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まるで何もなかったかのように

こんばんは。

気持ちがうまく言葉に出てこない時、心の中には実は初めからなにも存在していなくて、明るいのか暗いのかもよく分からない、文字に起こせない混沌とした空間があるだけなんじゃないかって少し怖くなる。

ふと思ったことも、ある到達地点にたどり着いて一区切りついた考え事も、時間が経てばいつの間にか忘れてしまうし、たとえ手放したかったものだとしても一度忘れたものは全て取り戻すことはできないので、ぼちぼち残しておきたいな、と思いました。
好きな季節が来たからなのか最近は割と元気があると思う。この前日記を見返していたら、真夏頃のわたしは毎日死にたくてたまらなく、テレビの音や雑踏やパソコンの画面からの刺激があまりにも強くて、常に俯いて外的刺激をシャットダウンしないと会社まで歩けないくらい心が剥き出しだったらしいけど、それを読み返している本人は今ケロッとしているのでやはりわたしはわたしのことがいまいち難しい。

この前久しぶりに母に会った。約1年ぶりに顔を合わせたとき、おばあちゃんに似てるなと思った。昔はそんなこと思ったことなかったのに。その時着ていたコートを褒められた。そういえば、退院の付き添い時には何故かワンピースを着てくるように連絡が来てたけど無視した。まだ子供だと思ってるのだろうかと愕然とした。昔から何にでも干渉して思い通りにしたがる人だった。口を出すことが母にとっての立派な愛情だったのだろうけど、反比例してわたしは口数が少なくなって自分で思考する機会もないまま大人の言うことを聞くだけの大人になってしまった。何故、物事の捉え方や言動の根拠は共通点が多いのに、根っこで分かり合えないのかずっとずっと考えていたけど、この前突然スッと腑に落ちた。そうか、あの人は娘じゃなくて部下が欲しかったのか。自分のようでありながら、自分の失敗の轍を踏まないようにそれだけを叩き込んで、そっか、だから寂しくても悲しくても何も言わず責めず抱きしめてくれるということをしてくれなかったのか。そうだね、それならわたしはきっと最高の部下だったろうなと思いながら気の済むまで泣いたら、心の表面にこびりついていたものが少しだけ剥がれて流れ落ちた気がした。

久しぶりに会った叔母から、最近は心細いのか母から頻繁に連絡が来ると言われた。一時期は絶縁していたのかと思っていたくらい没交渉だったのに何を今更...という感情が言葉にしなくても伝わってきた。叔母と母は仲が良くないけど叔母とわたしは仲が良くて、たまに連絡をとっていることを知るとチクチク嫌味を言われた。そういう人間関係のしがらみもイヤになって家を出たんだったなと思い出した。

もっとうまくやれたんじゃないか、何かを間違ったのに間違ったままここまで来てしまったんじゃないかと未だに天井を見つめながら考えてしまうときがある。現に、今まで見せたことがなかった寂しそうな母の背中を直視できなかった。なにかしてあげたいのにどうしたらいいのかわからなくて居心地がなんとなく悪くて。こういう時、母はどうしてほしいんだろうと考えてみようとしたけど、わたしは性格が悪いのでそこから先を考えるのを結局やめてしまった。

身の回りの整理とこれからしばらくの支度を一緒に済ませて、適当な理由をつけて早々に東京へ戻ってきた。このことにも文句を言われたけど、実家に留まり続ける理由にはならなかった。帰省している間、なんとも言えない気まずさでずっと緊張状態だったのが、新幹線の窓から見えるビル街の明かりと人混みの存在が目に入った瞬間、体に溜まっていた空気が抜けて肩が下りた。何でもあるのに、わたしと関係あるものは何ひとつない東京が好き。必要とされなくてもこのままでいいんだと許されている気がする。新幹線を降りたら、冷たい空気が鼻を通って肺を急速に冷やしていく。体の中で一気にいろいろなものが循環していく気がした。やっぱり冬がいちばん好きだなと思った。

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