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僕が考える偽善者、『えっ?それとも自分がおかしいのか?』まあいいや捉え方は人それぞれだもの

結構長く生きているが、小さい頃から自分は何か周りと反応が違うな?なんて事をよく考える事があった。

周りの雰囲気や反応、また、言動から感じる事は、
自分が感じているものとは何か違う反応?

そう思う事がしばしばある。

小さい頃は、そのせいで誤解を招く事もあり
当時は、なんでこの人こんなに怒っているんだ?そんな事が何回か記憶にある。

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・まえがき

これから書く事に共感する人が、沢山いるとは経験上考えずらい、いや、むしろ反感を買う事になるだろう。

でも理解できない物は仕方ないし
これが自分の人格成形である事は
自分で否定はしないし悪いとも思わない。

むしろ物事の大小にもよるが
(判断基準は人それぞれ)

みんな本当にそう思っているのか?
こんな疑問を今でも感じる。
サイコパス呼ばわりされた事もあったが
『サイコパスに失礼だ』これが感想
別に異常者とは思っていない。
至って正常な人間の呟きの話し

・偽善とは

偽善とは

うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「偽善に満ちた社会」⇔偽悪。

ここまで見てもらった人に
誤解を招かないように
1つだけ自分の事を話したいのだが


感情の冷たい部分がある事は
確かに自分でも認識している
しかし、決して
他人の痛みがわからないと言うことではない
捉え方が違うのである

説明したい考え方やストーリーが今回の件では
言語化する事が自分には難しいので
簡単に終わらそうと思う。

・僕が周りの反応に対して偽善者だなって思う事

例えば、

怪我をした、小さい怪我や大きな怪我この度合いにもよるが、一般的に考えて大した事のない怪我

具合が悪い、
風邪なのか?飲み過ぎ食べすぎなのか?
大病で具合が悪いのか?
この場合は大した事の無い具合が悪い

自分が思う【偽善者】だなって感じる事は
物事の大きな方ではない
大した事の無い方の物事に対して騒ぐ人

具合が悪い人に
如何にも私は貴方の事を心配していますよって感じで『大丈夫?』って聞いて心配する素振り

軽く転んだ位の人に『大丈夫?』って聞いて心配する素振り

またその事に対して集まってくる周りの人達
心配そうに見ているフリ

こう言う事を目の前で見ている時に感じる事が『絶対に大した事ないから大丈夫でしょ』
『なんでそんなに心配したフリしてんの』
何この茶番劇って感じてしまう。

そもそも耐えられない程の具合の悪さや怪我は見ればわかるし本人も主張するだろうと思う。

勿論目の前で車に轢かれた人がいたら僕だって心から『大丈夫ですか?』『どこか痛い所ありますか?』ってなります。

それでも、もし本人が大丈夫と言ったなら大丈夫なんだろうと思う。

・みんな偽善者なんだなって感じる時

基本的な考え方がこうなので
逆に声をかけられると
なんで心配するフリを
しているんだろうこの人?ってなる

別に転んだだけだしとか、風邪ひけばそれは具合悪いよねって
『あ〜いい人ぶってるんだ』この人
偽善者だな、こんな風に感じる

この様な事が起きた時の思い出を、もともと思った事を口にしてしまうタイプなので人に話すと大体が『冷たい』とか『そんな考え方しか出来なくて可哀想な人』とか『人の痛みがわからない』とか言われるが、そう言われてもどうしようもないので、今はそう言う事は言わないという選択である。

そもそも思ってもいない事に合わせなければいけないのは【同調圧力】では?とすら感じる。
心配して欲しい時は自分からダメな事を伝えるから、それ以外の事は笑ってくれる方がまだ気が楽である。
ただしこれを現実世界で実践すると経験上いい事は無かったのでオススメは出来ないという事が言える。

つまり、最後に何が言いたいかと言うと
民主主義で多数決の多い意見が常識となるので
日本って生きづらいなって言うお話しでした。

今日もコンセプトがずれてしまったけれども

・いいね共感出来るよ
・その考え方はおかしい間違っている
・何が言いたいのかよく分からない
って人達

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