何度も自分を殺した頃



9歳の頃暴力、性被害から逃れ、一番自由を得たと思っていたあの頃。

私はある「夢」をみていた
将来の夢は2つあった。漫画家か童話作家を描いていた。
勉強が出来なかった私の夢は
皆んなに笑われていた。
なれるはずがないと

しかし自分が現実から逃げて没頭できるのは
絵を描いている時だった

この時の私の精神状態を説明するのには不可欠で
客観的にみても私の絵は普通で
すごく優れているという証拠はないのに、
妙に他人に褒められ私は全てを真に受けており、
これが誇大妄想に塗れた中学生の頃10代後半の地獄につながっていく)

私の妄想癖は小学3年生から始まっていった。
1年間だけ一緒に過ごした実父からの性的虐待とネグレクト
人生の中で2番目に辛い日々であったのは
間違いがない

勉強も幼い頃からの教育がないせいなのか
私が欠落していたのか
勉強という概念を全く分からないまま
学生生活を送っていた私は
学校でもいじめの対処になっていた。

それでもまだ友達もでき
好きな男の子もでにてそれなりに楽しい
生活を過ごしていた。

しかし母が弟を産んだ後から少しづつ
家での環境が変わりだしてきた。


私は全く勉強が出来なかったので
私立の専門学校へ入学した

その頃私は、門限17時幼い弟の世話
家事に毎日追われていた。

私は高校生の自分は無知だが、愚かしいとは思わない。無知なだけだった。大人たちは、私に何も与えず
私は自由を享受するのに夢中で、そして他人の失望を自分に向けた諦念に変えていた。

でも、就職すれば楽になれると思っていた。
でも母はそれすら許してはくれなかったのだ

15歳が夢想するのは悪いことではないが、
外れくじを引きまくる人生には夢想ではなく計画なんてたてれないのだ
子供が綿密な計画を立て、実行することはとても難しいことだ。

不安定な状況で実行し続けるのがどれだけ、どれだけすごいことか、
私の精神が幼かったのかもしれないが、子供の頃母に捨てられた思いが
不安を感じ、毎日母の顔色をみる生活しか
選ぶ事が出来なかった。

普通に道がない状況になったとき、
戸惑い、苦しみ、誇大妄想に塗れたのではないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?