移住者が神社を再建するまで⑨

「狼、山を下りる」

村指定文化財となった史跡、七ツ石神社(七石権現社旧社地)
再建計画が本格的に事業化したのに伴って、解体・設計・土台整備・再建・狛犬修復などの予算を出さなければならない。
幸い、ヘリコプターを飛ばす交付金が下りたので資材の運搬は心配なくなった。
一方10月、道の駅でも販売を始めた手ぬぐい2種は、ふるさと納税の返礼品にもなる。
これによって、納税の用途として「文化財整備」の項目が追加された。

問題は、狛犬修復や神社建築の業者をどうやって探すのか。
この年に入ってきた協力隊のHさんがプロジェクトの手伝いを申し出てくれたので、二人でフィールドワークに出る日々が続いた。
石屋を回って狛犬事情を聞いたり、狼関連の神社を訪ねて回ったり。
愛知の石工組合に問い合わせながら、再建する神社の形をどうするか検討した。
協力隊の2年目は、あまりデスクに居なかったように思う。
2ヶ月ほど手分けして情報収集を続けていたある時、デスクにHさんからの書置きがあった。
山形の大学に文化財保存修復のセンターがあり、そこに問い合わせて人を紹介してもらえることになったのだという。
仏像の修復を主にやっているが、過疎化地域の文化財整備について関心がある方だとのことだった。
興味を持ってくれている分野なら尚更有難い話だ。
早速アポを取って都内へ向かった先は、文化財修復やクラウドファンディングを支援する会社だ。
山上での作業になることも快諾してくれた代表者のMさんとのやり取りはHさんが担当してくれることになり、引き続き神社建築の業者を探す。

ここにきてふと、神社のことなら神職課程のある母校に相談すれば良いのでは?と思いついた。
社殿の整備に関することを、何か教えてもらえるかもしれない。
期待と希望を持ってOB会に問い合わせ、私たちは大学へ向かった。
再建事業の話をすると、職員の方は大層喜んで「上手く行きますよ。だって神仏のことですから。」
「山梨ならまず○○○○神社さんを訪ねてみたらどうでしょう。」
と言って快く繋いでいただき、村へ帰ると直ぐに電話して相談へ伺うことに。
対応していただいた宮司さんは事前に場所のことや村のことなどを調べてくれており、神社関連の工事について資料を用意してくれていた。
登録されていない神社なので神社庁への申請は必要ないことがここで分かる。後は土地の所有者を明確にすることだった。
肝心の業者について話が及ぶと、私たちの口も重くなる。
登山口から3時間、森林単軌道に1時間ちょっと乗ってもそこから30分以上の山道で作業してくれるかどうかが問題だ。
それがネックで話が進まないことも間々あった。
ヘリである程度資材を事前に上げるとはいえ、基本の道具は人力だ。
「ここに相談してみると良いよ。」
F宮司は1枚の資料を差し出してこう言った。
「面白がってくれたらきっとやってくれる。」

こうして続々と渡されたバトンを繋いで、私たちは甲州市のとある工務所へ。
社長さんも交えて、神社再建プロジェクトへの想いと目的をお話しする。
最初は最低限、狛犬を中に納められる小屋のような想定だった。
しかしそれなら物置のようで社の再建とは言えないのでは、宮大工でなくとも、と雲行きが怪しくなる。
目を瞑って聞いていたI社長が徐に口を開いた。
「狼が狛犬なんだ。珍しいね。」
「はい、秩父市の三峯神社とは狼信仰で繋がりが・・・」
「誰もやらないんでしょ?うちがやるよ。」
建物だけじゃなく、その歴史も伝承するのが仕事だと。
だから「再建」が重要になってくるのだと。
そんな想いの共有によってこの時、「最低限」という考えから脱却し、
「社の再建」が明確化する。

山登りをする設計士さんが居ると言ってその場で呼んでいただき、早速打ち合わせへ。
土地の所有者である水道局へ提出する図面や工程表、使用面積の算出をお願いして、話は進み出した。
11月には第二回の七ツ石山展が丹波山村の四季の写真展と共に開催。
第一回目の展示に足を運んでくださった写真家青柳健二さんの取材を受けて、再建活動が掲載された「山と渓谷」もこの月に発売された。
青柳さんはその御縁で、再建完了まで取材していただくことになる。
解体作業は地元の業者に決まり、予算の提出、狛犬修復の起案、法務局で土地の登記書請求など事務作業が続いた。

12月。設計施工会社と完成までの方向性打ち合わせ、水道局への必要書類提出(図面、工程表、使用面積など)
私が提出書類関係を進め、Hさんは計画の進捗表管理と狛犬修復のやりとりを担当してくれる。
狛犬は、下山に向けて山上で保護処置が成されることになったが、日付は様々なトラブルで押す形に。
なんとか年内に対処したい。本当に不思議な話だが、予定は早めに決めると問題が起こる。
偶然と言えばそれまで。と、流すわけにはいかない。現に困っているのだから。
ならば、と、元々日付は二つ用意しておいて直前で決行日を変えた。
年末、ようやく我々は山へ入ることが叶う。
狛犬は、信仰対象として完全体に直すか、資料として今ある部分だけ直すかという提案がされ、信仰と資料の間を取って、傷はある程度そのままに形を直すことが決まった。
バラバラになった阿形にも、自分の脚で立ってもらいたかったのだ。
二匹が再び、仲良く並び立つ日は近い。吽形の孤独が解かれることを想って、私はバラバラになった阿形の体を背負う。

2017年の年末、ついに狼が山から下りてきた。

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