移住者が神社を再建するまで③

「狼信仰に出会うまで」

幼稚園時代は、殆ど忍者修行に費やされた(といっても過言ではない)
将来の夢は忍者の後、警察官、錬金術師などなど紆余曲折あって、最終的に500年後を見据え出す(カラス天狗)のだが、20代後半にして一周回ってパワーアップすると思ってもいない私は、無邪気に小学校へ進んだ。

小学校2年生からは合気道を習い始め、侍キャラが早くも定着しだす。
やがて小学校も中学年になるとシートン動物記をよく読むようになり、中でもやはり「狼王ロボ」を大層気に入ってそこだけ何度も繰り返し読んだ。
図書室で借りてきては、返却日になると一度返却して再度借りるということを繰り返して、長いこと手元に持っていた記憶がある。

5年生になると北欧神話に興味を持ち、時間の許す限り調べ物をした。
自分で神話用ノートを作り、弟を相手に講義を定期開催する日々を過ごす。
一番印象的だったのは、「月と太陽は狼に追いかけられ続けているので、昼と夜が交互に必ずくる」という話。
星座の神話もそうだが、その想像力と世界観に感嘆し、自分の中でも世界を想像したりしていた。
北欧神話からギリシャ神話などを調べだし、海外で狼が特別な働きをしている事例をいくつか見かけるなか、日本にもないかと調べたところ最初に辿り着いたのが三峯神社の狼信仰。
ここで初めて、私は「狼信仰」という言葉に出会う。
狼王ロボから狼の物語に触れた私にとって、狼は「高潔な魂の象徴」だったので、狼信仰という文化はすんなりと心に落ち着いた。
後に新渡戸稲造の『武士道』に大変感銘を受けるのだが、私の感じる武士道は「気高い狼の生きざま」と「滅びの美学」への強い憧憬の中にあったように思う。
狼王ロボに、武士の在り方の理想を重ね見ていた。

中学生になると剣道部へ入部。
この時代の印象的な出会いといえば「平家物語」と「曾根崎心中」である。
このふたつと剣道との出会いが、以降の私に大きく影響することとなった。
平家物語は特に、忠度の都落ち、木曾主従の最期。
曾根崎心中は勿論、道行の文。
今でも気が落ちている時に音読しては、その日本語と情景描写の美しさ、熱さに心を灼かれて泣く。
そうして安堵する。この世には血でなく魂で残せるものがあることを。それが命を超えていくことを。

この瞬間までに出会った、狼、刀、神話、伝説、武士道、滅びの美学の欠片たちが、高校進学の先でひとつに収束していったのだった。

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