第1回AI歌壇 斎藤君選

この度、第1回AI歌壇の選者をまことに僭越ながらつとめさせていただきました。これがどのくらい僭越かというと、大部屋俳優時代の川谷拓三が勝新太郎をぶん殴るくらい僭越なのです。あまりにわかりにくい喩えで申し訳ございません。

とにかく膝が震えるほど恐縮でしたので、皆様の渾身の一首をふるい落とすに忍びなく、図らずも受賞作品を多数出すという結果になってしまいました。
ダメなんすよ、なんか上から物言ったり勝手に優劣つけたりすんの。てめーどんだけえれーんだよって思ってしまうので。
長々と前置きすみません。それでは発表させていただきます。


第1回AI歌壇 お題「針」 斎藤君選


普通の人々賞(一席)
押しピンを刺されたままで色彩を徐々に失う卒業写真 /奥かすみ

「押しピン」とあることから、コルクボードなどに固定されたまま日光を浴び続けて色あせてしまった卒業写真を想像しました。現像したばかりの時は綺麗に色づいていた卒業写真、それはそのままそこに写っている人物たちの輝かしい未来への願いと受け取ることもできそうです。しかし現実は皆がうまくいくわけではなく、人生に挫折したり早逝してしまう人もいると思います。そしてそれは年齢を重ねるごとに増えてゆくでしょう。そんな友人たちへの思いを「友」「挫折」「病む」「死」などを一切使わずに「色彩を徐々に失う卒業写真」だけで表現したところに詠み手の力量を感じます。そして上記の「友」や「挫折」などの言葉を使わないからこそ、読み手の心により深く刺すことができているのだと思います。
中・高・大学とどの卒業写真でも誤読なく解釈できると思いますが、個人的には就職組と進学組(あるいは地元組と上京組)で大きく分かれる高校の卒業写真であってほしいと思いました。

某国より愛をこめて賞(次席)
針と糸を市場で買って火曜からコサックダンスを踊りつづける /寿司村マイク

ロシアの民謡「一週間」よりもさらに不毛な内容がとても好きです。針と糸はいつ使うのでしょうか。そもそも使わないのかもしれません。端的にイカれた人物感が出ていて、何の益体もない、とんでもない「無駄さ」が歌全体に横溢しています。合理的・効率的なものが良しとされる現代社会にせめて言葉遊びの中だけでは無駄を楽しむのだ、という詠み手の主義のようなものが垣間見えるようです。
遊びは文化よりも古いとホイジンガだか誰かが言っていましたが、その理論を彷彿とさせる一首だと思いました。


バニシングポイント賞(三席)
下糸を拾うミシンの針に似た口づけ前の瞼の速度 /小石岡なつ海

口づける前に瞑る瞼の「速度」に目をつけた繊細な感覚がすごいと思いました。さらに下糸を拾うミシンの針と取り合わせる独特の感覚に痺れます。詠まれているのは非常に小さな景であるのに、その向こうに見えてくる景がとても豊かです。少しの緊張感を伴うロマンチックな雰囲気や主体の気持ち、二人の距離感など、様々なものが想像されます。肝心な部分であるはずの主体の心情を直接的に明言せず言外に想像させることで、歌に大きな膨らみが生まれていると思います。


断絶賞
秒針を追い越せぬまま凡百の選手の夏がさきほど終わる /ef

陸上や水泳などタイムを競う競技では一秒というのはとても大きな意味を持っています。競技者は皆その一秒を縮めるために血のにじむような努力をするのだと思います。マラソンなどでは標準タイムがあり、そこに満たない選手は全員振り落とされてしまうのですが、この歌はその時の感情をあっさりとした表現でうまくまとめ、さらに余韻を残すことに成功していると思いました。俯瞰的視点で淡々と詠まれていますが、鑑賞後に切ない余韻がぐっと身体の中に広がります。「大勢」などとすることなく「凡百」としたことでより味わいが深まっていると思います。


第三の男賞
出欠を取るたび君が飛ばされることに慣れてくボク達の罪 /あおいそうか

「君」は恐らく不登校かもしくは退学・死亡しているのでしょう。怪我などで入院しているのではないと思います。時間とは遅効性の特効薬である反面、教訓や痛みを忘れさせてしまうという後ろめたい副作用もあります。毎日の出欠確認で「君」がいないことに慣れてゆくクラス全員(教師含む)に「罪」があると自覚している主体の繊細さがいいと思いました。そして時間からは主体自身も逃れられないというところもこの歌の良さであると思います。何が正解なのかわからず悩む主体の姿が想像できるようでとても好きです。


