではなかった。
吉福メソッドを是としている弟子たちからは、私の方法が許せなかったのかもしれない。
私から見ると吉福さんは彼らに肩を持った。
つまり、純粋にメソッドの違いの問題だけではなかった言うことでもあるかな、、、

 吉福氏の采配は私には一方的に思えたし、私は反論する準備もなかった。
私は切れてしまった。
そして吉福氏の元を無言のまま去った。
それは、私がセラピーとも決別することを意味した。
吉福スクールを中退したわけで、卒業証書は渡されていないのだから、セラピストなどと名乗れない。

 それが2010年の秋のワークショップでの出来事だった。
その後、2011年3月11日の例の震災と原発事故が起こり、私は急速に社会問題、政治問題にのめり込み、吉福さんのことも、セラピーのことも忘れ去っていった。

 しかしなんと再会は意外と早くやってきた。
あれから2年後、2012年の秋、突然、吉福さんから電話がかかってきた。
「ウォンさん、元気?
今度のワークショップに参加しない?
えっちゃん(奥さん)を紹介したいし、、、」

 私は驚いた。
私が吉福さんに出会った頃「ぼくはね、去る人は追わないよ」と言われたことがある。
あったばかりの人間に、いきなりそういう事を言うのは、奇異な感じがした。

 実は彼は多くの別れを体験した人でもあったと思う。
何度もワークに参加し、彼のパーソナリティーを知るに連れ、彼の本来的に持っている「別れ」に対する深い思いを知ることになる。
思想家、吉福伸逸にとって「別れ」と「悲しみ」が最大のテーマだったと思う。
そして、「別れ」と「悲しみ」に関するワークもたくさんやらされた。
彼が残した言葉の、一番印象が残っているのは「相手に出会わなければ、別れられない」というのがある。
相手の本性に出会っていないのに、どうして別れられようか?と吉福さんは言う。
今思えば、彼は実は「別れ」というものを受け止めきれないでいるために、逆に「別れ」に拘ったのかもしれない。

 吉福さんからの突然の電話に、私は驚きながらも、ひょいひょいとワークショップに出かけていった。
例のエピソードについて一切触れることもなく、私としては謝罪の一言も欲しかったけど、そんなこともどうでも良くなっていた。
要するに私は再会したかったのだろうと思う。

 そしてそのワークショップは、私にとって決定的なワークとなった。
(そのことについてはいつか話したい)
そしてそのワークショップは吉福さんが現世で行った最後のワークショップにもなってしまった。
翌年、2013年4月30日、吉福さんは、家族に見守られながら、自宅で永眠した。

 私も人生で何度も、友人たち、知人たちとの決別を体験してきている。
(再会も体験してるけどね、、、)
私は、人と別れられずに執着を引きずることがない。
良く言えばねちっこい性格ではない。
悪く言えば、私は人との関係に冷淡だ。
切ることに、躊躇がないのだ。
別れなんか、人生では当然あるもの、としか思えないのだ。

 今思えば、吉福さんの方が、人と別れられない、人情味のある人だったのだろうと思う。
だから、余計「別れ」に拘ったのだろう。
今、もし吉福さんと三回目の出会いがあるなら、そんな話をしたいな、、、


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