見出し画像

移住者が神社を再建するまで⑤

「七ツ石神社」

 2013年、夏。大学生の長い夏休みの冒険に、選んだ場所は雲取山だった。
沖縄出身の友人を道連れに、いくつも計画した山行のうちのひとつである。

奥多摩駅から出発し、道中で羽黒三田神社に参拝して、石尾根の縦走路をひたすら進む。
厳しい暑さと飛び交う虫に精神力を削られながら、同じような景色の登りを黙々と歩いていると、次の目的地である鷹ノ巣山までなかなかつかない。
ペースが悪いのだろうか、地図でいくとそろそろ見えてもおかしくない頃だが・・・と進むうちに日が傾く。
ガスが出て良いとはいえない天気も、一層雲行きを怪しくしていた。
だんだんに気持ちが焦るなか薄暗い林を通った時、前方の木がガサガサと大きく揺れる。
「随分と大きな鳥がいるようだな。」と悠長に考えながら近づいていくと、木の上にいた何かが落っこちてきた。
子熊だった。
初めてのリアル熊に友人と二人、その場に固まる。近くに親がいるのではないか。
幸い、向こうはこちらを気にも留めず、目の前を走り去った。
途端に危険を感じ出した我々に会話を絶やしたくないという共通の目的が生まれるも、二人とも疲れ果てて話題すら浮かばない始末。
しかし何かしら音を発さなければ、という思いで出した答えは「全力でしりとりをする」ことだった。
無意味に身体を揺すったり叩いたりしながらの全力しりとりは、薄暗い森の中でかなり異様な光景だっただろう。
藪を小屋に見間違えたりするほど混乱した状態でも、なんとか避難小屋を見つけて正気を取り戻した私たちは、七ツ石小屋まで行くのを断念してここに泊まることを決めた。
避難小屋に先客は無く、静かでがらんとしている。
時刻は15時を過ぎており、完全に暗くなる前に小屋前のベンチで簡単な食事を取った。
友人が持って来たスパムを焼いたりした記憶がある。
早々に小屋へ引き上げて端に荷物を寄せると、持ってきていたエマージェンシーシートと余分な上着を使って寝床をつくり、眠気がやって来るまでひたすら横になり続けた。
うとうとし始めて眠れそうだ、という時によく知らない大きな虫が飛来するが、私が起き上がると手の届かない壁へ逃げられる。
向こうへ行ったのを確認して横になると、また程よいタイミングで虫がやってくる。
これを繰り返されて、私は戦い続けるはめになった。
気付けば友人は熟睡している。なんと羨ましい。
こうして誰にも知られることのない虫との攻防は、大変悲しいことに明け方まで続いた。

 翌朝、変なテンションで元気溌剌になっている私は、まだ眠そうな友人に
「ちゃんと寝てたんだから、何か熊除けに歌ってくれ。」と理不尽な八つ当たりをして雨中を出発。
次第に強くなる雨粒を受けながら、予定通りにまず七ツ石山を目指した。その先が雲取山である。
七ツ石山に差し掛かる頃には豪雨といっていいほどの大雨になった。
俯く度に、帽子へ溜まった雨が鹿威しの如く流れ落ちる。
なんだか逆に楽しくなってきて笑いだしたりしていた。狂気。
ふと、石灯篭が目に入って顔を上げると、そこにあったのは傾いた東屋。
この頃はまだ朽ち果てた鳥居が建っていたので、神社なのだと理解できる。この様子だと管理を放棄されているのだろうか。
探索したい衝動に駆られるも、あまりに酷い雨で足も止められずに会釈して通り過ぎる。
この一瞬が、七ツ石神社と私のファーストコンタクトだった。
人生でいくつもある、通り過ぎた神社のひとつ。になるはずだった、あまりにも呆気ない一瞬。
傾いた暗がりの奥、じっと正面を見据えていた狛犬の薄くなった双眸にも、映ったかどうか分からない。

雲取山の山頂へ至る最後の直線尾根を歩いていると、ふいに雨が止んだ。
光につられて空を仰ぎ見ると、ぽっかりと雲一つ分小さな穴から綺麗な青空が覗いている。
随分久しぶりに見たその色は、この山行で初めての鮮やかな青で、少しだけ涙が出た。

下山した私は、あの雨にすれ違った神社が「七ツ石神社」で、ご神体は麓へ既に下ろされていることをSNSによって知る。
部外者がなんとかすることは無理だろうけれど、せめて残ったものを記録しようと、月に一度は七ツ石山へ登り周囲に落ちていた木札等の写真を撮った。
自分に出来ることはこれくらいだ。この時はそう思っていた。

 しかし、早朝の三峯神社で出会ったあの「白い大きな犬」をきっかけに、縁は七ツ石神社再建へ動き出すことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?