移住者が神社を再建するまで⑩

「次の歴史がここから始まる」

2018年、戌年。お犬様を掲げるのに、なんとふさわしい年だろうか。
協力隊3年目を春に控えた1月、再建に向けての現地測量が行われた。
宮大工さんたちを現場へ案内すると、測量が終わるまでは我々も手持ち無沙汰になる。
同行していた当時の観光課職員Iさんへ 
「何か資料が落ちてるかもしれないので、待ってる間探してましょうか。」
と声をかけて、足元を入念に観察しながら歩き回った。
崩れ落ちた木材を持ち上げては泥を落としたり、落ち葉をどけて木くずを拾い上げていると、Iさんが斜面の下から声をかけてくる。
「なんか色の違う石がありますよ。」
駆け寄った私はその石を受け取って、「本当だ、不思議ですね。」等と 
のんびり返しながら狛犬の材質を思った。
何処かのパーツだろうか・・・裏返す。
目が合った。
そこには、真っすぐこちらを見つめる阿形の目があったのだ。
「お手柄ですよIさん!」
戌年最初の七ツ石神社で、小さな奇跡が起こっている。私は震えた。
お社から離れた、かつて鳥居があった付近の草むらに転がっていた阿形の顔。
長い年月、互いの姿さえ見られなかった対の狛犬。
これでやっと、たったひとり崩れた君の横にいた吽形を、その目で見てやれるな。
手のひらに乗ったこの欠片が、私には愛おしくて泣けてくる。
毎回抱えて移動させていたからか、そのフォルムからか、すっかり狛犬は「うちの子」のようだった。

阿形顔

測量を終え、阿形の顔と共に喜々として下山した私に小袖地区のSさんから電話が。
相変わらず丁寧な口調に癒されながら近況報告を聞いていると、
「実は、目の手術をしたんです。」
初耳だった。容体を伺うと、なんと一度は失敗して二度目の手術がこの間だったと言う。
見えなくなったらいつ終わっても良いと思った。
Sさんは力なくそう言ったが、二度目は無事に成功したそうだ。
「こんなところで独りだけど、神様と一緒だからなんとかやってこられました。」
怪我をする度に、この歳だから、と生きるのを諦めかけてきた。
しかしその度に、七ツ石山に救われてきたという。
私は安堵すると共に、実は七ツ石のお犬様にも視力が戻ったことを伝えた。
Sさんは一瞬言葉を失ってから、何度も何度も感謝の言葉を口にする。
七ツ石の信仰は、Sさんの生活に寄り添う杖のようだと思った。
 道遠し 年もいつしか老いにけり 思い起こせよ 我も忘れじ
これは名取老女へ熊野権現が贈った歌だが、私はこの歌が大好きだ。
いつも、遠い思い出の場所たちを思い出す時にこの歌が過る。
Sさんの生活は、七ツ石へ通った思い出の日々を通って、今も直ぐ傍へお犬様が駈けてきているのだと思った。                 
遠く離れても想い出してくれよ、きっと私も忘れない。

再建に関する当初予算が無事に提出されると、2月。
七ツ石神社再建工事関係業者の合同ミーティングが行われる。
ヘリコプター会社、設計、施工、解体の4社が集まり、段取りの確認。
荷物の重量や往復の回数、現地の人員と作業の流れ、必要な道具と省ける物など。
私はほぼ全日程の現場立ち会いと、森林単軌道の運転、ヘリコプターの誘導を行うことになる。
ヘリの作業は麓での積み込み作業とタイミングもあるため、サポートで入ってくれている協力隊のHさんが地上班、
私が山上班としてそれぞれ無線で連携を取る手筈だ。
かつての例祭日11月7日に間に合わせる。全体のミーティングはこれが最初で最後だった。

Hさんが作成してくれた工程表と進捗表が、私のデスク背後に貼り出される。
観光から教育委員会に席を移動し、水道局へ森林単軌道の使用申請。
国立公園内の社寺再建は初とのことだったが、文化財の意義と現状の危険性を説明し、間もなく許可が下りた。

3月。修復前の事前処置を施して包帯巻きになった状態の狛犬を、資料館で展示することになった。
処置中の石像を見られるのも面白いのでは、という試みと、村民に狛犬を見てもらいたいという気持ちで開催。
小袖地区のSさんを含めた3名を招待した。
「かわいそうに。」「がんばれよ。」「痛いか?」
村のおじいさんおばあさんが、包帯巻きの身体をそっと撫でていく。
次に会うのは、修復後。山に上がる前だ。
「よかったねぇ、治してもらいなね。」皆が声をかけていく光景に、心が熱くなった。

普段は1人も来ない日があるような資料館は、1週間程の企画展で100人を超える来場者があり、
集まった整備費を受けて4月には「七ツ石神社整備委員会」を発足。
この時に署名をいただいた方のお名前は、冊子に記して新しい社に納められている。

春、私は協力隊の3年目を迎えた。3年の計画、最後の年だ。
解体資材の運搬が始まり、現地の業者によって覆屋の解体が始まる。
覆屋の中に納まった社は、宮大工さんたちが再利用するものとそうでない物を仕分け、後で組み上げる為に番号を振っていった。
数十年。傾いても決して倒れなかった社が、目の前で片付けられていく。
1日で更地になってしまった。
同じ月には狛犬が修復の為、東京へ旅立つ。

今まで目にしていた形の最後を全て見届けて暫し感傷的になっていた私の元に、新社殿の設計図が届いたのは5月のことだった。

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