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R6.5.11(土/晴)【宮沢賢治さん】

「雨ニモマケズ」の宮沢賢治さんのお話しです。

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偉い人よりも、人のために働く人になりたかった賢治。

賢治は岩手の花巻の農業高校で、教師をやっていた時期があるのですが、答案用紙に何も書かなくとも、生徒に絶対に0点をつけなかった。

名前だけ書いても20点をあげていました。

たとえ何もできなくたって、0点の存在などこの世にいないからです。

せっかくついた安定職である教師を辞めて、農民になろうとしたときも、思いとどまらせようとした校長に対して、賢治はこう言いました。

「私は、もっと土にまみれて働きたいのです。教師をして、生徒たちを立派な農民に育てるのも大切な仕事です。

でも、それだけでは、本当の農民の苦しみはわかりません。

雨が降れば大水でたんぼを流され、日でりが続けば、稲の枯れるのをじっと見ているよりほかに、何もできない人たち。

その人たちのことを思うと、のんびり教師などしていられないのです。

その人たちと一緒になって働き、その人たちのために、いますぐ役に立ちたいのです」

農業学校に通う生徒たちの多くが、卒業後、大変だからと農業をせずに役所に勤めたりするのを見て、賢治は「これではいけない。新しい農村社会をつくろう」と意を決したのです。

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「絶望は神さまからの贈りもの」

ひすいこたろう 著

柴田エリー 著

SBクリエイティブより

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「雨ニモマケズ」の現代語をご紹介します。

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雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けず

丈夫な体を持ち

欲はなく決して怒らず

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の林の下の蔭の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに私はなりたい

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この有名な詩は、賢治さんが亡くなった後、賢治さんの手帳に書かれていたものをトランクの中から発見されたもので、発表されるためにつくられたものではありません。

賢治さんの理想の生き方だったのでしょう。

誰かが見ているからとか、有名になりたいとか、損得とかじゃなく、

純粋に、誰かのために優しく生きる生き方。

そういうものに私もなりたい。

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「魂が震える話」より

宮沢賢治 ウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宮沢賢治

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