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私が熱心に推しを応援する理由

 私は熱しやすくて冷めやすい。端的に言えば、三日坊主だ。「好きだ」と思ったら、そこに向かって一直線に向かっていくが、急に「無関心」が来てしまう。だからこそ、「今」を一生懸命応援しようと常に考えている。
 このことに気が付いたのは、つい最近のことだった。これまであれだけ応援していたのに、こんなにもあっけなく離れてしまう自分に驚き、気が付いた。

 私はある時期から、kpopアイドルを応援するようになった。周囲の友達が好きであり、おすすめされたからである。それまでの私は「無趣味」であった。親からも心配されるほど、何にもハマらず興味を持たず、部活と勉強に打ち込んでいた。
 そんな私にハマるものが出来た。勉強の時間を割いてしまうほど、私の人生の一部となった。お金を使うことも増えたが、私に趣味が出来た、と親は喜び出費をしてくれた。とても有難いことだと思う。
 一度ハマりだしてからは、複数のグループを応援するようになった。沢山の動画や写真を検索し、Youtubeでは見ていない動画がないのではないか?というくらい多くの動画を見た。人生初の「推し」もできた。私は収集癖があるため、公式のTwitter・facebookにあがる推しの写真は毎回保存し、過去の写真も遡って保存していた。そのため、アルバムに写真が5万枚以上あることもあった。それほど、推しは私の人生を輝かせる存在であった。
 今のところ唯一ファンクラブに入ったAというグループは、特に熱心に応援していたと思う。人生初のライブにも行った。全曲の掛け声を覚え、友達と二人で電車に乗り、会場に行き、グッズ列に並び、マスターさんのスローガンを買ったことは今でも忘れられない思い出である。
 友達に聞けば、私はAを熱心に応援している子と覚えられているくらい、全力で応援していたが、別れは呆気なかった。理由ははっきりと覚えていない。いつの間にかさっぱりAの曲を聴かなくなったのだ。一つ理由を挙げるとしたら、おそらくBというグループの解散である。

 Bは日本のファンクラブがなく(韓国のファンクラブがあったのかも分からない)、事務所からの対応も良くなかったため、ファンの団結力が高かった。私はBを応援する用のTwitterアカウントを持っているが、温かくて優しいフォロワーさんたちと協力して、音楽番組の投票を行ったり、情報共有を行ったりしていた。次第にAへの熱が落ち着き、Bへの熱が加速していった。
 私はAも応援はしていたが、Aは人気グループであったため、CDを一枚しか買っていなかった。だが、Bは当時の人気グループと比較すると少ない方であったため、発売された形態全てを買っていた。彼らに少しでも貢献したいと思ったからだ。売り上げが安定していれば、事務所も彼らを切らない。少しでも長く活動することが出来る。そう考えていた。その一方で、メンバー同士とても仲がよく、安定した人気と確かな実力を持っていたため、解散することはないだろう、契約更新するだろうとのんきに考えていた。そんな私に雷が落ちる。
 忘れられないまだ肌寒い日のことだった。携帯に不穏なお知らせが届く。「Bの契約終了に関するお知らせ」Bのデビュー記念日が約2週間後に迫る日であった。
 私は絶望した。そして涙が止まらなかった。Twitterを見ても困惑するフォロワーたち。そして本人たちからあがる直筆のお手紙。頭には「?」しか浮かばなかった。今この文を書くために久しぶりに手紙を見ているが、涙で視界がぼやけている。
 なぜ彼らが解散しなければならないのか。この言葉で頭がいっぱいだった。困惑したオタクたちは悲しみが怒りに変わり、事務所への怒りの言葉が並べられた。
 そして彼らの最後の曲とアルバムが発売されることになった。そのアルバムのBehindの動画では、この後解散が待っているとは思えないBの姿が写り、さらに困惑した。「急に決められた解散ではないのか」
 私は最後のBのアルバムを全形態購入した。だが現在までそのアルバムに入っているCDを一度も聴くことができていない。未だ向き合えていないからだ。
 Bはその後それぞれソロで活動しているが、ほとんど追っていない。なぜならそれぞれも好きではあったが、Bというグループが好きだったからだ。

 このことをきっかけに、私はBの曲はもちろんAの曲もkpopも全く聴かなくなった。聴かなくなったというよりは、聴けなくなったという表現の方が正しいかもしれない。何年も応援していたのに、別れは一瞬だった。
 グッズを買い、アルバムを買い、あがった写真や動画はすぐにチェックするほど好きだったAもBも何も見なくなった。「無関心」とは違うかもしれないが、全てに冷めてしまった。

 それからは、好き→無関心の波が頻繁に来るようになり、自分でも分かるようになった。
 現在応援しているとある配信者に関しても、一時期何も見ないことがあった。それまで配信があれば、毎回配信を見に行っていたが、急に配信も動画も何も興味がなくなってしまった。サブスクもしていたが、二か月ほど更新をせず、誕生日もすっかり忘れ、フォローしている人のツイートによって配信でお祝いしていたことを知った。
 現在はある大会をきっかけに再び見るようになったが、一時期全く見ていなかった自分に驚く。なぜ興味がなくなってしまったのかは、自分でもさっぱり分からない。いつの間にか配信通知がきても、配信を開かなくなっていた。嫌いになったわけでもない。ただ興味がなくなったのだ。

 このnoteを書いている現在も、ある応援している人に対して興味がない波が来てしまっている。たまに配信を見ようと思って開いても、5分で飽きがきてしまう。その人自体も好きだし、配信もおもしろいのに、何故か見ていられない。この感情が何かは正直分からない。義務で見ている自分にしんどさを感じてしまう。早くこの波が終わってほしいと思うが、いつ終わるかも分からないため、じっと耐えて待つことしかできない。楽しく前向きな気持ちで、その人の配信を見れる日を自分に願っている。

 この興味がなくなってしまう波は、自分でもいつ・誰に・なぜくるのか分からない。自分でも自分がこわいときがある。これほど応援しているのに、また急に全く興味がなくなってしまう日が来るかもしれないと思うと。
 だからこそ、応援している「今」を大切にしていきたいと思っている。応援できるうちに、自分が出来る限りの応援を、気持ちを伝えたいからだ。この熱が冷めるまで、一生懸命応援したい。
 これが私が熱心に推しを応援する理由である。

 人それぞれ応援する理由はいろいろあると思う。今回のこのnoteに書かれていることも、あくまで理由の一つだ。だがその理由が、自分を動かす原動力になっている。節度は守ってほしいと、自分にいつも思っているが…。
 ここまで読んでくださった方に、良きオタクライフが待っていることを祈って、このnoteを終わろうと思う。上手く内容がまとまっていない部分もありますが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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