見出し画像

劇場版「ポケットモンスター ココ」感想

〇概要

劇場版「ポケットモンスター ココ」感想まとめです。映像も美しくストーリーもわかりやすく良い映画だと思います。
ただ少し淡泊だなと思うところもあり、その両方を語っています。

〇ポスター

いきなり作品外のことですがポスターの話から。個人的に韓国版のポスターが好きです。
後述しますが、この映画のテーマとして「親子」以上に「共存」がありそれをうまく一枚絵に落とし込んでいます

左:韓国版 右:日本版

〇物語の立てつけ

物語の大枠の立て付けは「みんなの物語」に共通するものを感じました。
サトシとピカチュウは作中でポケモンと人間の理想的な関係というロールモデルの役割を当てられており、主要キャラを手助けするポジションにいます。ロケット団も前作と引き続きトリックスターとしての役割を与えられています。

〇ココの人物像

主役の一人であるココはザルードに育てられた少年です。サトシたちと出会う前から自分はザルードではないのではないかという疑念を持っており、サトシたちとであうことで自分が人間であることを確信します。野生児の活発さ以上に利発的な側面が目立ち、モリブデン夫妻の影響が見て取れます。

〇父ちゃんザルードの人物像

もう一人の主役である父ちゃんはココを拾い育てる決意をしたことでザルードの群れを追い出されました。ココを拾ったのは自分が親の存在を知らず、同じ境遇のココのことを放っておけなかったから。自分とは違うココを育てるにあたって、「親」とは何かということを自分に問い続けています。

〇舞台

舞台となるのはオコヤの森およびミリーファタウン。どこの地方かは明らかにされていませんが、現行世代のガラルポケモンが多く生活しています。
アニポケ本編にはまだ登場していないポケモンがいっぱい登場していて、それがまず嬉しかったですね。

特に準主役としてホシガリスとウッウが活躍しています。オコヤの森における主要人物として長老ザルードがおり、彼を中心とするザルードの群れがオコヤの森の「癒しの泉」を支配しています。
群れの規律としてザルードの掟があり、これが本作のテーマである「共存」とどのように融和していくかが本作のストーリーの根幹となります。

〇敵役について

敵役にはピオトープカンパニーのゼッド博士が登場。ココの両親であるモリブデン夫妻が「癒しの泉」の研究を凍結したことに激昂し、結果として夫妻が亡くなった事故の犯人でもあります。
ただし、その研究をもって何を成し遂げたいのかは不明瞭で自らが不老不死を目指しているわけではなさそうです、

〇テーマ

さて、本作についてですがポケモン映画において恒例ともいえる「ポケモンと人間の共存」が中心のテーマとして据えられています。
「みんなの物語」における「ポケモンパワー」のようなわかりやすいフレーズではありませんが、代わりに「親子」というワードに重みづけがされています。

印象的なのはココの「自分は人間だから、ポケモンが好きだったんだ」というセリフ。ザルードたちが排他的な掟を作り他のポケモンを寄せ付けなかったのに対して、ココは他のポケモンに対して融和的な態度をとります。他作品でいうと雷句誠「どうぶつの国」における人間と似た立ち位置といえます。

〇ココのアイデンティティ―「親子」のキズナ

別角度から見ると本作はココがアイデンティティを確立するための物語です。ココが自分が一体何者なのかを問うていく過程において、ポケモンと人間がどのように共存していくかという主題に近づいていきます。ゼッド博士の悪行はあくまで触媒であり本筋のストーリーではありません。

ではもう一人の主人公である父ちゃんは何をしているかというと、本作のキーフレーズである「親子」について掘り下げています。父ちゃんいわく「自分よりも守りたい大切な存在」が親子であり、それは種族、血族とは関係なく結ばれる関係であると。アローラのサトシとククイ家との関係を思い出しますね。

ただ、この映画の惜しい点として父ちゃんに関しての描写が少なくココと親子の絆を結ぶシーンがOPでほぼ終わってしまっていることが挙げられます。
「遊び」が少ないというか日常回的なシーンがもっとあればその中で結ばれていく絆にもっと感情移入できたと思います。

それに対して、ココのアイデンティティの確立に関してはしっかりと時間を使っていたためラストの展開には納得感がありました。
ココの「自分は人間であり、ポケモンであり、父ちゃんの息子だ」という発言は映画の全体を一貫するテーマであり一人の人物の成長としても綺麗に描かれていました。

〇「他者との共存」に包括される物語

本作は「親子」にフォーカスがあてられており、実際父ちゃんの「自分より守りたい大切なもの」という発見は重要です。
しかし、それは「他者との共存」というテーマに包括されており実際の描写の比重から見ると後者がメインテーマであることがわかります。

〇「親子」のテーマに迫れていたか?

「共存」がテーマであることに不満があるわけではありませんが、こうしてみると歴代の映画作品と実はそこまで大差ないことがわかります。
「親子」の映画と思ってみてみると少し肩すかしをくらった気分になります。まあそちらのテーマであればクレヨンしんちゃんなどでやった方が適切かもしれません。

「親子」を描いたアニメ作品として「ファインディング・ニモ」や「ロボとーちゃん」などがありますが、それらが父親の葛藤をメインとして描くものであれば「ココ」は「親子」という概念をもって「共存」への答えを探す物語といえそうです。ポケモン映画の宿命のようなものかもしれません。

〇まとめ

最後にまとめると、とても面白くポケモン映画としてポイントは抑えている良い映画だと思いました。ココのアイデンティティ確立と「共存」をうまく関わらせていましたし、キャラクターにも好感がもてました。ただ、欲をいえばもうすこし父ちゃんのことが知りたかったなという思いがあります。

今後のポケモン映画にそういう意味で広がりが生まれることを期待して拙稿を〆ます。ご清聴ありがとうございます。(了了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?