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「今日の仕事は、楽しみですか」のざらつき

 通勤時間帯の駅のディスプレイに「今日の仕事は、楽しみですか」のひと言を含む広告が表示され、様々な人の心をかき乱した。
 数分に数秒の瞬間を切り取った写真が独り歩きした節もあるが、たしかにあの写真はなかなかに心に来るものがあった。しかしなぜ、こんなにも胸をざわつかせるのだろう。
 この広告の意図はどんなもので、その意図は正しく伝わったのか。なぜそれが人の心を逆撫でたのか。
 私なりにこの件を整理してみたい。


広告の意図

 まず、いかなる意図でこのキャッチコピーが使われたのか。この広告は、後半の文を含めると以下のようになる。

出勤中のみなさま
今日の仕事は、楽しみですか
今日の仕事が楽しみだと思える仕事が増えたら この社会はもっと豊かになるはず
だから AlphaDrive/NewsPicksが新規事業の生まれる組織づくりをサポートします
ビジネスに衝動を。ビジネスに鼓動を
AlphaDrive/NewsPicks

 ホームページを見ると、新規事業開発支援等を行う企業であるようだ。この文脈に沿えば、このコピーの言う仕事とは、各個人の業務ではなく、事業や企画全体を示しているのだろう。かのキャッチコピーが表示されたのも数秒程度で、長い文の中の一箇所である。
 つまり「今日の仕事は、楽しみですか」とは、「あなたが仕事を楽しみにしているかが知りたいのではないのですが」「ちょっと自問してみてください」「わくわくできるような新規事業を起こしませんか」ということなのだろう。悪意も底意もない、ただの問題提起だ。恋人のいなさそうな知り合いを合コンに誘うための「今年のクリスマスは、恋人と過ごしますか?」と同じなのだ。
 しかしその一言目がまずかった。


1.仕事が楽しくないことを再認識させる

 第一の問題は、この問いを可視化することの拙さである。
 このキャッチコピー、「楽しみではない」という人がターゲットである。気乗りせず、それでも奮起して仕事に向かう人に、わざわざ「あなたはいま楽しみでないことに向かっていますね」と突きつけているのである。
 それまであえて考えないようにしていた人にすら、「そういえば仕事、楽しみじゃないな……」と思い出させる。それでも仕事に行かなければいけない。出勤中に、そんなことを自覚したい人がいるだろうか。
 さらには、それをわざわざイエスノー疑問文で文字化することで「問題を可視化」して、目をつぶらせなくしている。楽しみかどうか? 楽しみではない。なぜか。仕事を楽しめない能力不足、そして転職もせず楽しくない仕事を続ける行動力不足ゆえである。意識的にせよ無意識にせよ、そういった部分にまで考えを及ばせてしまう人もいるかもしれない。生真面目な人、疲れている人ほど、自分を責めてしまうだろう。
 少なくとも、楽しんでいない自分を再認識させられる。やりがいを重視する日本において、これはあるべき姿の放棄という感覚を植え付けるに近い。恋人がいなさそうな風貌を自覚している人に「今年のクリスマスは、恋人と過ごしますか?」と尋ねるのは、一種の煽りに相違ない。


2.「仕事を楽しむ」価値観の押し付け

 第二に、広告主が仕事の楽しさを云々することそのものに対する違和感だ。
 このコピーは、広告の受け手と発信者に「仕事は楽しむべき」という共通の感覚があることを前提にしている。
 しかし、そもそも人生、楽しい日もある。だるい日もある。気分が上がる人あれば、下がる日もある。適正な賃金、スキルアップ、気分転換など、人により仕事により、求めるものも違うだろう。
 異なるはずの価値観を、あたかも「楽しみ」が正しい姿勢であるかのように、「今日の仕事は、楽しみですか?」と問いかけているのである。
 これはまさに「今年のクリスマスは、恋人と過ごしますか?」と聞かれているようなものだ。例えばキリスト教圏では、クリスマスは家族と過ごすのが一般的である。友人と最高のクリスマスを過ごす人もいれば、他宗教に帰依している人、趣味に勤しむ人もいるだろう。親しくない人の前で不用意にクリスマスと恋人を結び付けて口に出すと、よくて恋愛脳扱い、悪くてセクシャルハラスメントである。
 端的に言えば、「そんなことを言われる筋合いはない」と思わせる、ということだ。


発信者と受信者の視点

 この騒動の発端は、企業の代表者がSNSで自ら発信した写真にあった。人の目を引きやすいキーフレーズが、駅のコンコースにずらりと並ぶ景色の写真は、そもそも企業側から提示されたものだったのである。
 この写真を発信した側からすれば、この一言は長いフレーズのなかの一文にすぎない。「たくさんの人が行きかう場所で、このフレーズを含めた上記のメッセージを発信しているぞ」というストーリーがある。
 しかしこの写真を見た側は、この一言だけを、景色と合わせて一つの情報として受け取る。そして「通勤中の人々に投げかける『今日の仕事は、楽しみですか』というひと言メッセージ」と解釈するのである。


気を付けるべきは

 どちらが悪いとは言えない。ただ、大衆の受け取り方を変更させることはできない。ならば、発信側が慎重になるほかない
 発信者と受信者は、常に同じ情報、同じ常識を持っているわけではない。知識においても、笑いのツボも、まったく違う人がいる。
 人の意識を惹き、奇をてらうなら、まったく違う視点からの確認をしなければならない
 今回の件に関して言えば、まったく別の業種の第三者がこの「写真」をどう見るか、想像すべきだったのかもしれない。やや古いがFUNKY MONKEY BABYSの「ヒーロー」という曲がある。あの曲に登場するお父さんは、この写真をどんな感情で見るだろうか。家族の笑顔のために全力疾走で頑張っているサラリーマンに「楽しんでますか?」と問えるだろうか。
 インターネットは当然だが、例えば報告書や日誌の記載、部内報などにおいても同様である。使用する写真に写るのが特定の性別ばかりであることは、今のご時世ではとてもデリケートな問題である。(笑)や「www」の使用はもちろん、ハッシュタグやギャグの用法でさえ、人によっては「煽ってるのか?」と思われかねない。
 自分の中に第三者を住まわせ、もしくは公平な判断を期待できる第三者の手を借りて、無用な不快感のない表現を模索していくことは古今変わらず重要なのだろう。


 と思う。