能わず、陰り、逡巡する
発信が、できなくなった。
noteも、Twitterも、コミュニティの活動の場であるSlackでも。
あらゆる発信ができなくなった。
言葉で発信することはおろか、Twitterのいいねも、Slackのスタンプも仕事以外では押せなくなった。
前回のnoteから50日以上が経過した。
ゲ〇を吐きそうな思いをしながら、数日に一度このnoteの下書きを開いて反芻しているが、そろそろいろいろ限界も近いし、発信イップスはもう治らんと思うけどこれを処理しないと色々進めないから、またいろいろ問題あるかもしれんけど投下することにする。
「いまさら」という内容を多く含むので、関係者各位は不快感の反芻になる可能性がある。読まない方がいいかもしれない。
僕の「お気持ち表明」以上の何物でもないけど、書いて公開しないと何となく次の事を考えられないような心持ちなので、ご容赦願いたい。
これが本当に最後の発信になるかもしれない。
原因は、僕がTwitterに投下したツイートだ。
所属するコミュニティについて、僕が覚えた危機感を、僕なりに端的に、僕の備忘録というか、自分向けというよりはもう少し広い範囲、コミュニティ関係者に僕が感じていることを何となく知ってもらえたらな、というくらい、かなり軽い気持ちの、僕の中ではふんわりしたものだった。
軽率だった。
当該ツイート、共感と同意があった一方で、批判と捉えられて不快感を与えてしまったらしく、それを起点にコミュニティに思いを寄せるメンバーの間に議論というか波風を呼んでしまった。
内向きの、ふんわりした危機感のふんわりした共有のつもりだったのだけど。
当時僕にはどう見えていたのか、を書いてみる。
まずコミュニティの中の話。
コミュニティの活動がそれほど活発であるようには見えていなかった。特定のチャンネルに特定の人が投稿している状況が続いていた。一部地域でオフ会の開催頻度は上がっているが、対してオンラインでのコミュニティとしてのイベントの頻度は下がっているように感じられる。定期的にオンラインで集まる場所はあるけれど、そこに参加できない/しない僕のような人間からすると、どうしてもクローズドな印象が強くなってしまう。
特定の活動に参加していないと、コミュニティに所属している実感を持てないような状態なのではないか。
簡単に言うと、コミュニティとしての活動の熱量が下がっているのではないか、と僕は感じていた。
それに対して。
コミュニティの主宰が所属する企業が外向けの発信を活発にし始めた。
その企業は、サービスの一部を少しだけコミュニティに提供してくれるなど、その時点でコミュニティとの繋がりが既にあった。
ほどなくして、活発になり始めたその企業の発信に、見知った顔を複数見るようになる。主宰ではないコミュニティのメンバー。日を追うごとに、その発信に映るメンバーが増えていった。みんな、コミュニティの中ではある程度目立つ存在だった。
そして、その中に僕も写り込むことになる。
この状況を少し引いた視点で見て考えてみた。
コミュニティの中から選ばれた者が、その企業に引っ張られていく、というように見えていはいないか。
コミュニティの活動から選ばれた人が、より楽しい場所へ呼ばれていくというように見えてはいないか。
そう見えているが故に、コミュニティの中に、「選ばれなかった」「声が掛からなかった」と、寂しい思いをする人が出て来やしないか。
「なんで自分は呼ばれないんだろう」という疑問を芽生えさせはしないか。
せっかく入ったコミュニティなのに、たくさんのメンバーがここより楽しいところにいる。あっちの方が楽しそう、そんな風に思うメンバーがいるのではないか。
僕が覚えた危機感はこれ。
引いた視点で眺めたとき、コミュニティの中の熱が下がっているのは、コミュニティの熱が外に出てしまったからだ、という感じに見えた。
そしてその先に、熱の上がらないコミュニティと、そこを去っていく人たちを想像してしまった。何度かあった大量退会の波が、また来るんじゃないか。
そういう危機感だった。
※※※※※
こうやって書いていると、どうしてもその企業さんやコミュニティの主宰に対して僕が悪感情を抱いているように見えちゃうかもしれないけど、どちらも僕はとてもリスペクトしている。表現の稚拙さでそう見えちゃうのは申し訳なく思うけど、今の僕にはこれ以上の表現ができないのでご容赦願いたい。
※※※※※
僕が何より気にしたのは、上で何度も強調表示した通りその状況の「見え方」だ。
数十人程度のそれほど大きくないコミュニティの中の熱量の高いメンバーが、揃ってコミュニティ外の同じ場所で熱量高く活躍しているのを見る。そしてコミュニティの外で強化された繋がりやコミュニティ外での慣習が無自覚的にコミュニティに持ち込まれるのを見る。
その見え方はコミュニティに不和をもたらすかもしれない。
このタイミングで、何らかコミュニティ内部に向けて動いた方がいいのではないか。
何らかのフォローをするでも、新たな熱を呼ぶコンテンツやイベントを作るでも、方法はいろいろ考えられるだろうと思った。
実際、僕が以前に発案して回したイベントを再度動かしてみようか、なんて考えも浮かんでいた。
そんな思考の流れで、「現状の見え方には注意が必要だよね」という感じのツイートに至った。
