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移住者が神社を再建するまで(結)

「滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ」

そしていつか、遠吠えの残響を耳にするあなたへ。


自分の活動についてお話をさせてもらう時、いつも今が伝承の最前線という言葉を出す。
いつか歴史になっていく今。一番新しい過去。それが積もっていくのだと。
今は無い星の光が地上に届くように、形は失われても物語は残る。
形ごと守れるのは理想であるが。
人も去ってゆくけれど、その想いは受け取るものが居れば残る。
「全てを失った時、文化は最後の拠り所になる。」
「先人の想いが根のように埋まった地の上に生きている。」
文化財の研修で耳に残っている言葉だ。
国土を持たない民族が、共通の物語(信仰)をその領土としたように、
最初から特別な場所なんて無いのではないか。

フィールドワークで祠や社を見つけた時、いつも「此処に居てくれたか。」と心で零す。
それは道を外れた尾根の上であったり、岩の陰であったり、別の社の裏や藪の向こう。
あるいは偶然お話を聞いた、見知らぬ人の心の中にあったりする。
それは、誰かの特別だった場所だ。
想いの積み重ねが、その場所を特別にしている。

山に還ろうとしていた七ツ石神社。誰かの特別だった場所。
遺したい、という最後のひとりに偶然出会って、それが広がり、其処は関わった私たちにとって特別な場所となった。
新しい物語を得て。

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私は「残心」という言葉が好きだ。
心の余韻、動作を終えた後も気を抜かないこと。
剣道ではこれがないと一本にならない。
猟で使う剣鉈(主に獲物の止め刺しに使う)に、私はこの文字を刻んでいる。
去年、初めて撃った命を刺して諏訪の勘文を唱えながら、この二字を想った。
獲物の息が止まったら終わりではない。この命を得た命は生きて往く。
命を食べて繋がった命は先へ往く。これを心に留めることも残心だと思う。

命の伝承は血だけで成されるものではない。
彼方から受け取った意思、梵鐘の余韻のように自分まで辿り着いたもの。   
あの日見つけた祠も、きっと何かを歌っていた。私に歌を託したおばあさんのように。
それはきっと、遠吠えによく似て。

この再建の余韻が何処かへ繋がっていくことを願って、私はまた心を構える。

文化はあらゆる人生の残心なのだと。

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