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七ツ石神社とは

そもそも七ツ石神社とはどういった社なのか。
初めましての方もお馴染みの方も、改めて確認していこう。

「七ツ石神社」は、山梨県北都留郡丹波山村の七ツ石山(標高1757m)山頂直下に位置する社。七つの大岩をご神体とする。
登山口から約3時間を要する登拝となるため、今では祭礼は麓で行われる。
山の神のお使いである狼が狛犬(狼像)として安置。
御札にも対の狼が描かれており、そのデザインは丹波山の山伝いに隣同士である秩父「三峯神社」と似通っている。
三峯神社も狼を神の使いとする「狼信仰」であり、往古七ツ石とも信仰上の関係性が深かったと考えられている。

それを裏付ける資料が二つだけ残されていた。
お世話になっている三峯神社の神職Cさんに調査協力をお願いさせていただいたところ、元禄年間に幕府へ報告された「武州秩父郡三峰山境内覚」の中に【雲採ニ那那石大権現御座候】との文言があると連絡があった。
活動を知った元住民からは、明治27年2月12日 七石宮之拝殿新築寄付帳のコピーを送っていただき、
抑モ七ツ石神社ハ三峯神社ノ奥之院トモ云フ天児屋根命、日本武尊ヲ安置奉ル尊社】と記される。
『新編武蔵風土記稿』にある、「雲取山に石権現」というのも七石権現のことだろう。
七石蔵王権現の札が、小袖講中の家から見つかっている。

江戸後期には七石権現の呼び名が通称となり、明治4年には七ツ石大神、明治27年七石宮、昭和22年七ツ石大社など様々に呼ばれて現在は七ツ石神社が通称となった。

七ツ石の大岩には平将門公従者七人が岩に化身した伝説が残り、将門公と従者を祀るとも伝わる。
この大岩の正面(南側)には富士山が見え、尾根伝いに雲取山(その上に北斗七星が上る)が拝せることから、富士山信仰と北辰信仰の行場であったと推測される。
実際、登山口である麓の小袖地区には羽黒神社があり、その棟札には富士山信仰の扶桑教の名が見られた。

三峯神社が観音院高雲寺だった時代には、雲取山一帯を熊野に見立ててあらゆる行者が行き交い、出羽の山伏は湯殿山で三峯の札を狼除けに配ったりもした。
東北では狼をなんとかできるのは「三峯様」という狼を従えた女神だと考えられた。
三峯様とは大市姫神のことだという。市の立つ峠と、峠に出る狼に関連するのだろうか。この女神について色々と考察していることがあるのだが、ここでは割愛する。

七ツ石も奥駈けの道中にある行場のひとつだったのではないか。
交通の要衝として、峠だったという話もある。市も立っていたかもしれない。

そんな七ツ石神社は、私が出会った時には既に30年程放置されている状態だった。
関係者の高齢化で御神体が麓に下ろされてから、参拝するのは登山者のみ。

今にも崩れそうな社と、壊れかけた狼像に心を動かされた人々が繋がっていき、遠吠えのリレーが始まる。

ここはそんな、忘れられかけた文化の反撃の狼煙台だと、我々は言う。


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