移住者が神社を再建するまで⑧

「想いは狼に託される」


一悶着あった手ぬぐい企画は当時の課長の加勢によって無事に実現し、
2017年の3月に完成。販売が始まった。協力隊の2年目が始まる。
デザインは白と黒のいずれも横型で、夜の七ツ石山頂で遠吠えする一匹の狼柄と「七ツ石」「将門公七人の従者」に掛けて「七匹狼」が行進する柄だ。
夜のデザインは特に、距離で変わる空のグラデーションにもこだわった。
東京都庁で開催されたイベントにてお披露目が叶うと、私はまず氏子さんの所へ。
丹波山村小袖地区は、黒川金山の閉山と共に移り住んだ金山衆が起源という説がある場所で、今は無き妙見社と、七ツ石神社の主な氏子地域となっていた。星と狼の信仰は確かに此処にもあったのだ。
山に落ちた星が金になると考えていた金山衆は、やはり小袖にも住んでいたのだろう。
そんな小袖地区には、現地では最後の氏子であるSさんが居た。
移住して直ぐ、課長の案内で引き合わせてもらったおばあさん。
Sさんの元へ私は度々通って、昔の七ツ石周辺の話を聞き取る。
4歳くらいで小袖へ養女としてやってきたSさんは、今では大きな屋敷にひとりで暮らしていた。

Sさんが小学生の頃、午前2時頃におじいさんと家を出て山道をひたすら登る。
道中、七ツ石さんを拝んでまた進むと、自分の背より高いすず藪で度々おじいさんの背は見えなくなったという。
何度も見失いそうになって泣きだしたくなるのを必死に追いかけると、やっと辿り着いたのは三峯神社だ。
戦時中の三峯は都会のように賑やかで、たくさんの女性が祈りを捧げに来ていた。
雲取の山小屋へ荷上げをする若い女性は、大きな米俵を担いでいたらしい。
5月の事だった。
三峯を参拝すると、今度は大陽寺へ。今日の宿泊先だ。
石垣のシャクナゲが鮮やかな色で、長い旅路で疲れた目を癒してくれた。
翌日、起きてくると境内は真っ白に染まっている。雪だ。
しかも夜の間で相当に積もったらしい。眩しい程の大雪で帰れなくなり、お金の代わりに米を渡してその日も泊ったという。

Sさんは訪ねる度に、何度も私を拝んだ。
「私はこの足でもう山へ上がれないから、ここ(神棚)で勘弁してもらっています。」
「お社がそのままなのを分かっているのに何もできなくて申し訳ないです。」
若輩者の私にも丁寧な口調で、いつも七ツ石を想って生きている人だ。
忘れられていた神様をまた立て直そうとしてくれるとは有り難い、と外から来た私を精一杯応援してくれる最初の村人。
そんなSさんの元へ、その第一歩である手ぬぐいを渡しに行った。
「七ツ石さん、こんなにたくさん仲間を描いていただいて・・・きっと喜んでいますよ。」
細めた瞳を潤ませたSさんは、その手ぬぐいを神棚の下に飾ってお神酒を上げてくれる。
「あなたの敬虔な心が全うできるよう、毎日七ツ石さんにあなたの事を祈ってから寝ています。」
「何か言ってくる人がいても、その志を貫いてください。」
嬉しくて、私はその言葉を書き留めた。この先何度でも思い出すように。
おばあちゃんは祈ってくれている。絶対に七ツ石神社を再建して、安心させてあげたかった。

その年の7月。「狼伝承と登る七ツ石山展」の第一回が、東京のドイツ文化センターで開催される事となる。
会場は佐治多さんの御縁があって借りられた場所で、途中で合流した佐藤さんが水彩画、佐治多さんの写真、玉川さんのペン画、私の解説文という内容で構成された。
事前の打ち合わせでは、登れない人にも知ってもらえて臨場感のある展示を、と麓から山頂を目指す展開に。
佐治多さんがプロデューサーとなって固めてくれた企画展は、想像以上の反響をもたらしてくれた。
何よりレセプションの熱気。会場に集った誰もが、同じ山の話をし、狼に纏わる事柄を語り合う。
「再建しよう。」「狼の居場所を守ろう。」「文化を繋ごう。」
皆の情熱に背中を押されて、私は決意を新たにした。

撤収日、七ツ石展メンバーの4人で会場近くの山王神社に無事終了の挨拶。
その後軽く打ち上げをし、話は勿論七ツ石神社が中心となった。
朽ちかけた社に、崩れかけた狛犬に、それぞれの痛みを重ねていたこと。
狛犬阿形は既に崩れていて、欠片が散乱している状態だった。
自身も削れていきながら、吽形はひとりであの場所に座り続けている。
そんな姿に、自分たちの何かしらの”痛み”を感じて、看過できない気持ちが形になったのが今回の活動だ。

村に戻り、再建への手立てを考える。
色々な事例を調べていくと、文化財であれば行政が整備できることが分かった。
「七ツ石神社」を村の文化財に指定しよう。
その為の段取りを教育委員会に相談すると、文化財保護審議委員会を招集してそこで可決されれば良いと分かる。
委員の名簿を確認し、個別に連絡を取って早速説明会を開催する運びとなった。
実に、10年ぶりの審議委員会開催である。
資料は殆ど無いものの、近隣の文化との繋がり等、1年間の調査結果から説明し「七ツ石神社」は「七石権現社旧社地」として文化財指定が即刻可決された。8月の終わりのことだった。

小袖地区のSさんから、定期的に電話連絡が来る。
文化財になったので本格的に事業化されること、狛犬の狼さんも直すつもりだということを伝えた。
今日は、頼みがあって連絡をくれたのだとSさんが言う。
「歌をつくったので、聞いていただけますか。」
私はすぐさまメモ用紙を準備した。
 天高し 七ツ石山の晴れやかに 錦秋の紅葉 四方に輝く
「私はもうお社まで行けないので、この歌を代わりに届けてください。」
住んでいるところから見える社の高嶺は、秋になると紅葉に囲まれて輝いてみえるという。
今のSさんから見える、七ツ石さんへの称賛の歌だ。
「私の歌だと言うのは憚られるので、小袖講中と残してください。」
どこまでも謙虚なSさんはそう言って電話を切った。

私は未だ、この歌を山上にどう残すか考えたままだ。
再建は社が建ってからも、続いている。

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