移住者が神社を再建するまで⑫

「別離」

一日霧が晴れず、ヘリコプターが飛ばなかった着工予定日。
延期日が翌日だと知らされていなかった私は、この日山を下りて早朝また登ることとなった。
大工さんたちは食料の全てをヘリの荷へ積んでしまっているという。
これも想定外の出来事だった。急遽、大工さんたちは山小屋へ泊まることに。
小屋の食料も不足しがちということだったので、私は下山することにする。
朝の7時には再度ヘリ作業を開始するので、誘導の為にその時間には現地へ居てほしいと言われたが、一度下山しては暗いうちから登ることになる。
仕事での登山は2人以上からという決まりだったが、割ける職員も居ない。
やむを得ず誘導も現場監督へお任せすることにして、小雨の山道を駆け降りた。

画像1

そして迎えた再挑戦の翌日。
朝靄の向こうに見えるヘリコプターのシルエット。
流れてはまた湧いてくる霧。
タイミングとの勝負だ。
現場と連絡を取り合いながら、全員で山上を見つめ続ける。
七ツ石山の姿が見えた。
雲に覆われる前に、荷上げのゴーサインが出る。
荷物と段取りの最終確認「ご安全に!」円陣は散って、離れた所に伏せた。
大きな音を立てて上昇するヘリを一様に見上げる。
10月16日。一日遅れたものの、分解された社のパーツは次々に宙を舞って七ツ石へ向かった。
晴れたのはこの一瞬だけだった。
無事に飛び立ったヘリを追って、自分も山上を目指す。
道中、登山者の方から励ましを受け、辿り着いた現場では既に組み立てが始まっている。
その日も15時頃の作業まで立ち会うと、撤収と同時にひとまず安堵して下山。
後は天気がこれ以上悪くならず、無事故で工事が終わるのを祈るばかりだった。

画像2

役場に帰った私は、無事の着工を報告しようと一番手前の課長へ声をかける。
「お疲れ様です。課長、あの」
「聞いた?・・・Sさん、亡くなったって。」
よく分からなかった。見つかったのは今朝だそうだ。
飛び立ったヘリを見つめていた時、その視線の延長線上で、あの家でSさんは旅立っていた。
あと5日もすれば社は再建される。狛犬だって、来週には帰ってくる。
もう少し、あと数日で約束は達成されたと、報告できる。けれど、間に合わなかった。

最後に会ったのは台風の後、様子を見に伺った時。
「どんなに憎まれ口を叩いても、やっぱり子供はかわいいと思える。」と話していた。
離れて暮らす息子さんたちの事を、回想していたのかもしれない。
我が子でさえあんなに苦労だったのに、養女だった自分を育て、ましてや更にその子供まで面倒を見てくれたおばあさんへの感謝と尊敬。
涙交じりに語る言葉の裏には、若い日々におばあさんへ心無い言葉も言ってしまった後悔があったのかもしれなかった。
「私がこの先ボケてしまったら、昔の年寄りの悪口を言うかもしれない。
 万が一、おばあさんを悪く言うようなことがあったら、その時はあなたが、私をきっと叱ってください。」
生きている間に、お犬様の帰還も、社の完成も、短歌を形にすることも、叱ることも。
なにひとつ叶える間もなく、別れは唐突だった。
ひとりになってから、料理も殆どしなくなったと言って恥ずかしがりながら作ってくれた卵焼き。
他に何もないからと、いつもお米を山のようによそってくれた。
戦時中の米の尊さを横で語られながら、山になった白米を必死に飲み込んだ日を思い出す。
「女性だからって言われてもね、もっと派手な服着て、好きに自分を貫けばいい。」と背中を叩かれながら、
この地味な服は自分の趣味なんだけどなと苦笑いしたものだ。

七ツ石を祀った小袖地区の、最期の氏子だったSさんからかけられた最後の言葉は「絶対に、独りになってはいけません。」

一匹残った吽形の、それでも微笑みに見える横顔を、私は想起した。
ひとりだったけれど、独りではなかったのかもしれない。
無音の遠吠えを聞き届けて始めた活動が、たくさんの仲間に響いた日々を、
あのレセプションの熱気を、酒に酔って泣きながら再建を誓った握手を、
その為に描く撮ると言ってくれた仲間の瞳を。
Sさんにも見せてあげたかった多くの景色が、これからあの山に建つ社の背景にはある。

毎日現場に立ち会う。霧と小雨の中の作業。ヘリが上がった一瞬以降、晴れ間は無い。
半ば呆然と作業を見守り続ける指先が冷え切る。
霧吹きのような水が、少しずつ服にしみこんで心まで重くさせた。

見えるものを通して見えないものも守るため。
それが私たちの再建だった。
おばあさんもきっとそうだったと思って、とにかく完成まで走り切るしかない。今は。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?