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アニポケが作ってきた「ポケモンらしさ」についての私見

〇概要

2022年1月末に『Pokémon LEGENDS アルセウス』(以下「レジェンズアルセウス」)が発売されました。「はるか昔、まだ人とポケモンの暮らしが分かたれていた時代」のヒスイ地方を舞台にしたシリーズ最新作です。

さて、本作について「自分がサトシになったようなゲーム体験」「これこそが『ポケモンらしさ』」というような感想が散見されます。ポケモンはゲーム、アニメ、漫画など様々なメディアで展開され、それぞれが「ポケモンらしさ」を作ってきました。

なぜ「レジェンズアルセウス」というゲームの世界で「サトシになったようなゲーム体験」が得られ、それが「ポケモンらしさ」として認識されたのか。この記事ではアニポケ勢視点でアニポケが作ってきた「ポケモンらしさ」について考えていきます。

〇無印が作った「お約束」

特に無印においてアニポケにおける原作ゲームは原案であり、原作準拠の作品を作っているわけではありませんでした。例えばポケモンの原作では赤緑から剣盾までターン制バトルが基礎となっていますが、アニメではこれを忠実に再現するのではなくアニメーション的な魅力を盛り込むためにアクション要素を追加しています。(代表例:「かわせ!」)

・バトル至上主義の否定

また「お情けバッジ」に代表されるバトル至上主義の否定もアニポケの大きな特徴です。ポケモンは戦いの道具ではないというのは原作でも主張されていますが、実際バトルを避けてゲームを進めることはできません。しかし、実際にポケモンが生活する世界を描くうえではバトル以外の世界も描く必要があります。

お情けバッジをくれた人たち

「バイバイバタフリー」におけるタケシの名言 「人はポケモンを育てることはできても、産み出すことはできない」はこれを象徴した言葉といえるでしょう(ブリーダーという概念を持ち込んだ時点でそもそも示唆的という話ではあります)。

ポケモンは生き物である以上、人間の都合だけでどうにかなるものではないというのは特に無印初期で強く打ち出されていたメッセージです。

無印21話 バイバイバタフリー

・ピカチュウに内包された反原作要素

またアニポケの顔であるピカチュウがそもそも反原作の象徴ともいえる要素で構成されています。御三家ではないパートナー、モンスターボールに入らない、進化拒否…。あらゆる要素が原作要素の逆をいきながら、それこそがアニポケらしさを形作っています。

・ロケット団の存在意義

ロケット団(ムコニャ)もアニポケ世界を構成する重要な要素です。ロケット団は子どもの邪魔をする「大人」としてアニポケ世界に存在しています。また、ムサシ・コジロウ・ニャースはいずれも通常のポケモン世界から疎外されておりロケット団でチームを組むまでは孤独であったことがそれぞれのエピソードで語られます(「ガーディとコジロウ」、「ルージュラのクリスマス」など)。特に人間のように二足歩行でしゃべるニャースはポケモンからも人間からも疎外された深い孤独に追いやられています。

アニポケが人とポケモンが共に生活する世界を描くのであれば、彼らのような「はみ出し者」は不可欠な存在でしょう。アニポケの主人公はサトシとピカチュウだけではなくロケット団もその一人なのです。

・「自然VS人間」のモチーフ

また、これも特に無印の初期作品にみられる傾向ですが「自然VS人間」のモチーフがとられることが多いです。代表的なのは「ディグダがいっぱい!」で自然環境を壊す人間のトレーナーに反抗するポケモンたちの様子が描かれています。人間とポケモンたちには明確な線引きがありその領域を踏み越えてはならないという強いメッセージが読み取れます。

〇アニポケのターミナル「ミュウツーの逆襲」

そして無印アニポケのターミナル(終局点)とも言えるのが劇場版「ミュウツーの逆襲」です。

ミュウツーの逆襲

本作では何が本当の「ポケモン」か―ポケモンがポケモンとして成立する要件の問い直しがミュウツー率いるコピーポケモン軍とミュウ率いる(?)オリジナルポケモン軍の戦いによって行われました。

最終的には「そこに存在しているだけで等しく尊い」というある種の脱構築的な結論が置かれることになりますが、これはアニポケ世界が存続するための答えといえるでしょう。

「ポケモンとはAである」という解を示せば、「A」でないポケモン(例えばUB)などを排除するのが正義になってしまいます。ポケモンは一貫して「共存」をテーマに物語が作られています。「共存」するためには物事をはっきりと分け過ぎないことが重要です。

〇人間対ポケモン世界の回答―「ルギア爆誕」

「ミュウツーの逆襲」がポケモン側からのアイデンティティの問い直しが主とするならば「ルギア爆誕」は「ディグダがいっぱい!」と同型の「人間対自然」ひいては「人間対ポケモン世界」への回答を主としています。この映画の回答者はルギアです。

ルギア爆誕

ルギア
「それぞれの世界がある。一緒に住んでいる世界だから壊してはいけな 
 い。」

「ルギア爆誕」より

ルギアの回答はシンプルで人間もポケモンも等しく世界の一部であるから、一方の都合で互いの世界を荒らしてはいけないというものです(このメッセージ性もほとんどディグダ回と同じです)。しかし、「ルギア爆誕」のもう一つ重要なメッセージにハナコの言葉があります。

ハナコ「あなたがいるから世界があるの。」

「ルギア爆誕」より

ハナコの言葉はサトシに向けられたもので、映画における騒動を命がけで解決しようとしたサトシを諫めたときの言葉です。ルギアの言葉が相対主義・自然主義的なものとすれば、ハナコの言葉は個人主義的なものです。

世界は客観的に観測されるものではなく自分の認識によるものだというハナコの言葉はサトシによだかのような自己犠牲を許しません。自分勝手な振舞いも自分を犠牲にしたような振舞いも、「世界」にとってはよくない。両者のバランスを保つことが重要だとこの映画は教えてくれます。

〇総括

アニポケは原作のRPG作品であるポケモンとは異なる世界観を構築してきました。それはシンプルに言えば「ポケモンが人と共に生きている世界」です。

ゲームのようなデータに変換される存在ではなく、人間にとってはどうしようもない「自然」としてアニポケの「ポケモン」は描かれてきました。それが一周回ってゲームでも「自然」として「ポケモン」を描けるようになった、というのがレジェンズアルセウスの「これこそが『ポケモンらしさ』」という感想に反映されているのではないでしょうか。

ラベン博士の言葉

しかし今回取り上げたのは無印の初期に限った話で、アニポケの歴史が積み重なっていく中で描かれる「ポケモン」像も変わってきています。また機会があれば無印以降の「ポケモン」像の変遷についても語りたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
(了)


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