善き人のための何か賞
レコードに針を落として聴くように君は世界に優しく触れる /インアン

レコードを聴くときはゆっくりと静かに針を置き、ぷつぷつとした小さな雑音も楽しむ、という方も多いのではないでしょうか。この歌ではその行為を比喩として下の句につなげていますが「君」は世界、つまり全ての物事に優しく触れられる人物なのだということがわかります。「世界」などのように目的語が大きくなると余程その周辺の言葉に特徴がない限り凡庸に終わってしまうことが多い印象があるのですが、ここでは上の句をフルに使ったゆったりとした比喩によってそれを回避していると思います。初句から結句にかけてすべてにゆったりとした柔らかい雰囲気が漂っており「君」の人物像まで想像できるようです。「君」はただ優しいだけでなく、ちょっとした変化や歪さ(レコードの雑音)などにも気づけるような繊細さも持ち合わせているのではないでしょうか。そしてその上でそんな変化や歪さも「君」なりに愛して楽しめてしまうのだろうと思います。


何かの黙示録賞
検針日になると私の毎月の涙の量をはかる妖精 /宇井モナミ

主体にだけ見える妖精がいて、それは毎月主体の涙の量を量りにくる、という不思議な世界観に「最初は」惹かれました。一見ジョークのような軽さを持ちつつも、その奥に主体のもがく姿が想像できるようで、ただ面白いだけの歌で終わっていません。人はあまりにつらい状況に陥ると精神的な防衛として空想の中に逃避しますが、この歌ではその逃避した先でも妖精が主体の味方ではなく、きっちりと料金を請求するためどこかから派遣された検針おばさん(おじさん?)となっています。初見時にはメルヘンな印象を受けますが、じっくり解釈していくうちに、逃げ場のない、どこまでも広がる地獄が想像でき、こちらまで暗い気持ちになりました。最高です。


デス・プルーフミシン賞
勢いをつけたミシンで何本も折っては死ぬ気の恋をしていた /御影

初句から文字通り勢いがあり、結句まで一気に突っ走る感じが心地いいです。もちろん主体にとっては心地よさなど感じる暇もないほど焦がれているのでしょう。勢いあまって何本も折ってしまった針から痛々しさまで感じます。「死ぬ気」とあることから相当な覚悟を持って恋愛していることが読みとれますが、そんな主体が一体何を縫っているのか想像が膨らみます。相手に送るマフラーやセーターでしょうか(今そういうの送る人っているのか?という疑問は横に置いておきます。なぜなら主体はそういう恋愛のトレンド的なものからは遠いところで必死の恋をしているから)。もしかしたら破けた相手の服を繕っているのかもしれません。恋愛の歌は多種多様ですが、その中でも特にヒリヒリとした痛々しさを感じました。


何かの帝王賞
ギラギラが噴きだしそうでおそろしい竹内力に針を刺したら /鹿ヶ谷街庵

初見で噴き出すとともに大いに共感した一首です。確かに彼の血管には沸騰したギラギラした血が巡っていそうです。上の句で「何が?」と思わせ、下の句の針で回収するあたり、語順も考えられていると思います。デビュー当初は二枚目もできた彼ですが、割と早期に血液にギラギラが混じるようになってきたと思います。きっと彼の赤血球は金色でしょう。


ヤコブの梯子賞
秒針は刃でもあり夕焼けへ診療所の影ながく伸びゆく /石村まい

美しい景の一方で歌全体に確かに漂う一種の不穏さ・不安感がとてもいいと思いました。この歌の刃は秒針の比喩ですが、私は医療用メスも思い浮かべました。この歌全体に充溢している不穏さ・不安感の正体は何なのでしょうか。もしかしたら末期の癌に侵された主体の死への不安であったり、あるいは「肺に影があります」程度のちょっとした医師の指摘だったりするのかもしれません。夕焼けに伸びてゆく診療所の影が象徴的で、死へのあらゆる不安を内包しているようです。景が大きな動きをするわけでもなく、それどころか人間が一人も詠まれていないのに確かに人間の不安がそこに織り込まれています。美しさの中に凄みを湛えた一首だと思います。


モノリス賞
針先をライターで焼く母は今類人猿のような猫背で /梅鶏

これは恐らく裁縫ではなく指先などにトゲが刺さってしまった人間に刺すための針を消毒しているのだと思います。病院に行くほどでもないが確かに痛く煩わしい異物を除去するのに裁縫用の針を使用することは昔はよくあった風景だと思います(今もそうなんでしょうか?)。主体の心情は様々なものが想像できると思いますが、私が最も強く感じたのは年老いた母への慈しみです。猫背は加齢による背骨の変形かもしれませんし、視力が落ちているからかもしれません。その猫背の母を慈しみつつも、ヒトよりも高度にコミュニケーションをとることのできない「類人猿」としたところにユニークさを感じます。