危機感を共有して、相談できればいいかな、くらいの軽いノリで。
まぁアレから50日以上経っているので、既に記憶は曖昧だし後付けで考えたことも当時考えていたように記憶が変わっている部分もあるかもしれないけど、概ねこんな感じ。
で、このツイートが、コミュニティに波風を呼んでしまった。
コミュニティ内の有志が集まってコミュニティについて語る場所がある。
そこで、議論というか、思いの噴出が巻き起こる。
僕に近しいことを感じておられた方々から、声が上がった。
コミュニティの外のものが持ち込まれる違和感、一部の盛り上がりの理由が分からない不安感、コミュニティの動きがよく分からない、活躍する人を見るのは結構シンドイ、そんな話。
主宰を始め、当該企業さんで活躍されている方々には批判と受け取られたようで、直接的・間接的な表現や空気感で苛立ちを伝えらえた。
企業とコミュニティの違いだったり、仕事を得る手段の話だったり、自分で動かず見ているだけのヤツが何を言うかだったり、目立つ行動すると批判されるのかだったり、そんな話。
思いの噴出は伝播していき、同時に議論の方向性や論点は拡散していったように思う。
僕は僕なりに、僕が感じたことと僕が言いたかったことを言葉にした。
コミュニティの外で活躍する人を批判する意図も、目立った行動を糾弾する意図もない。ただ、コミュニティの中からの見え方にはちょっと注意が必要かもしれないから、何らかケアした方がいいのではないか、と。
不快感を与えてしまった皆さんには謝罪の言葉を綴った。
仕事以外での僕の発信は、ここで止まった。
僕の発信は人を不愉快にさせて論争を呼ぶ。そのことで謝罪をするまでに至る。
こんなヤツは、コミュニティいない方がいい。
そう思った。
そんな議論の最中、コミュニティのオフ会が開催された。
その日、オフ会の会場近くを散策しながら自分の考えや思いを整理して、僕が抱いた危機感を説明するのに適切な表現はないかと考えた。
ひとつ、これだな、というシチュエーションを思いついた。
父母兄弟姉妹、大切な家族が家の外に居場所を作って楽しそうにしている。
家にいる頻度が下がっていき、会話も減る。
たまに話しても、知らない外の世界の話をその場所のスラングを使って話される。
そんな不安感と危機感。
これが、僕の危機感に一番近いものだと思った。
オフ会参加前、主宰ともう一人の友人と、少しの間僕が起点となった議論について話をする時間を持てた。思いと考えを整理しながら話をした。
色々と例えを出したりしながら話をして、その時に上の家族の話も出た。
僕にとって、コミュニティは家に似ていて、メンバーは家族に近しいものだったらしい。
一方、僕の感じた危機感は僕の中だけのもので、本質的な意味での共感は呼ばなかった。
つまるところ、僕の想像や妄想が過大に膨らんだ末の一人相撲であったようだ。まさに、「それってあなたの感想ですよね?」だ。
そう考えると、僕の動きはやはり余計なものだったのかなと思う。
僕のツイートからの一連のザワつきは、コミュニティの中では一定の決着をみて、未来に向けた動きを始めている。
対して僕は、コミュニティを去ろうと考えている。
僕のツイートからの一連の流れ、ざわつかせてしまったメンバーからの反応。直接的・間接的に伝えられるもの。
僕が発端を作った諸々に、僕の内側が崩れて落ちてしまった。
僕の発信は不快感を与える。イラつかせる。波風を起こす。
だから何も言わない方がいい。
完全に発信イップスになってしまった。
この状態を抜け出そうとする思いは、膨らんでは自壊する、を常に繰り返している。
これはもう無理だな。と。
家に近しい場所だと思った。家族に近しい人たちだと感じた。
それを失敗だったと思ってしまうのは辛い。
辛いけれど、それを否定する材料が、僕の中にない。
不快をまき散らし、不要な波風を呼ぶ存在は、家には無い方がいいに決まっている。
日数をかけて書いて、少しずつ見えてきた。
発信イップスを引き起こしている、なんか得体のしれない、僕の気持ちに刺さった針のようなもの。
一連の流れの中で、明確に謝罪の言葉を述べているのは僕だけだということ。
僕だけが謝っている。つまり、僕だけが悪い、そういうことだ。
ただこれは僕の中の正義と照らしての話。
僕の思い込みだし不正解であることは頭では理解している。
でも……
コミュニティを去ろうと考えを巡らせる。
ただ、コミュニティ内で僕がやるべきタスクがまだ残っている。
残ったタスクを消化するまでは……と、未練がましく立ち去るのをズルズルと先延ばしにしてしまっているのが現状だ。
心の底からみっともないのだけど、タスクを消化しきってしまうのは嫌だなと、足の爪先を引っ掛けておきたいような心持ちで居る。
早めにタスクを消化し終えなければいけないな。
さて。
自分はここには必要ない者だと思いながらそこに居続けるのもおかしな話だ。
誰かに引き留めてもらいたいという浅ましい考えも浮かんできている。
そんな自分が心底気持ち悪い。
この散文を公開して、次の発信ができるかを考えてみよう。
書いたものを見直すと吐きそうだから、もうこのままいってしまえ。
そう言う事で。
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