移住者が神社を再建するまで⑦

「動き出す仲間」

そうか、七ツ石神社は丹波山村なのか。
移住が決まってからというもの、神社をなんとかしたい気持ちが少しずつ確かになってくる。
こう言ってしまうのも何だが、協力隊制度というものを事前に知っていたら、きっと私はもっと遠い山を移住先に選んでいただろう。知らなかったから丹波山に来たようなもので、そこに七ツ石神社があるとなれば、
そのために動かなければ嘘というものだ。
どうせやるなら、「誰に届くか分からなくてもまず自分が楽しいものを」と考えて、浮かんだのが手ぬぐいだ。
剣道部時代には死ぬほど使ったし、普段も使えるので自分でも集めており、その日の気分や行く山によって使う絵柄を考える願掛けにもなっていた。
それならば御守りにもなるような、飾っても映えるような力のある絵でないと駄目だ。
どうしたものか、といつも通りSNSで「狼」と検索して様々な画像を順に流していた時、他とは違った雰囲気のある狼のペン画がアップされているのを見つけた。
「大口真神」とだけ文章にあったその絵は、間違いなく三峯神社の奥の院が背景になっている。
描かれているのは三峯山の狼だ。確信と同時に、この狼が気になって仕方なくなった私は是非この人にデザインをお願いしたいと思い、早速メッセージを飛ばしてみた。
この人というのが、画家の玉川麻衣さんである。
程無くして良い返事が来ると、打ち合わせの日程を決める。
初対面なのでどんな人か分からず、当日は無難に駅前のチェーン店のカフェを選んで話をした。
出だしこそぎこちなく会話をしていたが、私がその時使っていた高尾山薬王院のスケジュール帳を見ると、
「滝行場で貰えるやつですよね。」
「そうです、滝をやってまして。」
「私もやってました。」
「え、私は蛇滝なんですけど。」
「私も蛇滝です。」
まさかの滝仲間。ここから一気に意気投合し、余所行きモードは終わりを告げた。
玉川さん行きつけの焼き鳥屋へ移動すると、店主も交えて天狗や妖怪、ピラミッドの話で盛り上がり、互いの文化への想いを熱く語り合っては泣いたり笑ったりして終電を逃し、結局朝まで語り明かすことになった。
再建の第一歩であった手ぬぐい企画は、こうしてまたもや三峯神社の狼を介して始まったのだ。

2016年の3月末に丹波山村への引っ越しを終えると、地域おこし協力隊の1年目が始まる。
この年は七ツ石神社の調査と普及に費やされた。どうやってあの場所を整備するか、まだ何も決まっていない頃。
最初に取り掛かったのは知名度の向上だ。
殆ど毎日、資料を印刷しては役場の中で七ツ石の話をし続けた。
場所が場所なので、村内でも詳細を知らない人はたくさん居る。
まずは存在を知ってもらうことからだった。
写真家の佐治多さんと知り合ったのもこの頃だったように思う。
道の駅で行ったイベントで「機会があれば一緒に展示をやりたい」と話したのだが、これが翌年「狼伝承と登る七ツ石山展」へ繋がることになる。

私の想いに共鳴してくれた玉川さんがデザインを引き受けてくれることになり、正式に依頼。
本格的に手ぬぐい企画が動き出した。
実際に七ツ石山へ登っての打ち合わせで構図を思案する。
縦が良いか横が良いか、どの辺に狼を置くか、星座の配置、山並みの位置。
出来るだけ、登ったことのある人がここを七ツ石の山頂であると見てわかるようにしたい。 
山頂なのだし、やはり狼のイメージとして遠吠えの姿勢がよかろうということになったが、月も星も入れたい。狼で遠吠えといえば満月のイメージだが、満月だと星空は見えないはずなので、できるだけ月を細くして、月も星も見える風景にしよう。と工夫。
ちょうど雲取山の方角に北斗七星がくることも確認した。
これが完成してたくさんの人に見てもらえたら、きっと神社も注目される。そう願った。


東京で暮らしていた頃、雨上がりにだけ濃い山の匂いがした。
それは国道のずっと向こう側の山々から吹いてくる懐かしい空気。
バイト上がりの深夜、この香りを胸いっぱいに吸い込む度に、わざと遠回りして自転車を走らせる。
帰りたくない。帰りたい。山に。
そんな形容しがたい焦りは、遠く蒼い影を作る山を見ては背中をざわつかせた。

今、雨上がりの風が運んできた空気の先に自分は居る。
いつも見ていた長い国道の向こう、道の先に。

そうして、再会した狼を巡る3年の計画が、手探りで始まった。

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