以上です。
続いて、自由詠の発表にいきたいとおもいます。



第1回AI歌壇 自由詠 斎藤君選


大胸筋賞(一席)
アンドロメダ銀河の体積を求めて あかく有る公園のヘビイチゴ /みがかそま

解釈が非常に難しいですが、それだけにとても惹かれる一首です。上の句の要求の無茶さに加えて、取りあわせがあまりにぶっ飛び過ぎており、読む者の生ぬるい解釈を寄せ付けない雰囲気があります。そもそもアンドロメダ銀河とあかいヘビイチゴに類似点はあるのか?ぶつぶつ感?いやちょっと苦しい?などと考えているうちに浮遊感のある迷路に迷い込みます。あまりに大きい銀河と公園の小さな「あかく有る」ヘビイチゴ、視点を極端に大きくして宇宙全体を俯瞰すると、多数の銀河が集まっている宇宙はよく熟したヘビイチゴのように見えるのかもしれません。また、指先ほどの大きさのヘビイチゴの中にも同じような宇宙が内包されているのかもしれません。「有る」の文字から物の存在自体に問いかけているような印象も受けます。どこまで解釈しても解釈したりない不思議な一首だと思います。


広背筋賞(次席)
見切り品をしずかに乗せて方舟のようにフロアに並んだカート /梅鶏

この歌で重要なことは方舟に似たカートに乗っているのが全員「元々選ばれた者ではない」ということだと思います。ノアの方舟は選ばれた者しか乗ることができないはずですが、この歌では逆に見切り品とシールの貼られた商品達だけを乗せています。切り捨てられてしまったり価値が低いと見なされてしまう者達を静かに優しく掬い上げる眼差しがとてもいいと思いました。またそれだけに静謐さの奥に悲哀に似た切なさが漂っていて、美しい一首だと思いました。


脊柱起立筋賞(三席)
あめんぼがみづすべるやうはじめてのはだはじめてのくちびるそして /白糸雅樹

全てひらがなで書かれた一首です。ひらがなのみで構成された歌は特殊な効果を持つ反面、読みづらいという欠点も有していると思います。しかしこの歌はそこまで読みづらさを感じず、ひらがなのみの効果が覿面に表れていると思います。そしてこの歌でのひらがなの効果は「滑らかさ」と「柔らかなエロティシズム」であると思います。あめんぼが水を滑っていくという比喩もぴったりで、相手の肌や唇を確かめていく時の滑らかさがより強調されていると思います。そして何より結句が「そして」で終わることにより歌に大きな広がりが生まれており、読み手の想像をかき立てる構成になっているのがとてもいいと思いました。


上腕二頭筋賞
最終の電車に揺られてチェロ弾きとチェロは同じ角度で眠る /ZENMI

「同じ」は「おんなじ」として読みました。演奏会後なのか練習後なのかわかりませんが、終電の中でチェロ弾きとチェロが同じ角度に傾いで眠っている、どれだけチェロ弾きがチェロと一心同体となっているかが伝わってきます。精一杯活動して疲れ果てたチェロ弾きがみる短い夢はやはりチェロを演奏している夢なのではないでしょうか。歌全体から漂ってくる静けさがチェロ弾きの安眠を想わせます。


上腕三頭筋賞
くり返し熱中症を叫びゐるテレビも熱を持ちたまふなり /つるじい

最近は夏になると毎年熱中症に注意と叫ばれるようになりました。毎日のように熱中症熱中症と繰り返すテレビからも主体は暑苦しさを感じ、さらにはテレビ自身も熱中症でダウンしてしまうのではないかと不安になってしまっているのかもしれません。少し皮肉な視点で日本の夏をうまく切り取っていると思います。


三角筋(前部)賞
すばらしい世界がほしい楽器屋でハットシンバルばかりを見ている /とらうと

ハットシンバルだけを見ているということは主体はドラム初心者ではないのかもしれません。そして主体はいいハットシンバルが見つかれば世界はすばらしいものになると信じている(あるいはそうなって欲しいと願っている)。たしかに音の響き一つで曲の味は全く変わってきますし、主体にとってそれはとても重要なことなのでしょう。主体が現在どのような状況かによって歌の味わいが様々に変わってくる、面白い歌だと思いました。私は主体が生活に行き詰まりのようなものを感じていると想像して読みました。クリアに突き抜ける玲瓏な音を鳴らすことで、その鬱屈を吹き飛ばしたいというような。ぴったりのシンバルが見つかることを願うばかりです。


外腹斜筋賞
さびしさが泊まったことの証明にジェンガブロック一つ引き抜く /虚光

さびしさが泊まったという表現が面白いです。さびしさと一夜を明かし、その証明に積み上がったジェンガを一つ引き抜く。このジェンガは三列の真ん中のものであって欲しいです。それも上段ではなく中段付近の。ブロックが引き抜かれてできた空洞を吹き抜ける風(おそらく冷たい)まで想像させる一首だと思います。主体がジェンガを引き抜く時の静けさまで伝わってくるようです。ジェンガが倒壊しないことを祈るばかりです。


