めんどくさいの呪い

自分の中の不快な気持ちをめんどくさいで片付けてはいけない

普段の仕事や人とのやりとりや日常のいろいろの中で、つい「めんどくさい」と言ってしまったり、思ってしまったりすることがある。そしてそれは無自覚のうちにけっこうやってしまっていたりする。

単純に億劫な仕事があるときや、言葉通り面倒が増えたとき。それ以外にも、ちょっと厄介な人物と対峙するとき、「あの人めんどくさいからな…」などと思ってしまったり、不快な気持ちを置き換えるように使っていることもある。

しかしふと、これらの自分にとって不快と感じているような状況に対して、すべて「めんどくさい」という言葉で片付けてしまうのはとても危険だと感じた。

それは感情ではないからだ。

自分が感じた、感情を感情として表すことすらめんどくさいと放棄してしまっているのではないか。

例えば人に対して嫌な気持ちになったとき、マイナスな気持ちだけれど微妙に正体のはっきりしない、もやもやとした感情を引きずって歩くのはちょっとしんどい。そんなとき、考えるのを放棄してめんどくさいという言葉で強引に解決しようとする。

本当はきっと、ここで何が嫌だったのか、怒りなのか悲しみなのか、考えて、感情というアウトプットをしないと結局めんどくさいが続くことになってしまう。

自分の気持ちと向き合うことから逃げてしまうと、本当に感情が必要なときに思い出せなくなってしまう。そして、この呪いから抜け出さないと、自分自身が「めんどくさい人」になってしまうのだ。

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