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R6.9.22(日/雨)【小林健さま語録…余命】

【私が考える”余命”について】


今日は、今まであまり触れてこなかったお話をしますね。

それは多くの方が一度は考えたことがあると思われる「余命」についてです。

今元気であれ、体調が本当に悪い方であれ「余命」は誰にでも存在します。

生まれた瞬間から私たちは「余命」があるし、それに「明日どうなるか分からない」ということは誰にでも起こりますから、もしそれが実際明日起こってしまったら余命はとても短かったということになりますが、ではよく言われる、病院で医師に宣告される「余命」についてはどうでしょうか。

私は医師によって「余命」は決まるものではないと思います。

なるほど、同じような症状をもち、年齢や治療方法など多くのデータを持っている彼らが言うんだから、完璧ではないにせよ合っているに決まってます、とおっしゃる方がいると思います。

でも私は患者さんが「余命を宣告されました」と教えてくれたら、「そうですか、余命は神様以外決められないんですよ」とお伝えしています。

あなたが歩んできた人生も知らず、そしてこれから体が治ろうとする治癒力を本人がどれだけ高められるかという大きな期待を見ることなしに、それをまったく知らない医師が決めることは基本的には難しいと思いますね。

中には人間医師もいらっしゃるし、患者さんを尊敬して寄り添って患者さんの意思を確認しながら、余命を告げず歩んでくださる医師もいますが、こんな大切なことを、会って数回の医師に言われることは、患者さんの心に大きな負担にもなるし、悲しみも大きいですよね。

波動医学の医師として、余命を言われてしまうと、多くの方は、ライフパワーの源である微小生命体が縮こまり、DNAを修復しようとするエネルギーが奪われていくように感じます。

今起こっている症状は、それ以上悪くならないように、もっと自分を大事にするように体からの大切な警告であるのに、その原因を見ず目に見える症状だけで判断してしまうと「もっともっと自分を愛するんだよ」という、生を受けた意味さえも見失ってしまいますよね。

そうすると、体は必死に警告を出して守ってくれているのに、その宣告を受けたことで、免疫力は下がり、体内循環も自律神経も悪くなり、もっとも大事な生きる希望が削られていってしまいますよね。

5回死んだ私がいうのもおかしいですが、人間は簡単には死なないんですよ。

いつ死んでもおかしくないと言われたおじいさんやおばあさんが何十年もピンピンして天命を全うした方を私は何千人と知っています。

人間は死なないようにバランスをとりながら、体に何か起こっても、DNAの細胞は必死にコミュニケーションをとってくれて、症状を出してくれて私たちに警告を教えてくれるので、私たちは何度も生き抜くチャンスを神様が与えてくださっているわけです。

つまりは、自分の天命をどれだけ真っ当できるかは、「神の領域」ということになりますよね。

ですから、もし皆さんが誰かに「余命」を言われたならば、その人が神様でない限り、そっと忘れましょう。

ライフパワーである微小生命体がくるくる元気に活動してくれるためには、あなたの好きなことや楽しいこと、思わず時間を忘れて没頭してしまうくらいが丁度良いですね。

それに「余命」は誰にでも存在しているわけですから、悲しむ必要は全くありません。

せっかくあなたは生まれてきたんですから、「余命」を考える時間があるんだったら、この瞬間を精一杯生きているほうがずっと神様は喜んでくれますし、そうするとあなたにたくさんの”グリコのおまけ”をくださると思いますよ。

with Love, Appreciation and Respect Ken Kobayashi 

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