顎と歯の問題

長年、アイリッシュ・ウルフハウンドでは、歯の問題は見過ごされてきました。しかし近年、下顎の幅が狭く(細く)なりすぎる傾向がみられ、それに伴う犬歯の位置異常によるトラブルが増えています。

欠歯

犬の歯と顎の問題で一般に多くみられるのは、欠歯や噛み合わせの異常(オーバーショット、アンダーショット)です。犬の歯は42本ありますが、その一部が生えてこない状態を欠歯といいます。犬種によっては、欠歯はブリードスタンダード(犬種標準)で欠点と定められていて、ドッグショーの評価に影響し、繁殖の際に考慮すべき事項になっています。アイリッシュ・ウルフハウンドの場合は、欠歯についてはスタンダードでとくに記載がなく、臼歯1〜2本程度の欠歯は多くの場合問題とされてきませんでした※1。その結果、数本の欠歯は、ウルフハウンドでは比較的よくみられるようです。

欠歯は、犬の生活上必要な機能や健康にはほとんど影響がないので、個々の犬の欠歯は心配することはありません。「歯で走るわけではない」「野生の狼でも欠歯はみられるから問題ない」というブリーダーもいます。たしかに犬種本来の用途である狩猟をするうえでも、数本の欠歯はたいして問題になりません。しかし、この傾向が強まることは決して好ましいことではありません。繁殖する場合には、父母両方の欠歯を確認し、子世代の欠歯が増えないようにする必要はあるでしょう。


下顎の幅と下の犬歯の位置異常

欠歯と関連があるのかもしれませんが、近年の犬は下顎の幅が上顎に比べて狭く、また下顎の骨の厚さが薄くなる傾向があります。下顎の作りが全体として貧弱になっているといえます。

上顎に比べて下顎の幅が狭くなると、下の歯の位置が本来あるべき位置からずれてしまい、上下の歯の噛み合わせに問題が生じます。上の歯と下の歯がしっかり噛み合わないと、食べ物を噛みちぎることが難しくなります。ただ、ドッグフード中心の食生活であれば、噛み合わないこと事態はそれほど問題ではありません。問題となるのは、下の犬歯が上顎や上の歯茎に当たってしまうケースです。下の犬歯が上の犬歯に比べて大きく内側に寄った位置にあると、下の犬歯の先端が上顎や上の歯茎に当たり、ひどい場合には傷をつけて穴を開けてしまいます。そうなると犬は常に痛みを感じ、また炎症や感染が起きやすくなります。このようなケースでは、下の犬歯の切除といった治療が必要になります。

下顎の幅と長さが十分にあっても、犬歯が生える方向が内側に傾くと、同じように上顎を傷つけることがあります。著しいオーバーショットの場合、下の犬歯が上の犬歯とぶつかり、やはり下の犬歯が内側に傾いてしまい、上顎を傷つけることになります。

下顎の幅が狭いために起こる下の犬歯の位置異常は、ヨーロッパやアメリカで20年ほど前から問題になっていました。2015年、アイルランドのアイリッシュ・ウルフハウンド・クラブは、ブリード・スタンダード(犬種標準)を改定し、「欠点」の一覧に「幅が狭い下顎、下の犬歯の位置異常」を追加しました。この改定はいずれFCIのブリードスタンダードにも反映されるはずです。

純血種の犬の健全性向上を目指すイギリスのケネル・クラブのBreed Watchプログラムは、犬種ごとに健全性の観点から注意および改善が必要な点をリストアップしています。現在、アイリッシュ・ウルフハウンドは「カテゴリー2(懸念事項がある犬種)」に分類され、注意すべき事項として「下の犬歯の位置異常」が挙げられています※2。

オーバーショット、アンダーショット

オーバーショットとアンダーショットは、上下の顎の長さのずれからくる問題です。上下の歯の噛み合わせは、ぴったり接した状態が普通です。上顎に比べて下顎が短いと、上の歯の位置が下の歯の位置より前にくるオーバーショットになり、上下の切歯(前歯)の間に空間ができてしまいます。逆に下顎の方が上顎より長いと、下の歯が上の歯よりも前にくるアンダーショットになります(反対咬合、受け口)。アンダーショットはブルドッグなど短吻種の犬種で比較的多くみられます。

アイリッシュ・ウルフハウンドでは、アンダーショットはあまりみられませんが、軽度のオーバーショットは時折みられます。程度がひどくなると、上記の下の犬歯の位置異常で説明したように、下の犬歯が上顎や上の歯茎を傷つけてしまうことがあります。

成長期の歯の噛み合わせ

成長期には、歯の噛み合わせが正しいか、歯が口の中を傷つけるようなことはないか、ときどき確認してみてください。軽度の噛み合わせの異常は、様子見をして大丈夫です。ウルフハウンドの顎の成長は生後12〜15カ月頃まで続きます。その途中で軽度のオーバーショットや犬歯の位置異常がみられても、成長が終わる頃にはだいたい正しい場所に収まっていることがあります。また、乳歯のときに犬歯の位置異常があっても、必ずしも永久歯も位置異常になるとは限りません(ただし、顎の骨の変形がみられる場合は異なります)。痛みや傷の程度がひどい場合をのぞいて、成長途中での歯の除去手術はできれば避けたほうがよいでしょう※3。

☆☆☆

※1  ケネル・クラブ等の規則により欠歯が許容されない国では、欠歯があるとドッグショーの評価に影響し、繁殖資格が得られないこともあります。
※ 2 ケネル・クラブ(イギリス)「Breed Watch」:アイリッシュ・ウルフハウンド 。同、Breed Watchについて(PDFファイル)。Breed Watchプログラムでは、 各種の健康調査、獣医師のアドバイス、ドッグショーのジャッジの意見、各犬種クラブからの報告などに基づいて、各犬種ごとに、健全性に影響を与える懸念のある事項をリストアップしています。そして、懸念事項が多い犬種は「カテゴリー1(要注意犬種)」、懸念事項がある犬種を「カテゴリー2」、現在とくに懸念事項がない犬種を「カテゴリー1」にカテゴリー分けています。
※3 イギリス、スコットランド、アイルランドのIWクラブで構成されるIrish Wolfhound Health Groupでは、2014年から子犬の顎と歯並びの成長に関するサンプル情報を集めてます。その結果、アイリッシュ・ウルフハウンドの子犬は成長の速度が早く、一般的な犬の顎や歯の成長過程とは異なること、またそのため成長過程で位置異常が認められても、成長期が終わる段階では正常となることがあり、成長期の子犬の歯の治療は避けるべきだとしています。
同グループによる子犬の顎と歯の成長(写真解説):最初の2枚の写真は正常な歯の噛み合わせ(生後9週)、次の2枚は下顎の幅が狭く下の犬歯が上顎と歯茎にぶつかっている例(生後9週)、5枚目は生後6カ月で成長途中の永久歯、6枚目以降はは成長過程で右下の犬歯の位置異常があった犬(6カ月時は右下の犬歯が見えない→8カ月時には右下の犬歯が見え始める)、正常な永久歯の噛み合わせになる(生後8カ月)、最後の2枚は同じ犬の17カ月時で、正常なシザーズバイトの噛み合わせとなった。

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