僧帽筋賞
身軽さが眩しく見える旅先でパンツを捨ててしまへるひとの /高田月光

旅先でパンツを捨ててしまえる人に着眼したのがすごいと思いました。確かにそういう人はとても身軽に見えます。というか私がそうです。実際身軽です。主体はそんな人をある種の羨望の眼差しで見ており、できることならそうしてみたいと思っている。しかしこれはパンツを捨てるという行為に対してだけのものでしょうか。恐らく違うのではないかと思います。主体にとって旅先でパンツを捨てるという行為は自由さの一端が垣間見えた瞬間であり、主体はその先にある自由そのものを羨んでいるのではないでしょうか。このことから主体がいつも何かに縛られ、いつも不自由を味わっているということが想像できます。主体を苦しめている不自由さをこういった形で表現できる力に脱帽です。


前脛骨筋賞
屋上の空気はきれい雲の間を対象のない祈りが泳ぐ /畳川鷺々

透明感とともに切ない印象を受ける一首です。空気のきれいな屋上に上がった主体は空に向かって何らかの祈りを捧げているのですが、その内容は語られません。が、おそらくこの世界に息づく全ての者の幸せについて祈っているのではないかと思いました。母が、父が、友人が、恵まれない子供達が・・・など対象のある祈りではなく、この世界に生きるあらゆる者(動物や植物も含む)が残らず全員幸せになりますように、といった感じで。祈りについて具体的な対象がないこと、そして雲の間、泳ぐ、といった語句が歌全体に浮遊感に似た雰囲気をもたらしています。また、対象が漠然としているからといってその祈りの強度が弱いとは限りません。誰かが幸せをつかむことで他の誰かがその分割を食うということは往々にしてあることであり、主体はそういった「振り落とされる者」が存在している世界に心を痛めているのかもしれません。人は祈るときになぜ空を見上げるのか、という祈りの行為自体の意味を考えさせてくれる一首だと思いました。


大円筋賞
悔しさは指のさきから浸食し家に着くころ心に届く /森柚子

直面した当初はさほど感情が動かなかったものの、時間の経過とともにその出来事が心の中で大きく成長して自分を苦しめるという経験は誰しもがあるかと思います。この歌では悔しさが指のさきから浸食する、と表現されていますが、まさに言い得て妙であると思います。ほんのわずかな心の陰りを実感のある表現で詠んでおり、作者の技量を感じさせます。まるで遅効性の毒のように体を巡り侵していく負の感情はそれだけにたちが悪く、主体を苛み続けるでしょう。ユニークな視点で鋭く景を切り取る力とそれを巧みに表現できる力量、二つ揃って初めて生まれる一首なのではないでしょうか。


棘下筋賞
一日を凝縮したら二行分、馬鹿な話があってよかった /早乙女さぽ

社会生活においてはほとんどの場面で効率が求められ、効率化を求める動きは年々激烈なまでに加速していると思います。さらにそれは私的生活にまで浸食していることは疑いようがないでしょう。そんな中、一日を凝縮した日記を書いてみたら二行分馬鹿な話があった。二行分というのは恐らくそこまで多くはないでしょう(書く分量にもよりますが)。しかし、そんな馬鹿な話に私たちは救われています。むしろ、そういった話のために生きているという側面もあるかもしれません。軽い語り口の中に主体のせわしない毎日まで想像させるうまい一首だと思います。


眼輪筋賞
彼の人の薄毛進むに気づくとも為すすべもなく話し続けた /藤本くま

なんと悲しい一首でしょうか。下の句の無力感に思わずこちらも打ちひしがれてしまいます。私見ですがハゲと薄毛は違います。ハゲは顔立ちや体格などが評価に加わることによって、似合う人が確実に存在します。しかし薄毛はそうはいかないのです。私は薄毛が似合っている人を見たことがありません。主体は話し相手の薄毛が以前より進行しているのに気がつくものの、指摘する事ができず為すすべもなく上滑りする会話を続けてしまいます。当の本人はおそらく気づいていないか気づいていても平気を装っているのでしょう。主体の困惑が痛いほどに伝わってくる一首です。


以上です。
受賞された皆様、おめでとうございます。
選歌を依頼された側なので特に賞品とか用意してないんですが、皆様からのご希望があればボディメイクに関する有益なアドバイスをいくらでもさせていただきます。正直これは「ここから先は有料記事です」くらいの価値は十分にあります。皆で健康寿命を延ばしていきましょう💪

今回とても貴重な経験をさせていただいた深水英一郎さんはじめ、投稿いただいた皆様に深く感謝いたします。

今回は本当にありがとうございました。
これからも斎藤君をよろしくお願いいたします。

むきっ

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