移住者が神社を再建するまで④

「剣に明け暮れ、民俗学を知り、國學院大學へ」

高校時代は剣に捧げたというとカッコいいが、360日くらいは剣道をやっていた。
3か月ぶりのオフに喜んで歌いだす先輩が居たり、辛すぎてあらゆる方法で現実逃避していた仲間たちと共に駈け抜けた青春である。
1週間に7日間は稽古をし、汗と涙を流して続けた剣道部での生活は今の私を支える経験のひとつだ。
中学時代も剣道部だったが、1回戦を一度しか勝ち抜けたことのない弱小で、表彰台など別世界の出来事だった。
しかし、高校1年目の夏に始めた上段の構えが見事に嵌ると、団体戦で快進撃を続け2年生のとき団体戦東京1位を取り、全国大会に出場するなどの成果を残すほどになる。
剣道部での3年間の出来事は、ここで語りつくせない涙のドラマが色々あるので割愛するが、とにかく高校時代は結果的に剣道一色だった。

剣道で大学推薦もきていたが、改めて進路に悩むこととなる。
ある時、高幡不動駅の本屋で『文豪傑作選 柳田国男集 幽冥談』が偶然目に入った。
後に、これもまた狼の縁によってこの本の編者東先生と座談会でご一緒させていただく機会に恵まれるのだが、まさか7年ほど後そんなことになると思ってもみない私は、この時「民俗学」という言葉と出会う。
それまで趣味の分野でしかないと思っていた妖怪や神仏の伝承が、学問として大学で学べることに衝撃を受けた。
早速、漢文の先生に「民俗学」を大学でやりたいと相談すると、先生の出身校をすすめられ、AO入試を受けることに。

入試で提出した小論文のタイトルは「武士道で考える滅びの美学」
物語や民間信仰などを通して、日本人の精神性や死生観、美的感覚について探求することが出発点だった。
今ではその要素が狼と山に凝縮している。
無事に大学へ進学してから、部活一辺倒の生活を繰り返すまいと気合を入れて臨んだというのに、気付けば居合道部へ入部していた。刀の求心力は恐ろしい。奉納演武を行った稲荷神社では刀の触れていないところから切り傷で出血したり、合宿で籠った秋田の道場では寝ている足元に一反木綿がゆらゆらと立っていたり、なかなかに不思議な時間を過ごした。

そして、大学での転機が訪れる。
部活仲間で気の合う友人が出来た。ロマンに懸ける熱さの波長が珍しく合う人物で、共に活動するようになったある日、毎週のように行っていた居酒屋の片隅で「学生の間に富士山へ登りたい」と提案される。
彼は沖縄の出身で、地元には高い山が無く、大学を終えてしまえばそんな機会もなくなるだろうと話した。
「ならば、その為に特訓をしよう。」
これが毎週、主に秩父の山へ通い、毎月三峯神社を訪れる山三昧の始まりである。
そもそも狼信仰と山岳信仰が専門なのだから、フィールドワークもついでに出来る格好の趣味ではないかと後から気づいた。
多いときは週に3日、山を下りては酒を片手に語り、授業が終わればその足で夜行バスに乗って京都へフィールドワーク。
そんな山に没頭し始めた年の5月、連休を利用して同じ伝承文学専攻の友人と三峯神社の宿坊へ泊った時のこと。
早朝の奥の院を詣でる為4時頃に友人を起こし、まだ暗い境内を横切って登山道へ向かう。
山頂で朝日でも、と思っていたのだが既に薄明るくなってきた。
時間は4時40分を過ぎた頃だと記憶している。山道の前方に、何やら大きな動物が立ちはだかった。
調子よく歩いていた惰性で少し近づいてから、我々はふと立ち止まる。
「大きな白い犬」だ。豊かな毛のせいで、実際よりも大きく見えていそうだった。
じっとこちらを見ていた大きな犬らしきものは、こちらが対応を迷っている間にその場で高く跳び上がる
ただ眺めていることしか出来なかったが、それが音もなく道脇の藪へするりと消えるのを確認すると、私たちは急いで近寄った。
小枝を踏む音もしないどころか、何かが通った跡も無い。一体今のは何だったのか、この時は語り合うこともなく、首をかしげながらも先を目指した。
するとほんの数分後のことだ。ぐるるる、と耳元で唸り声が聞こえる。
「うわ、熊だ。終わった・・・」心の中でそう思い、身を固くした。
しかしまたもや音もしない。慌てて周囲を見回すも、そこは岩の目立つ見通しの良い場所だ。
どこにも動物の姿は無かった。確かに友人も聞いたと言うのに。

その後は何事もなく奥の院へ辿り着き、無事に参拝することができた。
境内まで難なく戻ってくると、ちょうど朝の御勤めで太鼓が打ち鳴らされているところだ。
清々しい気持ちでそのまま売店に立ち寄り、馴染みのおばちゃんに一部始終を語ると
「御眷属さまかもしれない。ちょっと、朝の御祈祷に参加してきなさい。」(御眷属とは三峯神社のお使いである狼のことだ。)
申し込みもしていないし、太鼓が鳴ったのだからもう始まってしまうだろうと思い辞退したのだが、
「いいから。大丈夫、電話しておく。」と社務所に連絡をとってくれた。
ばたばたとやり取りをして、あれよと言う間に背中を押されて昇殿する。
三峯講の方々が静かに揃っている拝殿の端へ混ぜていただき、自分たちにも用意されていた玉串を奉納して参拝をした。

この日、不思議な縁を体感した私は三峯山を後にしながら「山岳信仰を生涯のテーマとしよう。」と強く誓い、部活を辞めて山に専念することを決める。

そして夏、初めての雲取山を目指す道中。叩きつける雨の向こうに、傾いた社を目にすることとなるのだった。

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