ぱちんこ回想記

第1玉 『ぱちんことの出会いとD-51との出会い』

1979年生まれ。東北出身。5歳まで産まれた街で育つ。小さな頃から人の言う事を聞かない、人と同じ行動をするのが大嫌い。気がつくと居なくなってる事を得意とする変な幼少期でした。東北のとある市街地の住宅がちらほらある地域の二階建ての古いアパートに両親と私の3人で暮らしていました。

小さい頃から車と電車(汽車)が凄く好きで、親の目を盗んでは自宅から1キロちょっと離れた駅に歩いて電車を見に行ってました。行方不明と感じた父と父の職場の人達が総出で私を探す事があったりとか、ほんとに行動の読めない子だったと言われました。

自宅にはトミカとモノレールのおもちゃがいっぱい。とにかく小さな頃から乗り物が好き。そんな私は5歳の頃に父の地元に引っ越しする事に。父の地元で飲食店を開業する為の引っ越しでした。引っ越して住む事になった借家は駅から歩いて1分。家の裏を見ると電車が走ってるのが見える。家が古いから電車が通ると家のガラスが揺れる。風呂場が地下にあり、大きな蛇が地下をウネウネしている漫画に出てくるような家でした。

父はお店が休憩時間になると駅前にあった小さなホールでパチンコをよく打ってました。当時携帯電話なんて無かったので、父に用がある母は私に『お父さんをパチンコ屋まで迎えに行って来て』と言われ父を迎えに行きました。

初めてホールに入った日は今でも鮮明に覚えてる。自分の背丈よりはるかに大きい2枚のガラス扉。力いっぱい押して扉を開けて中に入ると真っ先に床の油の匂いが鼻から入ってくる。線路のレールの匂いと似たような匂いで大好きな匂いだった。店内は演歌が流れている。1つしかない入り口から入ると、目の前にある島の左端に平和のゼロタイガー、対面には西陣のD-51。もちろん機種名なんて知ったのはその後の話。父はいつもゼロタイガーを触ってました。父に『お母さんが呼んでる』と伝えると持っていた玉で板チョコと換えてくれた。チョコレートを持ってその島を通って帰る時に聞こえてくるのはD-51の『ポッポー!しゅぽぽぽぽぽ!!!』機関車の音。電車と機関車好きな私はもの凄くD-51が目に焼き付いてしまう。このD-51との出会いがこの後自分の学生時代を、いや人生を大きく変える事になるとは思ってもいなかった。

やがて小学生になり学校まで歩いて登校するのだがホールの前を必ず通る。登校時は勿論営業していないのでホールは静か。下校時にホールの前を通ると演歌が聞こえてくる。ホールの壁についてる換気扇から床の油の匂いがほのかに漂ってくる。

冬になると日が暮れるのが早くなるから、下校時にはホールの看板がキャバレーの看板の様にキラキラとリレーしていた。それがまた私の心を踊らせた。下校中に前を通る度に聞こえてくる演歌と玉の音と賞球ベルの音。店内を想像してしまう。その想像の向こう側にはいつもD-51があった。

小学生の高学年になると下校時にホールの前を通っても玉の音が聞こえなくなった。聞こえるのは演歌だけ。その頃父は隣町にあったホールに行く様になっていたので地元ホールに父を呼びに行く事はなくなってた。

小学6年のとある日に『少しだけ店内を覗きたい』と思い、ドアを開けようとした瞬間に男性店員に見つかり注意される。中は見れなかった。ただ初めて入った時に感じた活気はもうなかった。音を聞いただけで分かるものだった。

そして生まれて初めてぱちんこを打つ事になる中学1年生を迎える。

第2玉に続く。

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